恋は横

『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』全文公開⑨昔はモテた私

 ゴールデン・ウイークの渋谷は観光地としての表情を見せる。多くの人たちが「一度は渋谷に行ってみたい」と思ってくれるのは渋谷で店をやっている人間としてはとても嬉しい。誰かの五月の休日の思い出が渋谷の風景になるのは誇らしい。

 街の雑踏を感じる音楽を奏でるアーティストは誰だろうと、しばらく考えてみた。

 イギリスにエブリシング・バット・ザ・ガールという男女二人組のグループがいる。彼らはミュージック・ヴィデオ全盛時代の一九八〇年代にデビューしたが、二人とも音楽や文学が好きそうな内気な雰囲気だった。八〇年代の派手で華美な空気の中、それが逆に新鮮で全世界の繊細な若者たちの心をとらえた。

 そんな彼らは四枚目のアルバムで『ラブ・イズ・ヒア・ホエア・アイ・リブ』という曲を歌っている。「自分の場所はここ、愛はここにある」という歌だ。

 私がそのレコードをかけていると、バーの扉が開きベレー帽にスカーフ、ボーダーの長袖Tシャツを着た女性が入ってきた。

 年は四十歳くらいだろうか。目は大きくて唇は小さくてぷっくりとしている。おそらく以前はずいぶん綺麗だったんだろう。

「どうぞ」私がそう伝えると、彼女は少し不安そうな笑顔を見せ、カウンターの一番端の席に座った。

「私、お酒飲めないんですけど、どういう風に注文をすればスマートですか?」

「実は、バーテンダーとしては、お客様にバーならではの空気を味わっていただきたいので、ウーロン茶なんて注文されると寂しいなあと感じます。せっかくバーテンダーがいるんだから、バーならではのノンアルコール・カクテルなんていかがでしょうか」

「なるほど。じゃあ何かおいしいノンアルコール・カクテルをお願いします」

「かしこまりました。ケーキやチョコレートに入っているくらいのほんの少しのアルコールでしたら大丈夫ですか?」

「そのくらいでしたら大丈夫です」

「ではフロリダというカクテルを作りますね」

「それはどんなカクテルなんですか?」

「アメリカに禁酒法時代というのがあったのはご存じですよね。その時期、ビターズという薬草酒だけは医薬品として輸入できたので、当時のアメリカでも普通に流通していたんです。

 そのビターズを少しだけアクセントに加えるカクテルのスタイルで禁酒法時代に誕生したのがフロリダです。オレンジ・ジュースとレモン・ジュースと砂糖、そこにビターズを二滴たらして、シェイクします。アルコールは二滴だけですからほとんどノンアルコール・カクテルです」

「二十世紀前半の禁酒法時代にアメリカで誕生したカクテルですか。本格的ですね。楽しみです」

 私はちょっとハードめにシェイクし、柄の長いショートカクテル・グラスに注ぎ、彼女の前に出した。

「ああ、カクテルですね。おいしい。なんだかすごく大人になった気分。あ、私、十分大人ですよね」

 そう言って笑うと、彼女はこんな話を始めた。

「私、大学が青学で、ここのすぐ近所に通ってたんです。その頃、渋谷系全盛時代で、サークルでもバンドをやったりDJパーティをやったり、フリーペーパーを作ったりしてました。私、自分で言うのもアレですが、結構モテたんです」

「わかりますよ。すごくモテそうな感じがします」

「ありがとうございます。私、そのサークルで一番お洒落で人気のある高野くんと、センスはいいけど真面目でちゃんと大学の成績も良かった平野くんの二人に言い寄られたんです。

 平野くん、静岡でお父さんが日本中誰でも知っている企業の社長をやってて、その会社を継ぐことが決まってたんです。

 私、安定志向だから、平野くんの方を選んでしまって、大学を卒業したら、静岡で結婚して、専業主婦になっちゃったんです。

 子供は息子が二人出来たんですけど、主人の平野くんはすごく忙しくて、私はお義母さんと一緒に息子たちの教育や進学のことばかり考えて暮らしました。息子たちもいずれは会社を継ぐって決まってるから、小さい頃から英語をやった方が良いから留学させようとか、いろいろとあるんです」

「大変そうですね」

「はい。私、最近、フェイスブックを始めたんですね。別にそんなに利用する気持ちはなかったんだけど、名前を登録したら『この人は友達じゃないですか?』っていっぱい出てきて、あっという間に昔の大学の頃の友達と繋がっちゃいました。

 もちろん、私のことを大好きだった高野くんとも繋がりました。高野くん、卒業後は広告の仕事をしてたんだけど、今は私には全然わかんないITの会社を経営していて、難しいマーケティングの記事なんかをしょっちゅうシェアしているんです。

 私は、子供が高校に受かったり、留学が決まったりしたら、みんなに報告がてら投稿してたくらいなんですね。

 そんな私の投稿へのみんなからのコメントが【聡美やっぱりすごいね。勝ち組だね】っていうのが多くて、『そんなものなのかなあ』って思ってたんです。

 高野くんは私の投稿した記事には必ず【いいね】を押してくれて、『ああ、やっぱり私のことをずっと見てくれてるんだなあ』とわかって、たまにメッセージも送って【どうしてる?】なんてやり取りはしてたんです。実は高野くんとは学生の時、キスまではしたことあったから、なんかその時のことがずっと頭にあって、まだちょっとだけ恋心が続いているような気持ちでした。

 そうこうしていると、みんなで、ゴールデン・ウイークに青山の小さいレストランで久しぶりにパーティを開こうということになったんです。

 主人に言ったら、『ええ? みんな懐かしいなあ。でも俺は忙しくて無理だから、聡美だけ行っておいで』って言ってくれて、久しぶりに東京に来ることになりました。

 私、専業主婦になってからは子供のことでいっぱいでPTAで着るような服しか買ってなくて、どうもわからなくて、昔着ていた服をひっぱりだして、その青山のレストランに行ったんですね。

 東京は十八年ぶりだったんです。もう全然変わってて、知っているお店は全部なくなってて、浦島太郎みたいな気持ちでした。

 パーティ会場のレストランに入ったら、みんながいました。

 私は誰が誰だかすぐにわかったから、『うわー、絵里子久しぶり』とかってみんなに言って回ったんだけど、みんな『聡美だよね。なんかすごく変わったね』しか言ってくれないんです。

 そういうサークルだったから、みんなそれぞれマスコミ業界で働いていて、面白いイベントの話やITの新しいサービスの話なんかで盛り上がっているんです。

 私は昔の思い出話しか出来なくて『あの時、カラオケに行って、フリッパーズ・ギター歌ったよね』とか話すんですけど、結局みんな今の仕事の話に戻ってしまうんです。

 高野くんにも会いました。実は高野くんに今日、誘われたらどうしよう、あのキスの続きがあったらどうしようとかずっと考えながら、来ちゃったんです。

 高野くん、私を見て『聡美、お母さんって感じになっちゃったね』って言うんです。

 私、高野くんがこっそり『この後、二人でどこかバーにでも行こうか』とかって言ってくれるんじゃないかとドキドキしていたのですが、全然そんな気配もなくて、高野くん、ひとことふたこと話したら、また輪に戻っていきました。

 私も追いかけて入ったのですが、『聡美は勝ち組だよねえ。○○の次期社長夫人だもんねえ』って言うだけで、それ以上、まったく盛り上がらないんです。

 みんなそれぞれ仕事があって、新しい企画やサービスの話題ばかりで、私、居場所が全然なかったんです」

「なるほど。そうですか」

「トイレに行って、鏡を見たんです。やっぱり私だけすごくオバサンで、服や髪型やメイクもみんなとはちょっと違うんです。大学の時、あんなにモテたのに、どうしてこんなになっちゃったんだろうって。

 トイレから出たら二次会の話になってました。私、もうこの後みんなと一緒に過ごす自信がなくなっちゃって、『主人や子供やお義母さんが気になるから』って帰っちゃったんです。

『本当に聡美みたいな人生が一番だよ』って口々に言ってくれるんだけど、何か違うんです。

 ホテルの部屋でこのまま一人っきりで、投稿される楽しそうな二次会の写真を見てたら、自分の人生を疑っちゃいそうで、外に出て歩いてたら目についたこのバーに入ったってわけなんです。マスター、私、本当に勝ち組なんでしょうか?」

「いろんな人をたくさん見てますけど、みんな聡美さんみたいな人生を羨ましがってますよ」

「そうなんですかね。私、明日することと言えば、実家のみんなにお土産を買わなきゃいけないってことだけで、行きたいお店なんてないんです。これで良いんですか?」

「お土産を買わなきゃいけない人がたくさん待っているって幸せだと思いますよ。お義母さんともうまくいってるみたいだし、息子さんも元気なんですよね。良いじゃないですか」

「ですよね。そうなんですよね。私、大学を卒業してその後ずっと静岡の小さい世界で子供とお義母さんとの生活に追われてて、東京であの後流行ったお店とかクラブとかなんにも知らないんです。インターネットのことも全然ついていけないし。

 今、気になっているのはお土産はどこで買うのが良いのかなあってことだけなんです。

 マスター、私、すごくモテたんです。たぶん高野くんを選んでいたら、今、東京ですごく楽しく過ごしていたかもしれないんです」

「高野さんと結婚してたら、たぶん、平野さんと結婚してたらどうだったのかなって想像していますよ。静岡なら新幹線ですよね。お土産はやっぱり東京駅の大丸ですか? それとも新宿の伊勢丹なんかも良いですね」

「そうですね。私、ホテルに今から帰って、主人とお義母さんに電話します。お義母さん、お土産何が良いか聞いてみますね。お会計してください」

 そう言うと聡美さんは支払いをすませ、素敵な笑顔を見せ、お店を後にした。聡美さん、昔は本当にモテたのだろう。

 バーではエブリシング・バット・ザ・ガールがずっと「自分の場所はここ、愛はここにある」と歌っていた。

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#小説 #恋愛

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