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1978年のJack Daniel

「顔つき合わせて飲みたいなあ」と、ふと思っても社会に出ると状況がなかなかそれを許してくれなくなる。
学生時代なら都合が合えば当日、遅くともその週末くらいには約束して飲みに行けたものだ。
だけどお互いそれなりの歳になり、それなりの立ち位置になり、家庭を持ったりすれば事がすんなりと運びはしない。
そんなわけでたまにメールなどで「飲もうよ」などと送ってもそれがあっさり立ち消えて早数年、顔を合わせられずにいた友人がふらりと飲みにきてくれた。

彼との付き合いはけっこう長い。かれこれ20年近くになるのではないだろうか。或いはそれより長いかもしれない。そりゃ歳もとるわけだ。

お互いのざっくりとした近況はSNSを通じてなんとなくは見えていたけど(いやはや便利な時代である)、やはり生活のとても微細な小片をたかがスマートフォンの画像ごときで垣間見るのと会って話すのでは当然、天と地ほどの違いだ。
カウンターを挟んでだったから、あまり込み入った話はできなかったけれど、顔を見て話せるというのはそれでも実に楽しく良き時間だった。

出会った頃は共にまだ20代。同じ町に住み、同じBARで飲んでいた。
どういう経緯で言葉を交わすようになり、酒杯を酌み交わすほどの仲になったのか。
そのきっかけについてはもうほとんど記憶にない。ただ、同じような時間帯にそのBARのカウンターに座り、飲んでいたのは覚えている。とは言え、申し合わせて行ったことなどほぼなかったはずだ。

そしてお互い飲んでいたのはだいたい決まっていた。Jack Daniel’s old No.7。

お財布に優しく、それでいてガッチリ喉に絡みつくそれはいかにもウイスキーを飲んでいる、という感覚を味わわせてくれた。
−これはある意味でアメリカン・ウイスキーの真髄であると思う。

そのJackを飲んで酔いの回った、饒舌になった舌でどんな会話をしたのか、それももう覚えていない。
グラスの中身と共に干してしまった。
あのBARのカウンターに肩を並べて座り、何杯のアレを干したのか。どれだけどうでもいい、寝て起きたら忘れていたような会話をしたのか。
それは酒場の戯言、というのがぴったり来るような会話だったと思う。そして、そこにはほとんど必ずJackのストレートがあった。
だからあの酒への思い入れは強い。

でも−いや、それ故−BAR TooLのバックバーにJackは無い。

40°になって以降、僕自身が全く飲む気になれないというのがその最大の理由だ。
僕にとって、JackがJackであったのは43°の時代である。
たまにそれか、それよりも前の時代のものが手に入れば開けるけど現行流通のものはどうしても置く気になれない。
飲みたくないものは見たくもない。それが思い入れのある物なら尚のこと。

彼が来てくれた時はとてもタイミングが良かった。
1978年のJack Danielが手元にあったのだ。
数年ぶりの再会、加えて彼が結婚したのは知っていたから(これもSNSのおかげだ)遅れに遅れたお祝いということで開けない理由は何ひとつ見当たらなかった。
どちらの生まれ年でもなかったけど、二人とも”70年代生まれだから”というのを大雑把な括りとし、そして互いを繋いだ最大の共通項で祝杯とした。実にめでたい瞬間であった。

40を越えてくると白よりも黒いネクタイを結んで出席する場が格段に増えてくる。そんな中で白いそれを結べる−或いはそういう心持ちにさせてくれる−瞬間があるというのはとても素敵な事だ。

開けるチャンスを見計らっていた1978年の、もうボトリングされて42年が経過したJackにとっても良いタイミングであったと心から思う。

残念ながらあのBARはもうないけれど、どこかのBARのカウンターで肩を並べて、あの頃のように飲みたいものである。近いうちに。


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