月とコルトレーン #シロクマ文芸部
月めくり
不可逆の街並み、忘却の彼方に
砂嵐
赤壁の悲しみにワイバーンが燃ゆ
稲光
大海の静寂、コルトレーンの夜
月めくり
闇の鼓動が街並みをめくる
「ケンジくん、なにしてるの?」
俺のお気に入り、二人掛けの赤いソファーに座ってるミドリさんが訊ねる。
「作詞してる」
青の大学ノートにボールペンで書きながら俺は答えた。
「ふーん、終わったら飲もうよ」
そういうミドリさんは既にウイスキーを飲んでいた。
ノートパソコンは持ってはいるが、やはり作詞は手書きに限る。バンドのボーカルをやっている俺は作詞担当だ。うちはいわゆる詞先の作り方で、できた歌詞をギターに渡しメロディをつける。メロディといってもロックバンドなので、ほとんどがコードに合わせて「がなる」感じだ。そう、俺らは『ミッシェル・ガン・エレファント』に憧れてバンドを組んだのだ。
「次のライブいつだっけ?」グラスを回しながらミドリさんが訊く。
「10/13の金曜日」
「へー、見に行くよ」スマホも確認せずにミドリさんが答えた。
ミドリさんとはライブの打ち上げの居酒屋で出会った。
別の席で飲んでいたミドリさんが俺らの席に乱入してきて、あっという間にその場の空気を握った。バンドメンバーは1時間足らずで「姉さん、姉さん」となついてしまった。
その後何度かライブにも来てくれるようになり、気が付いたら俺のアパートにも我が家のように出入りしている。だけども付き合っているわけではない、たぶん。
「あのドラムの子、辞めさせちゃいなよ。8ビートもキープ出来ないのは致命的だよ?」
酔っているのか、ミドリさんがそんなことを言った。
「ミドリさん、勘弁してくださいよ」あっ、と思い言い直す。
「それは勘弁してよ、あいついい奴なんだよ」
ミドリさんは敬語を使うと怒る。他の奴は敬語なのに、俺が使うと怒るので気をつけて発言している。
「そう、まぁいいけど。ノート見せてよ」
そういって俺のノートを取り上げた。
「コルトレーンって、ジョン・コルトレーンでしょ?」
「そうです、あ、そうだよ」
「確かにコルトレーンって月が似合うね。うん、チャーリー・パーカーよりは似合う」
そう言ってミドリさんは窓の外の月を見た。今夜は満月だった。
「ねぇ、作詞してるとこに音楽かけたら邪魔だよね?」ノートを返しながらミドリさんが言った。
「いや、もう目途がついたから今日は止めるよ」
「じゃ、飲みながら音楽聴こう」ミドリさんは我が家のように冷蔵庫からビールを持って来た。
ミドリさんはテレビが嫌いだ。
俺は一人の時はほとんどテレビをつけているのだけど、ミドリさんがいる時はそれが出来ない。
「じゃあ、コルトレーン聴こうよ」
「いや、持ってないんですよ」俺は正直に言った直後、敬語なことに気が付いた。
「えっ? 持ってないの? なのに歌詞にしてるの?」
ミドリさんは敬語よりそちらの方に食いついた。
「ええ、なんか響きがカッコイイというか、文学的じゃないですか?」
ミドリさんは映画も音楽も詳しい。俺はと言えば大好きなロックばかりで、確かに知りもしないのに響きだけで歌詞にしていたことは分かっていた。
「あのね、ケンジくん。馬鹿にしてるわけじゃないし誤解しないで聞いて欲しいんだけど、ケンジくんのそういう浅いところが好きだよ。なんて言うか、すごくロックだよ」
そう言ってミドリさんは笑った。優しくて、少し悲しげな瞳で、それでもたしかに笑っていた。
「でも、ジャズも一枚持ってるよ。マイルス・デイヴィス、有名なやつ聴いてみようと思って買ったんだ」CDラックから俺はそれを取り出した。
「カインド・オブ・ブルーじゃん! それコルトレーンが参加してるよ、聴こう聴こう」
スピーカーから一曲目が流れる。
ミドリさんはウイスキーを飲みながら窓の外の満月を眺めている。俺は缶ビールを飲みながらその横顔を眺めた。
正直どれがコルトレーンの演奏か分からなかったけれど、たしかに月に似合うなと思った。
ミドリさんは今日泊まっていくのだろうか。確認をしていないので分からない。彼女は泊まっていくと次の日の朝、必ず小遣いを置いて帰る。それは受け取れないと毎回拒むのだが、裸の一万円札をテーブルに置いて出ていくのだ。
「ねぇ、知ってる? コルトレーンは40歳で死んだんだよ。今の私と同じ年なんだ」
満月を眺めながらミドリさんはそう呟いた。
俺はなんて答えていいのか分からず、「俺もウイスキー飲もうかな」とキッチンに作りに行った。
戻ってくるとミドリさんはまだ月を見ていた。おそらく今日は泊まっていくつもりだろうと感じた。
「でもこのアルバムはビル・エヴァンスのピアノがいいわね」
CDは4曲目になっていた。テナーサックスの音が響く。これがコルトレーンのソロだろう。
俺はミドリさんと同じ満月を眺めた。
(了)
こちらの企画に参加しております。
実際に「カインド・オブ・ブルー」を聴きながらこれを書きましたが、曇り空で満月を確認できなかったのが残念です。
今回も素敵な企画をご提供いただき、ありがとうございます。
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