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身上書

noteの書き始めとしてプロフィールに貼りつけるため、私番頭の身上書を書きます。
 
今私はちっちゃなホールで企画音響などをしていますが、ライブミュージックへのアプローチが多分他のイベント会場の方とは少し違う側面があります。


音楽との出会い

私は憶えていないのですが、親によるとごく小さい頃に某音楽教室に通い2度目の授業で先生に子ども気ない文句を言ったらしく先生に烈火の如く叱られ「もう来て貰わなくても良い」とクビになったそうな。しかしクビって…

このエピソードでも分かるように若い頃特筆すべき音楽な事はありません。

中学生当時多くの人がやっていたようにギターをお年玉で手に入れ、KやMら友人と歌本を前にギターをかき鳴らす日々。

高校の時たまに人前演奏もしたり、、しかし全く上手くならず卒業と共にライブミュージックとの関わりは長い長い長い休眠状態に。

 
そしてそのまま一生休眠するはずだったのですが…

 

商店街活性化施設「大通り風物時代館」の立ち上げ

私は40歳で若手と言われる昔ながらの商店街で長く衣料品店を経営し、正に40歳前後の頃、自然とまちおこしにも関わり商店街の活動にも顔を出していました。
 
 
そんな折、うちの店の真向かいの銀行が移転閉店しました。そしてその空き店舗を商店街に無家賃で貸してくれるという話が持ち上がり、私くらいの年代が最年少だった理事会(役員会)で、人の集まる施設を運営しようという事に。
 

古い商店が多いので、お店にある古い商売道具や店主などの持つ掛け軸、古いレコードに蓄音器などを展示するというまるで骨董品屋のよう施設…しかしその中で「歌声喫茶や落語会、コンサートなどをやろう」という話になりました。
 
とは言えイベントといえばガラガラ抽選会や夜店とか盆踊りばかり。誰もやった事のないこうしたイベントをやろう、あとは任すとか言われ商店街「若手」が数少ないツテを頼っていくつかのイベントを開催。
 

振り返れば、今運営している太子ホールの素地がここで生まれたんです。
3年ほど運営ののち大通り風物時代館はクローズ。
 

8日/1週舘時代

その後、銀行跡地が売りに出され商店街のメンバーで若手の1人M氏が土地建物を購入。彼は今の商店街の理事長です。
「当面何に利用するというプランはないので出来れば有志で面白い事をやろう」という有難い申し出があり、M氏、私、地元の音楽の専門家Y氏の助言を得て他にも多くの人の手を借りて再改装を行い高さ60cmほどのステージも作りテナントも入れて8日/1週舘(ようかいっしゅうかん)として再起動しました。
 
 
同時に他所で地元ミュージシャンのライブを開催していた子供の頃からの近所の知り合いS氏にイベント開催を提案し、今も野外イベントとして続いている「99ライブ」を2003年春より8日1週舘で定期開催される事になり2004年夏8日/1週舘が閉館するまで続きました。
 

この時に、初めて多くの地元ミュージシャンと繋がる事になります。


そして太子ホール


2005年2月、風物時代館の閉館より約2年の間を置いて商店街運営の多目的ホール、太子ホールがオープン。
 
当初は太子ホール前にて月1回フリーマーケットを開催しその折にも99ライブとして地元ミュージシャンに演奏をしてもらっていました。
その時音楽の制作はブッキング、音響含めS氏に全て任せ私はホールの管理者という立場、まだ音響等技術的な事は何も知らなかったです。

並行してホール内でも夜に99ライブin太子ホールを定期開催。
2007年末頃まで続きました。

この間多くのミュージシャンやお客さんに来ていただいた事が大きな財産となり、ここから太子ホールを使ってのライブイベントが始まっていきます。

ただ本来太子ホールは市民の文化活動の発信基地となる事が目的であって、音楽ばかりの場所ではなかったです。
 
なかったのですが、当時の役員が企画したイベント、掛軸等の展示会、落語会、歌声喫茶、コンサートをひと通りやったらやる事がなくなってしまって、このままでいけばいわゆる「ハコモノ」と揶揄される施設になってしまう…の危機感のもと、またここで運営陣から「若手にここは任せた」的な空気が漂い…

そんな折私は99ライブに出演した音楽で知り合い他所でライブスポットを経営していたT氏と知り合い、呼ぶミュージシャンも徐々に他府県にまで広がり土日を中心にライブイベントを開催する…という流れに。

当時本業の経営を半ば放ったらかしてライブ運営にのめり込んでいたこともあり、各所に矛盾が生じたりして、、初期の頃はこのライブイベント以外の利用が殆どなく、ホールのスケジュールを埋めるために一生懸命ライブイベントを企画開催していたというのが本音でした。
 
その事により、全国的に名前を知ってもらったり海外からも演奏に来てもらったり、市民の皆さんにもその動きで、街中の商店街に太子ホールという場所があると認知をして貰い、平日の教室やサークルなどの利用も徐々に増え、運営も安定してきました。
 
そしてミュージシャンR氏に音響をしてもらっていた時期を経て、私がライブハウス音響武者修行、研修などを経て音響さんも兼ねるようになりました。

2013年頃本業の衣料品店をクローズ。以降副業をやりつつ本業は太子ホールイベント企画専念になります。

その後私の責任下で降ってきたトラブルが起こり一時活動自粛となったのですが、それはまた別の項で。
 

私の身上書

上のような流れで最終ライブミュージックにたどり着いたのですが、本来は、商店街活性化のために街に多くの人に来てもらうにはどうすれば良いか…を長らく追求した結果、いつしかライブミュージックの真っ只中に居た、という感じです。
 
叩き上げのミュージシャンや若い頃から音楽一本の方がやってるハコ(ライブスペース)とは持ち味も違うし思想も違う。ライブミュージックが好きだという割に私に音楽的な深みがないのはこうした理由です(関わりができてからライブはよく楽しみに行っていましたが)。
 
 
私は元々普通の街の商売人でまちおこしに長く関わっていました。

そんな人間が運営している音のある場所、太子ホール独特の味わいを感じていただけたら嬉しいです。


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