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僕と母のこと


僕は母が28の時の子

母は33歳の年に
脊椎カリエスという病気で
入院した

5歳のぼくは


2つの峠を越えて
2キロほど歩いて
母に会いに行った

チョコレートが欲しくて

妹たちと見舞いに行ったら
チョコをもらえたから

僕の町に チョコは売ってなかった

脊椎カリエスは


結核菌が骨に感染する病気
母は三本の肋骨を切除した

結核のせいではないだろうけれど
母乳の出が悪く
すぐ近所の幼馴染の家で
もらい乳したり
山羊のお乳で育ったらしい

そんなわけで僕は
母のおっぱいを
じゅうぶん吸わずに育った

そんな育ちの子は


フロイトの発達心理学によれば
依存性が高い甘えん坊に育つ。
自覚はあります。

僕がおしゃべりなのも
不完全な口唇期を過ごしたから
と考えると納得がいく

母は


僕が中学に入学する前の秋まで
僕に「ボク」と呼び掛けていた。
叔父がそれを聞きとがめ、
以来名前を呼び捨てで
呼びかけるように変わった。

その頃から反抗期に入った。
ニヒリストを気取って、
笑わない子になった。

前歯に虫歯があって
見られると恥ずかしかったから

お茶好きの母だった
嬉野茶が好きと言ったので
僕は八女茶が好きになった

そのせいか僕は
チョコと抹茶が好きです。
大好きです。
後づけではあるけれど
どんなことにも理由があるかも知れない

母は74で逝ったので


僕はそれ以外の歳に死のう

逝ってしまって
長い年月になるというのに
今でも 夢に出てくる
今でも彼女は 僕の母である

母親は 死んでしまっても
僕の母親のままでいる

あなたが母親なら


あなたはこれからもずっと
子どもたちにとっては、母親ですよ。

あなたの役割は
誰にも代わってあげられない
唯一無二なのです。

今、言ってもらってなければ
僕が言います。

かあさん、ありがとう

だから
お母さんという役割に
満足していてくださいね。

もう一度言いますね

かあさん、ありがとう♡


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