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秋桜と日本酒 #シロクマ文芸部

「秋桜っていう日本酒があるの知ってる?」
 今井部長が僕に訊ねる。
 知りませんと答えると、岐阜のお酒であること、それと「秋櫻」という漢字の方で広島にもあることを教えてくれた。
 部長のお猪口が空になったので僕は両手でお酌する。「おかわり頼みますか?」部長に伺うと、「次は違う日本酒にしようかな」そう言って部長はメニューを手に取った。

 入社3年目の僕が部署移動となり、そこで出会ったのが今井部長だ。男勝りの性格だなんて表現すると部長は怒るだろうが、常に的確な指示を出し、問題解決能力も長けている。仕事に対する熱量も高いが、感情的になることはほぼない。そんな上司を僕は尊敬している。
 たがお酒が入ると部長はプライベートモードになる。平たく言えば砕ける。そして時に、砕け過ぎる節がある。僕はそのギャップが嫌いではなかったので、積極的にお酒の席にも顔を出した。しかし周りの社員、特に若手は体よく断ることが多く、それもあって僕は個人的にも誘われるようになった。

「秋桜は無いけど、蒲公英たんぽぽって日本酒があるよ、これにしよう」
メニューを閉じて部長が宣言したので、僕は店員を呼んで注文した。花より団子という言葉があるけれど、この場合は花よりお酒と言うのだろうか。一緒に日本酒を飲むかと部長に誘われたけれど、僕はウーロンハイでいいと断った。
「上司のお酒を断ると出世できないぞ」
 冗談交じりに部長は言ったが、今の時代アウトの発言だ。正直この発言だけではなく、この1時間でアルハラ、モラハラに関する発言が5回は出ている。僕がそれを指摘したり大事にしないのは、ひとえに僕が部長のことを好きだからというだけであって、現に他の若手社員はこれが理由で酒の席を断っている。
 この手のハラスメントの線引きも曖昧だよなと僕は思う。事実、同じセリフでも許す許さないが生じるし、好き嫌いで感じ方が違うものを処理するのは難しいと思う。

「だから彼女できないんじゃない?」
 それにしても今日はひどい。僕もあきれ顔になりそうだった。むしろ、他の社員に聞かれなくて良かったと安心したくらいだ。
「部長、今日は珍しく顔が赤いですよ。疲れてますか?」
 あくまで僕はお酒のせいでおかしな発言してますよと、遠回りの指摘を心がけるが、たしかに今日の部長は酔っている感じがする。
「まぁ、僕なんか仕事もイマイチですし、そりゃ彼女もできないですよ~」間髪いれずに僕は自虐コメントをかぶせた。学生時代から僕はイジられ慣れているので、この手の返しは苦手じゃない。
 すると部長は顔を上げ、僕の目を見てこう言った。
「坂本君はまだ仕事のやり方に慣れてないだけでイマイチじゃないよ。素直だし真っすぐだし、今のままでいいと思う。あとはやり方さえ覚えれば仕事なんてすぐ部署の先輩を追い越せるよ」
 仕事場でも酒場でも言われたことのない内容だったので、お礼の言葉が出てくるまで間が空いてしまった。
「ありがとうございます」僕が頭を下げてそう言うと、「ごめんごめん、仕事の話はやめとこう。それで坂本君はなんでモテないんだっけ?」と、笑って答えた。

「そういう部長はどうなんですか?」
 普段は到底できない質問だが、流れにまかせて訊いてみた。
「私? 私はほら、仕事が恋人みたいなものだから」そういって部長は日本酒を飲み干した。
「部長、それはズルいですよ。今日は少し教えてくださいよ!」
 お酌をしながら僕はドキドキしていた。何度も言うが僕は部長が好きだ。好きというのは人間的にはもちろん、女性としても好きだという意味だ。なので、ずっと出来ないと思っていた質問をこのタイミングで訊いてしまっているのだからドキドキするのはしょうがない。

「私は……もういいんだ。どうせ報われないし」
 僕だって子どもじゃない。今の言い方と間で、部長が過去もしくは現在、よからぬ恋愛をしていたのだろうと察した。だが、その後の言葉が続かない。詳しくその話を聞くことも、駄目ですよと注意することも出来そうもない。それは自分が部下だからではなく、男として勇気がない理由だと分かっていた。
「僕もその日本酒いただいていいですか?」
 たまらずにそんな返しをした。
「うんうん、飲みなよ」部長がそう言うので、僕は店員さんからお猪口をもらい部長に注いでもらった。
「お酒強くないんだからゆっくり飲みなよ」
 部長がそう言うと同時に僕は一口で飲み干した。
「えー、大丈夫?」部長が笑いながら訊ねる。
「うっ」そう言って僕は口を押さえて顔を伏せた。
「え? 大丈夫?」今度は心配そうに僕の顔を確認しようとする。
「う、う……」しっかりと僕は時間をためる。
「うまい!」そう言って笑顔で顔を上げた。
「なにそれ〜」部長が笑った。
 あまりにもベタすぎるネタだが振り切ってやったことでうまくいった。

 目の前で部長が笑っている。
 花のように笑う人だなと思った。
 何の花だろう?
 ああ、秋桜のように笑っていると僕は思った。


(了)






今回もこちらの企画に参加させていただきました。
毎回お題に対して考える作業が楽しいのですが、お酒を絡めることが多いなと自分でも感じています。
単に自分がお酒好きという理由でしょう。

今日もこれから飲む予定です。
よろしくお願いします。




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