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大停電の25時間を振り返る。【北海道胆振東部地震】

2018年9月6日。北海道胆振東部地震が発生した。
北海道で初めて震度7を観測したこの地震で、自分が住んでいる札幌市も大きな被害を受けた。

地震発生とほぼ同時に停電した。
電気が復旧するまでの25時間を振り返る。

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2018年9月6日午前3時過ぎ

地震が発生したときは働いているゲストハウスのスタッフルームで寝ていた。
すぐに「地震だ」と気づいて目が覚めた。

いっくさん(嫁)に電話をして安否確認。
すぐに避難できるように身支度することと、断水に備えて水を溜めておくように伝えたような気がする。たぶん。

揺れが収まってから建物の中や外を確認して、壊れているものが無いか、ガスが漏れていないか、水は出るかなどを確認した。
外に置いてあった陶器の灰皿が割れていたくらいで、他はとくに被害はなかった。

その後2階に上がりゲストの様子を確認した。
みんな意外に落ち着いてた。

しばらくして電気が消えた。
外に出ると街全体が暗かった。

地震で目が冷めてから眠れずに何名かのゲストが起きてきた。
停電していることを伝えてロウソクに火を灯した。

「災害時の情報収集はツイッターが強い」
と誰かが言っていたのを思い出してひたすらツイッターで情報収集した。

収集した情報を「いえのひとたち」とLINEで共有した。

明け方になってようやく各交通機関の運行状況がわかってきた。
わかってきたというか、全部運休・欠航だった。

そのことを日本語と英語でそれぞれ紙に書き、張り出した。

2018年9月6日午前8時頃

外が明るくなり、眠っていたゲストたちも起きてきた。
張り紙を見たゲストたちは「全便欠航…」とか「Oh…」とか
声にならない声を漏らしていた。

相変わらず電気は止まったままなので、電動のミルやエスプレッソマシンは使えない。
それでもガスは使えたのでお湯を沸かし、手回しのミルで豆を挽いてコーヒーの提供をはじめた。

オーナーが出勤したので状況を伝えた。
とりあず自分は一旦家に帰れることになった。

宿のレンタサイクルを借りて家に急いだ。

豊平川の河川敷を走る。

いつもどおりランニングやウォーキングをしている人たち
釣りをしている学生たち
上裸で寝転がり日焼けしてる人たち
自分と同じようにどこかへ急いでいる人たち

それぞれ「地震のあった朝」を過ごしていた。

河川敷から幹線道路へ出る。

スーパーやコンビニ、ドラッグストアには長い行列ができていた。
信号は赤も青も黄色も点いていなかったけど、車も歩行者も譲り合って通行していた。
信号が無いほうがみんな安全運転になるんじゃないかと思うほど、車はゆっくりと走っていた。

2018年9月6日午前10時過ぎ

家についた。

食器棚の中が瓦礫の山になっていた。
キッチンは棚という棚から物が落ちて床が見えなくなっていた。
お気に入りだったファイヤーキングのマグカップが割れていた。
知り合いの農家さんからもらって自分で修理して使っていた古いレコードプレーヤーがひっくり返って床に落ちていた。

今までニュースでしか見たことがなかった被災した家の光景が
自宅の中に広がっていた。

でも「いえのひとたち」は全員無事だった。
本当によかった。

電気は止まっていたけどガスも水道も使えた。
念の為たくさん水を溜めておいた。

身支度や備えを一通り終えてからはひたすら娘と遊んだ。
娘は地震が起きたときのことを一生懸命教えてくれた。
怖かったのかな。今どういう状況なのかどれくらいわかってるのかな。
そんなことを考えながらもできるだけ笑顔で接した。

友達がうちに避難してきた。
みんなでお昼ご飯を食べて、昼寝をした。

みんながまだ寝ている中、娘の頭の下からそっと腕を引き抜き家を出た。

2018年9月6日午後2時半過ぎ

再び自転車でゲストハウスに戻る。

帰りは札幌駅の駅前を通って帰った。

相変わらずスーパーやコンビニには長い行列ができていた。
ガソリンスタンドにも車が長い列を作っていた。

いつもなら会話が聞こえにくいほどの大音量で音を出しているパチンコ店や家電量販店のスピーカーもこのときは沈黙していた。

聞こえるのは車の音、遠くで人が話す声、鳥の鳴き声、駅のホームに流れるアナウンスだけ。

途中で動いている自販機を発見してお茶と水を5本くらい買った。

ゲストハウスに着くと店の入口には「本日停電につき閉店とさせていただきます」と書かれた紙が貼ってあった。

中に入るとオーナーがおにぎりや味噌汁を作ってゲストに振る舞っていた。

街中の状況を伝えて、再び交代してオーナーは帰宅した。

オーナーが帰宅してからすぐ「ドリップコーヒーなら出せます」と書いた紙を店の入口に貼り、カフェを開けた。

SNSでカフェスペース開放宣言をして、断水で困ってる人や一人で不安を感じている人を夜通し受け入れることにした。

自宅も友達限定ではあるけど受け入れ宣言をした。

自宅も店も水は普通に使えるし、ガスも使えるし、スペースもあるしそれなりに食料もあったから、まわりで困ってる人がいたら受け入れるべきでしょ。だって受け入れられるんだから。
他のゲストハウスも絶対そうしてるはずだと思ったし、開放して受け入れるのが当然だと思った。

この日のチェックインはすべてキャンセル。
帰れなくなったゲストが延泊することになった。

夜になり外に出ると星空がとてもきれいだった。
することもないのでひたすら空を眺めていると流れ星が見えた。
ここで働いて5年。
この場所でこんなにきれいな星空を見たのは初めてだった。

2018年9月6日午後11時頃

友達が一人カフェに来た。
家は電気も止まって水も出ないそうだ。
その友達の友達も来た。
そのまた友達も来た。

真っ暗な店内でロウソクの明かりとLEDのライトが光ってる。

「どうせならみんなで飲もう」とワインを持ってきてくれた人がいた。
街も部屋も暗いけど、みんなでいると不思議と気持ちは明るかった。

ほんの少し空が明るくなってきた頃、みんなで店先に腰掛けて話をした。
自分は眠気が限界に達して体育座りのままいつの間にか眠っていた。

2018年9月7日午前4時過ぎ

「ブォーン…」

という音が聞こえた瞬間すぐに「電気だ!」と思って目を開けた。
眩しいくらいに街灯が光っていた。

「この道、こんなに明るかったっけ?」
誰に向けて言ったわけでもなく口から溢れた。

地震発生から25時間が経っていた。

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電気が使えるありがたさと、電気がないと何もできない弱さを痛感した1日だった。
こんなことを言うと不謹慎だということは承知の上で言うと、それでも心の何処かでちょっとだけ楽しんでる自分がいた。
もちろん備えの甘さや防災意識の低さが露呈して反省することだらけなんだけど。

きっと北海道の人たちは、ある意味命がけの厳しい冬を生き抜いているから、「あきらめ力」が高いのかもしれない。

「こうなったらしょうがない。楽しもう。」みたいな発想の人が多いように感じた。

単純に被害の度合いに差があっただけといえばそれまでなんだけど。

とにかくいろんなことを考えて、感じた25時間だった。

コーヒー1杯分くらいのサポートを頂ければ 夜寝る前と朝起きたときに感謝の祈りを捧げます。