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シューズ修理とアップデート

我が家には履けなくなってしまったスニーカーやブーツがそのまま、玄関にある。

その時点でサヨナラすれば良いのだろうけど、そうできないのが収集癖ある人間の性。
この手の事に理解のない方々には不要物にしか見えないだろうけど、それぞれに思い入れやらなんやらあったりしてあっさり手放すにはどうしても踏ん切りがつかない。
数にして10足ていど。狭い玄関の占有率にしてはまあまあなパーセンテージを誇る。

一人暮らしで来客なんて年間片手で足りるからまるで困らないけど、誰かと生活を共にしていたら文句を言われること請け合い。
しかもそれだけならかなり救われている方で、ちょっとした外出なり仕事へ行っている間に消えているなんてパターンはよくあるようだ(既婚の友人やお客様から何件も報告事例がある)。
そういう行動に及ぶ気持ちも理解できないでは無いが、人が大切にしている物に対してなんの断りもなく行動に移るのは人道に悖る。
どうにかしたい、と思う方は話し合うべきです。

偉そうに話が逸れてしまった。閑話休題。

つい先日、気に入っていたスニーカーがまた一足ダメになってしまった。
そろそろ真剣に考えなきゃなまずいなあ、と検討し始めた時、修理してくれるところが市内にあったのを思い出した。
スニーカーを修理してもらったことなど無いので、また履きたいといちばん思っていたスニーカーを2足、おそるおそる託してみることにした。
お値段はやはりそこそこで、購入額とほぼ同額か、なんなら上回っていた気もする。
それでも履き続けたいと思った物だから良いのだ。

めでたしめでたし。あとは帰りを待つだけ。

…とはならなかった。

「これは感性的にどうなんだろう?」

たしかに直してまで履きたかったものをそうするのは良い。単純に嬉しい。
しかし、感性なりセンスなりのアップデートができていないのでは?
以前、noteのどれかに書いたように、この行為は「己が匣の中のモノを愛でているだけ」だ。
それはつまり守りに入っているということで、もっと書けば”年寄り”ということと同義ではないか?
我ながら痛いところに気付いてしまった。
いや、気付けただけまだマシだったのかも。
まだ前に進める可能性をほんの少し、持っているのかもしれない。


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