『ロボット・イン・ザ・ガーデン』を読み、『ロボット・イン・ザ・ハウス』を読み始めて

もったいないことをした。

『ロボット・イン・ザ・ガーデン』を読み終え、続編の『ロボット・イン・ザ・ハウス』を読み始めて八十ページくらいのところでふと気がついた。

このペースで読んでたら明日には読み終えちゃう、と。

『ロボット・イン・ザ・ガーデン』は本屋で見かけるたびに買おうかどうしようかとずっと(ずーーーーーーーっと)迷っていた本だった。

迷っていたらいつの間にか続編が横に平積みされていた。

どうしてこれまで買わなかったのかといえば、恥ずかしい話、損したくなかったから。

いつの頃からか、自分の中で、本の優先順位が下がってしまっていた。本ばっかり買っていたときもたしかにあったのに。

お金がないときはしかたがないとしても、お小遣いに余裕のあるときでさえ、「ひょっとしたら急にお金が必要になるかも」とか思ってしまって千円札を財布から取り出せなかった。

そのくせ、例えば、ジーンズに二万円はぽんと出せるし、下手をしたら「安いじゃん」とか思っちゃうかもしれないのに。

「本は人生を豊かにする」というようなことをメディアで言う人がいるけど、そういう人って、単に読んだ本の数を自慢してるだけな気がして好きになれない。それか読書を高尚な趣味だと勘違いしてる人か。

読書は娯楽の一つだから合う合わないがあっていいんだろうし、自分に合わない本を何冊も読んだからってなんだって言うのか。自分に合った本を深く読み込んでこその読書だろうに。

まあ、そんなことはいいとして。

合う、合わないとなると、中身を読まないことには判断できない。本を読むには、立ち読みで読み切る非常識と無神経を持ち合わせていない限り、買ったほうがいい。

図書館で借りるという手もあるけれど、本離れとか街の本屋さんが次々に倒産している現状とかを考えると、商店街とかの個人経営の本屋さんで本を買いたい。

『ロボット・イン・ザ・ガーデン』には、すでに続編の『ロボット・イン・ザ・ハウス』が刊行されている。

続編があるということがややネタバレではあるし、表紙に同じロボットの絵が描かれているとなると、一作目の結末を若干示唆してもいるけれど、それがむしろ買うきっかけになった。

文庫本の裏表紙のあらすじに「抱きしめたいほどかわいくて切ない物語」とあったから、もしも、「抱きしめたいほどかわいい」ロボットが世界を救うために自分を犠牲にする「切ない物語」だったら嫌だな、と思った。

可愛らしい表紙の絵やフォントのくせに、最終的にロボットがぐちゃぐちゃに壊れてしまうような結末なら読まなかった。悲しい結末は好きじゃないので。

だから、二作目の存在は、その手の「切ない」を回避できる可能性を強く示していた(……という気がした)。

ともあれ、『ロボット・イン・ザ・ハウス』のおかげで『ロボット・イン・ザ・ガーデン』が読めた。そして『ロボット・イン・ザ・ガーデン』のおかげで『ロボット・イン・ザ・ハウス』をいま読んでいる。

なんかもったいないことをしたな、と思った。

『ロボット・イン・ザ・ガーデン』は素敵な物語だった。刺激的で優しい旅だった。主人公の、ある意味、自分探しにもっと付き合っていたかった。でも気がついたらかなり終盤になっていたので一気に読み切ってしまった。

余韻に浸る間もなく、好奇心に負けて二作目を買いに行ったことも、さっそくそれを八十ページ読み進めてしまったことも、なんとなく、もったいなかった。もっと長くこの世界の中にいたいと思った。

だから『ロボット・イン・ザ・ハウス』は一日三十分くらいを限度にしてゆっくり読み進めようと思う。ゆったり、じっくり、行きつ戻りつしながら。

本当はずっと読んでいたいけど、それだとすぐに終わってしまう。いずれ読み終えてしまうのがちょっと憂鬱だったりするのに。

良い本と巡り会えた。会えた時点ですぐに買わなかったのはアホだったけども……。

ベンとタングが出会ったのは紛れもなくラッキーだった。時間は多少(かなり)かかっても、彼らに出会えた僕もラッキーだった。彼らが家の本棚にいてくれることを嬉しく思う。


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