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夏フェスは2010年代を凝縮した空間だ論

明日からライジング・サンロックフェスティバルに参加するということもあり、ここ数年の夏フェスに関して思っていた現代の文化潮流を凝縮している感を大きく三点にまとめた上文章にしてみました。

①モノ消費からコト消費へのハナシ
②夏フェスはロックフェスに非ず、楽しいのカタログ市のハナシ
③40年を凝縮した空間、音楽的教養アーカイブのハナシ

① モノ消費からコト消費へのハナシ
1983年浅田彰の「構造と力」など記号論と呼ばれる思想潮流が流行った時期がかつてあったが、かなりの意訳だがファッションやクルマなどを買うことは、自分を「あるブランドをきている人」「あるクルマに乗っている人」たらしめる記号化であるとした。しかし、バブル崩壊による消費の落ち込みや趣味嗜好の多様化などでアイテムにより自らの価値を高める価値観は廃れていく。特に震災以降、余計なものは持たないミニマリスト的な考えをもつ人たちも増えていく。この考え方は火災が頻発した江戸の町民が、身一つで動けるよう余計なものは持たない、所謂「宵越しの金はもたない」という美徳に通ずるのかもしれない。

モノ消費に使われていた財がコト消費へ向かう決定的な出来事がFacebookやInstagramに代表されるSNSの登場だろう。SNSは人々の生活を可視化させ、どれだけ文化的にアンテナを張っているか試される場になっている。それによってリア充と非リア充は分けられ、学校を出てもスクールカーストの評価軸で世界は続いていくこととなった。かつては高い時計という記号を買うことが、どれだけ強い記号を身につけているか選手権においての勝利だったが、今はセンスの良いとされるコト体験をし、自らを記号化させる方がイケてるとされる。自らの記号化に関しては筋トレや学び直しのブームなども同じと言えて、かつてオトナは社会に出た後は勉強も運動もしなかった。あまり必要がなかったのだろう、会社は終身雇用、出世は年功序列で人間としてのゴールはいいクルマに乗りマイホームを建て子供を育てることだった。逆に今、高価な記号をSNSに載せたところで自慢だ悪趣味だと鼻で笑われるかもしれない。

夏フェスがみんなが体験してみたいコンテンツとなった理由は、ロックフェスではなく夏フェスとして間口を大きく取ったことが大きいでしょう。詳しくは②を書く際にまとめたいと思います。今回はコト消費と記号論の話をメインに人の考え方の変化の話を自分なりに考えてみました。

#日記 #コラム #エッセイ #音楽

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