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こころの拠りどころ

先日、短時間でしたが


中学校のPTA役員さんたちとお話しする機会があり、
「子どもがみんな、おとなしくなった」話で
盛り上がりました。

中学生の保護者ですから、みなさん4、50代。

20年ほど前、学校が荒れていた時代と、
今の中学生を比べてのお話でした。

お父さん方が中学生の頃は、


今で言うなら《いじめ》なのだろうけれど、

当時は《普通》のことだった友だちや先輩とのやり取りとか、

先生や親への反抗心からタバコを吸って《ワルぶる》、
友だちに格好をつけた話でした。

おとなや社会への反抗心が旺盛な思春期。


でも今は、おとなと子どもの文化の境目があいまいで、
子どもたちはおとな社会のしくみについて
すでに《知っている》。
だから、
反抗するのにシラケているのかも知れません。

悪く言えば、
おとなを見くびってしまっている。

だけど、
おとなは相変わらず子どもを支配しようとするから、
昔と同じような反抗もするようです。

お父さん世代も、


今の中学生たちも、
中身は違うけれど
時間の使い方はほとんど変わりません。

でも、子どもが受け取る情報量は、
お父さん世代の何倍も、
何十倍も増えています。
しかし、
増えていても、
判断する力は昔も今も、変わらない。

だから子どもたちは、
情報の消化不良を起こさないように
好き嫌いで情報を選んで、
好きな情報だけを取り入れている。

判定するのが大変だから、
発表される《イイネ》ランキングを
目安にしている。

☆★

こころを平安に保つために必要な、

たとえば趣味の世界についての情報もまた、
過剰になってしまって、
子どもたちみんなが《オタク》になった気もします。

すると同じ趣味の《オタク》が
そんなに近くにいるわけもなく、
みんなバラバラになって行きそうです。

仲が良くて、
いつも一緒に居て
言葉を交わすことができる友だち、
それがお父さん世代の友だちでした。

とくにコロナ禍の4年間は、
いまだに給食の時間は黙食
という状況に慣れてしまい、
帰宅してからの
デジタルでのやり取りになりがちで、
友だちの在りようも
変わっていることに気づきます。

実際にSNSで会話してみると、
わずかなタイミングのずれで、
話が微妙にかみあわなくなってしまう。
しかし、
それを言うと気まずくなるので、
了解したふりをしてしまうようです。


これではこころのサードプレイス
持てないのではないかと心配しています。

昔話でも構わないので、
ご自分が考える望ましい友だちの在り方などを、
機会を見て話してあげませんか。

サポート、ありがとうございます。もっと勉強して、少しでもお役に立てる記事を送りたいと考えております。今後ともよろしくお願いいたします。