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勉強にハマると、働きたくなくなる

私の労働意欲は、いま、過去最低に近い。
働きたくない!!泣!!!

この場合の「働く」とは、
お金が発生する労働に限らず、
家事や子どものお世話など、
煩雑なルーティーン全般を指す。

働かずに何がしたいかというと、
遊びたいわけではなく、勉強がしたい。
(勉強も、遊びの一種と捉えると、
広義では遊びたいともいえるが…)

学生時代は、今思えば、
本当に贅沢で恵まれた環境だった。
最低限の衣食住は保証されており、
自動でご飯や清潔な衣服が出てくる環境。
親の管理下にあるから、
多少の不自由さはあるけれど、
「勉強したい」と親に言えば、
喜んで没頭させてくれただろう。
当時は、その貴重さが全く理解できなかったから、
無駄なことに時間を溶かしてしまった(後悔)。

「勉強」という言葉を聞けば、
高校受験や、大学受験の印象が付きまとう。
そして、大学進学の先には、「就職」の
二文字が見え隠れしていることから、
勉強と労働は近い場所に存在しているように見える。
しかし、本来は、全くの対極に位置している。

「school(スクール)」という言葉の語源は、
ギリシャ語の「schole(スコレー)」
からきているという。

「schole(スコレー)」には、
「暇」という意味がある。

古代ギリシャでは、
奴隷制度が存在していたので、
奴隷を雇える身分の人は、
「働く」ことを外注していた。
そうすると、その分、「暇」になる。
暇人たちは「schole(スコレー)」に集まって、
哲学などの学問に励んでいたことから、
「学校」という意味を持つことになったらしい。

つまり、暇だった学生時代は、
何も考えず勉強できるという点で、
本当に贅沢な貴族並みの生活だったのだ。
勉強以外のことは、奴隷というとアレだけど、
親がやってくれていたから(ありがとう…)。

ただ、学生時代の勉強は、
今、私がやりたいと思っている勉強とは
少し、意味合いが異なる。

学生時代の勉強は、
進学や単位取得などといった
目的達成のために、
いやいややらなくてはいけない
という状況が多い。

一方、大人になってからの勉強は、
自分の好奇心の趣くまま、
誰からも強制されずに行うもの。

本来は、学生時代に、
タスクとしての勉強と併せて、
自分がやりたい勉強も同時並行で
やれるのが理想だったんだろうなあ。
その時間も、じゅうぶんにあったはずなのに、
安いバイトや、後に何も残らない遊びで
時間を溶かしてしまった(後悔二回目)。

その後悔を払拭したくて、
余暇時間のほぼすべてを、
狂ったように勉強に投入
している。
が、「働く」時間が長すぎて、
思ったように勉強時間が取れないのが、
今の悩みである。

しかも、過去にサボったツケとして、
趣味的な勉強以外に、
タスク的な勉強(簿記二級の勉強)もあるので、
ボリュームが多すぎて涙が止まらない。

ああ、奴隷…は色々問題があるので、
お手伝いさんや、
家事全般できるロボットが欲しい!!

古代ギリシャの事情とは違い、
現代では奴隷制度はないけれど、
資本主義の「奴隷」になっているとすると、
(そういう言葉を聞いたことがある)
昔も今も変わらないのかも。

働く ≒ 奴隷 に思えてきてヤバい笑
たとえば、高収入の社長やスポーツ選手は、
資本主義の奴隷制度(?)とは無縁に見えるが、
働かないといけないことに変わりはない。
むしろ、関係者の数が多いから、
働くことを、簡単にはやめられない可能性も…

どうやったら奴隷をやめられるか(?)
壮大だけれど重要な、人生の難題ができてしまった。


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