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全3回、会津の歴史に旅しよう。第1回「会津まつりと街の魅力」(2023年11月9日)

※2023年11月9日に開催したイベントのレポートです。

あなたが会津と聞いて、思い浮かべるのは?

会津塗?赤べこ?歴史好きなら、幕末~明治の佐幕派の戦いでしょうか。

私たちがまだまだ知らない、会津の歴史と魅力。語っていただくのは、BAR IAPONIA共同オーナーのひとり、矢島景介さんです。

資生堂・リクルートと一流企業でキャリアを積みながら、NPO法人「六韜塾」や中学受験生向けの歴史ブログの運営などを通し、歴史・人類学研究をライフワークとして実践。

ご自身のルーツでもある会津について、全三回にわたりご紹介いただきます。

「今日は観光編。会津の歴史というとやはり幕末期の動向が濃いので、こちらは次回に。それ以前の歴史と、街の魅力をゆるりとお話ししていきたいと思います」

会津の歴史を一気におさらい。縄文~戦国、江戸初期

会津の歴史は古く、縄文時代まで遡ります。

出土する土器の特徴や方言の分布から、縄文時代の奥会津周辺にはすでに一大文化圏が形成されていたと見られるのだとか。

そして、「会津」という地名の由来は古事記に。

崇神天皇の時代、大和朝廷が遣わした4人の将軍のうち、東北方面へ向かったタケヌナカハワケノミコトと、北陸方面へ向かったオホヒコノミコトが落ち合った場所であることから、この名がついたとされています。

「意外と古い時代から街も形成されていて、朝廷とのつながりもあった場所なんです」

平安時代には、徳一聖人によって広く仏教が伝えられました。

この徳一、最澄・空海と並ぶ高僧なのですが、中央を離れて民間への説教に努めたという、後の鎌倉仏教のスタイルのはしりとも呼べる存在です。

そして鎌倉~室町時代、会津で活躍した人物といえば蘆名盛氏。

蘆名氏は相模三浦氏から派生した一族であり、16代当主の盛氏は奥州の名君として、福島全域120万石を治めました。

しかし、息子・盛興の代からその勢いは失われてしまいます。

そこへ現れるのが、かの伊達政宗。秀吉に呼び戻されるまでのおよそ1年と短い期間ながら、会津を支配していました。

では、その後戦国の会津にて台頭したのは?ここで名前が挙がったのが、蒲生氏郷です。

「政宗への対抗勢力として会津に置かれたので、同レベルの力をもつ人物と考えてよいと思います」

氏郷はキリシタン大名で、利休七哲のひとりでもありました。千利休が切腹した際はその子をかくまい、後の表千家・裏千家存続に貢献しています。

築城能力や行政能力にもすぐれ、商人を誘致し、会津におけるビジネスの基盤を築いたのもこの氏郷。

優れた人物だったのですが、40代の若さで亡くなったため、残されている記録はさほど多くありません。

戦国時代はその後、越後から上杉景勝がやってきており、石高は縮小したものの、米沢との交流も生まれました。

そして江戸幕府が開かれて間もない1631年、会津を支配したのが加藤明成ですが、これがなんとも悪名高い人物。

領民を殺す、年貢を過剰に取り立てるなどの悪政をはたらき、古くからの家臣との衝突の末、10年でお取り潰しとなっています。

江戸、そして幕末へ。今なお残る会津の礎を築いたひとびと

さて、江戸時代。会津にひとりの名君が現れます。

「保科正之公。会津中将と呼ばれ、今でもその教えが会津に残る人物です」

徳川家光の異母兄弟であった正之は、高遠のはずれで貧しく過ごしていたところ、偶然その存在を知った家光に取り立てられました。

4代将軍家綱の時代にも幕政を切り盛りし、天明の大火災の折には人命救済を優先して江戸城天守閣の再建に反対するなど、善政を行ったことで知られています。

正之が残した言葉、「ニ君に仕えるものはわが子孫にあらず」は会津のひとびとに深く刻まれ、その後幕末まで続く”幕府を絶対に守る”という忠義の根本をつくった人物です。

江戸中期になると、天下の三家老に数えられる田中玄宰が、優れた経済政策を実施。

藩の財政を立て直すために、会津塗、高麗人参の栽培、蝋燭づくり、酒造などの産業を奨励し、それらは現在の会津名産にもつながっています。

さぁ、会津へ出かけよう。年に一度の大イベント、会津まつり

会津の歴史を知ったところで、いよいよ、本日の主題「会津まつり」へ。

1928年からはじまった、年に一度の会津の大イベントです。

2013年からは大河ドラマ『八重の桜』主演の綾瀬はるかさんが毎年ゲストとして参加しています。

コロナ禍では例にもれず中止・縮小を余儀なくされていましたが、2023年、ついに完全復活。メインのひとつ、”藩公行列”も完全版で行われました。

藩公行列とは、伊達政宗など本日も名前があがった会津に縁のある武将や偉人たち、さらには白虎隊、新選組などに人々が扮し、街中を舞台に舞踊や殺陣、演舞などを披露するもの。

中でも演舞の盛り上がりは特徴的なようで、剣術や薙刀はもちろん、本物の火縄銃まで登場します。

矢島さんによれば、ここには会津の地域性が表れているのだとか。

「日本の中でも、ここまで大々的に武術を披露する場は珍しくなってきていると思います」

普段から武芸が身近な街である会津には幅広く武術を学べる場が街中にあり、それを目的に海外から留学生もやってくるそうです。

また、保科正之の教えにはじまり、幕末の志士たちが貫いた士道は、技術だけでなくその魂も今なお会津の街に息づいているといいます。

そんな伝統を重んじる一方で、新しい団体の参加や現代風のパフォーマンスも増えているとのこと。

コロナ禍を経てなお、今後へ向けての一層の盛り上がりも予感させる、熱気にあふれたお祭りであることが伝わってきます。

まだまだある、会津の魅力

ここまで聴くと、はやく会津にいきたい!会津まつりをこの目でみたい!という気持ちに。しかし、残念ながら次の開催は来年9月…

ということで、お祭り以外に楽しめる会津のおすすめも矢島さんが教えてくれました。

名所

まず外せないのが鶴ヶ城。築いたのは、矢島さん一押しの蒲生氏郷です。

「雪景色もいいですが、桜の鶴ヶ城もいいなぁと思います。天守閣がここまでしっかりあるお城もなかなかないので、見応えがありますよ」

ほかにも西郷頼母の武家屋敷や、昔の街並みが保存されている大内宿(ネギで食べる高遠そばが人気)、土方歳三も逗留したという東山温泉など、歴史につながるスポットが見どころです。

食べ物

山国である会津の郷土料理では、山菜など少し珍しい素材が使われます。

朝鮮人参の天ぷらに、鯉のうま煮、こごみ(山菜)、馬刺し(醤油に辛子味噌を溶かしたものをつける)、鰊の山椒漬けなどなど…

中でも矢島さんのおすすめは、ホタテの貝柱のダシで豆麩や山菜などを煮込んだ「こづゆ」。家庭では「ざくざく」と呼ばれているそうです。

日本酒

江戸中期に田中玄宰が経済政策で推進した酒造り。今でも、日本酒は会津の名産です。

この日は矢島さん自ら、会津の日本酒「廣戸川」と「会津娘」をIAPONIAへ持ってきてくださっていました。

廣戸川は、G20の広島サミットでもふるまわれたもの。会津のお酒は都内ではなかなか流通が少なく、高額な品も多いそうです。

歴史、祭り、文化…とたっぷり語られた会津の魅力。この1時間で、見たいもの、行きたい場所、味わいたいものがたくさん出来ました。

次回は激動の幕末史。佐幕派からみた”幕末”とは…?さらに奥深い会津へ、好奇心が募ります。

BAR IAPONIA公式サイト


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