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47歳になっても学んでばっかりです(「創るプロジェクト&佐渡マイプロ」の発表会に参加して)

47歳の誕生日に「創るプロジェクト&佐渡マイプロ」の発表会のアドバイザーとして呼んでいただいた。
おかげさまで若い人たちの貴重な話を聞く事ができ、有難いことこの上ない。
声をかけていただいた地域おこし協力隊の五百川さんにも感謝しかない。

中・高・大学生の「やってみたい」や「解決したい」に取り組んだプロジェクトの発表だったのだけど「アドバイス必要?」と思うくらいの仕上がりで驚いた。


同じくらいの年の頃、僕は何してたかな。
踊って、青少年センターの半地下でたむろして、隣の土手でダラダラ過ごしていただだけのような…。(それはそれでとても大切な時間だったけど)

そんな僕からしたら感心するばかりだ。

各プロジェクトの発表を受け、アドバイザーと発表者との対話。
それぞれ担当するプロジェクトは決まっていたのだけど、出だしの僕は日和った…というか、どこまで聞くか、迷いと遠慮に邪魔されて踏め込めなかかった。それが、結局発表者の良さを引き出せなかったというのは心残りだ。

だから、担当以外のアドバイザーの意見も聴けた事も良かったなあとは思う。

空気を変える助けになったし、こういう場合、複数の視点からのアドバイスがあった方が発表者にとってもメリットが多いと思う。

後半少しづつ自然体になれたと思うけど、貴重な対話の機会を振り返るとやはり勿体無い事した…と思ってしまう。

その煮え切らない気持ちは「もぐもぐタイム」というテーブルに分かれてじっくり発表者と話す時間で少し満たされた。

こんな事考えてたんだ。
ああ、わかる!
それ、めちゃくちゃ面白いね!

発表の時間での内容を更に深掘りできたり、認識が違ったところを正せたり。
自分自身が知らずに持っていた壁も崩してもらえた。

対話はやはり、踏み込んで本音で話してこそだ。

ただ、関係性とか色々な事情でいきなり踏み込むのはなかなか難しい。
批判と受け取られないためにも言葉選びやタイミングも大事だ。


それでも、忖度していては対話が上滑りして全然面白くない。
テーブル単位での対話で、それを再認識できたのも、どストレートに気持ちを返してくれた発表者のおかげである。

願わくば、全テーブルを回りたかった。

どのプロジェクトも、現時点で素晴らしいし、次の一歩を想像するのも楽しい。
周りを巻き込んで、もっと大きくなっていくのかな。
その時に、大人や地域はどこまで力を貸してくれのだろうか。
期待が膨らみ、希望に満ちた発表だったなあと会場を後にした。


でも、帰りの車の中で
「いや、別にそうならなくてもいいよな」
とも思い直した。


まず、一歩を踏み出した事が凄い。

踏み出した彼らの行く先が「大人や世の中がうなずく結果」に繋がらなくたってとてつもなく凄いのだ。

もちろん、凄い結果につながる事だって素晴らしいし、それを意識してアドバイザーとして思う事を伝えたりはした。この先、もし求められれば応援やできる協力はしたいと思う。

でも、あくまでも「自分の思う方向」に行ってほしい。

さて、大いに期待が膨らむプロジェクトだったが、期待や夢は素晴らしいばかりではなく、自分や周りを苦しくしてしまう事もある。
だから、これはこれで素晴らしいけど「失敗したり、休んだり、時々なにもしなくても別にいいよね」とも思っている。

そして、こういう場に出てこないという選択だって有りなのだ。
自分らしさというものは、何も分かりやすく外に出すばかりではないと思う。
声として、動きとして見えにくい表現についても常に感じながら、こういった場にまた関われたらと思う。



それにしても、「やりたい!」を「いいね!」と受け入れる人が居て「自由に表現してもいいんだ」「新しい事にチャレンジしてもいいんだ」と思える世界。

それが、長らく「当たり前じゃなかった」という事には大人はもっと焦った方がいいなと思った。

沢山の可能性の種を摘んでしまってないか。
自身の、子どもへの関わり方に対しても改めて考えなおしたい。

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