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名探偵コナンと平成から読み解く緋色の弾痕

我々は失敗したプロジェクトと評された時代を生き抜いてきました。その時代とは当然平成です。批評家の宇野常寛氏は「平成とは失敗したプロジェクトである」と繰り返し発信してきました。中身を見れば納得する内容ではあるもの、このセンセーショナルはタイトルに当時に平成生まれ平成育ちの私は多少の怒りを覚えたと記憶している。我々自身が不幸な世代で失敗作かというとそうは思いません。その中で恋愛もするし、就職もするし大人になっていきました。

そんな時代と並走した漫画があります。その名はもちろん名探偵コナンです。半年で270件事件が起き500人以上人が死ぬ中、ラブコメをするという殺人ラブコメと評される本作。

コナンは主人公江戸川コナンこと工藤新一は「探偵を描きたいんじゃなくてなりたいんだ 平成のシャーロックホームズに」と宣言しました。時はたち平成は終わりを告げましたがコナンの物語は続きます。劇場版名探偵コナン 紺青の拳の完成披露試写で観客の前で「平成」改め「令和のシャーロック・ホームズになります」と高らかに宣言するコナン。そんな平成を駆け抜け子供のままのコナンとずっと成長しているのかしていないのかわからない平成という時代重ねてを論じた「名探偵コナンと平成」が2019年にコア新書から発売されました。

本著で語られている内容を反復しつつ補助線として引用しつつ緋色の弾丸について語りたいと思います。

青山剛昌の幼少期とオマージュシーン

コナンの作者である青山の小学生の卒業論文に「前の時は、漫画家になりたかったけど今は私立探偵になりたいと思っています。けど運動神経が、にぶいのでなれないと思います。だからまえの夢といっしょにして私立探偵専門のマンガ家になりたいと思っています。」とおそるべき有言実行力に驚愕させられます。そんな彼の幼少期に関しては本著で語られていますが特に注目したのは大の映画好きでありアニメ映画好きであったことです。長靴をはいた猫(1969)を見て感動したエピソードが彼の原体験として語られます。またルパン三世のコミックを買って本棚に並べていたエピソードが語られます。劇場版の14作目 「天空の難破船」ではキッドの描写はカリオストロの城オマージュがある点が明言され、キッドの去り際のセリフ「そう 私は探偵ではなく泥棒 泥棒は盗むのが商売 たとえそれが人の心でもね」とかの有名なあの台詞のオマージュをかなりわかりやすく入れていることがわかります。

アニメ映画からは逸れますがコナンの物語の冒頭の近所のおかしなものを発明するジイさんと高校生という関係性はバック・トゥ・ザ・フューチャーのドクとマーティの関係性を想起させます。すぐに幼児化してしまうので気づきにくいですが中身の人間関係は同じですね。

そのほかにも青山先生がガンダム好きであることを公言。今やそれはかなり有名であり、今作に登場する赤井秀一と原作で彼が死を偽装した直後から登場する3人のキャラクターや乗り物はガンダムのキャラクター名や声優から取られていることは有名となりました。他方、青山自身は別のインタビューで「シャアが喋った名台詞を赤井が喋るとひきそうでそれはやめておこうかな」と読者が引いてしまうと思い露骨にシーンの引用やセリフの引用は避けているようで、今作で赤井(沖矢変装時)と世良が遭遇するシーンで筆者はガンダム第2話のように世良が沖矢にマスクを取る取らないの駆け引きがあり 沖矢昴…兄さん(キャスバル兄さん)と叫ぶようなシーンがあるかと思いましたが残念ながらそれを彼女が昴=秀一を把握するまではまだ時間がかかりそうですね。   

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それはそうと私は終盤で赤井さんと安室さんのフェンシングシーンがある事をまだ諦めてはいません。

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とヨタ話がすぎたので戻りましょう。

というように、アニメ好きということを考えるとで本作で重要な役割で登場するリニアの展開は、新幹線大爆破を連想しやすいですが試験運行で乗客がほぼ乗らないで連想できるのはむしろ「海底超特急マリンエクスプレス」(1979)でしょう。

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本作は同年の24時間テレビ内で放送されたスペシャルアニメであり手塚治虫原作の作品です。マリンエクスプレスという深海を走る超特急が完成し開発関係者が搭乗した試運転が行われようとしていた。そんな中、殺人事件を追って犯人に重傷を負わされた探偵の伴俊作と彼を治療したブラックジャックがその犯人を追って強引にマリンエクスプレスに乗車します。犯人を探る者、武器の密輸を企む者、列車の破壊を計画する者とそれぞれの群像劇が描かれる。この作品の面白いところは鉄腕アトムやブラックジャックをはじめ有名キャラクターが登場するのだが、そのキャラクターが見た目は同じで別のキャラクターになっている「スターシステム」という方式がとられていることです。そのため本作に登場する鉄腕アトムはアダムという別キャラクターを演じており設定も異なります。後半にはアクション要素も豊富なので関係者しか乗る事のできない試運転や強引に2名乗り込む 車内で謎解きが行われるなどリニア周りの設定がこれらと似ている点があるものの残念ながら手塚作品に関するは見ていたという記述が見つからなかったのででこじつけと言えばこじつけではあります。しかし、テレビ放映されていたので見ている可能性は高いでしょう。
あとは、オマージュシーンでいうと終盤でコナンがキック力増強シューズでヘルメットを蹴り先頭車両の壁を破壊してベルトを巻きつけるシーンはスパイダーマン2で暴走する列車を止めようと試みるスパイダーマンの構図そのままとなっています。

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デバイスの変化と平成そして令和

コナンでは時代の変化に応じてトレンドとなったものが登場したり、トリックに使われています。ガングロ・カラオケ・ギャル文字などその際に流行っているものをいち早く作品に取り入れています。

そしてデバイスの変化はコナンで積極的に描かれてきました。暗号の推理に関して変化を見ていきましょう。

当初は事件で暗号があってもメモ帳に書き写して推理を行なっていました(お尻のマークを探せ)。そこからカメラ付き携帯が登場し、推理をする際に少年探偵団が現場の写真を撮影する様子が描かれました(もののけ倉でお宝バトル)。そして次第にネット接続が可能になり暗号をネットニュースで見ている回があるなど少しずつ変化してきました。撮影しても画面が小さい際にはデジカメが利用され脅迫犯が渡してきた謎の文章をコナンは持ち運んで推理をしていました。(ロンドン編)この全てをスマホで行うことが今はできるようになり、もはやガラケーを使っていた時代を思い出すのも難しいほど携帯の出来ることが際限なく増えてきたのがわかります。そしてコナンが追いかけ続けている黒づくめの組織関連でもボスへのメールアドレスを入力する際に携帯のプッシュ音が7つの子のメロディーになるといったガラケーならではのサスペンスが展開されていました。今や街中でプッシュ音を聞く機会は全く皆無でメールもラインなどのSNSにすっかり代替えされ友達同士での利用も少なくなってしまいました。

そして近年でのコナンで取り入れられ今作にも影響を与えている技術要素は間違いなくSNSや情報の拡散でしょう。今作でも大きく3箇所(小五郎の吊るし上げ文化に対する苦言、説明会でのフラッグに関してネタバレ防止、羽田のSNSでの発見)と意識的に登場させています。まず前提知識として工藤新一が服用した毒薬は毒の成分が死後検出されないという代物で、細胞破壊の効果が非常に稀に働いたケースとして幼児化するだけに留めています。そして彼にこのアポトキシン4869を服用させた黒づくめの組織的に彼は死んだことになっている為真一の姿で動くことは危険を伴います。さてSNSの話に戻りますが、これは原作にも同様でコナンこと新一が通う帝丹高校の修学旅行にどうしても参加したい為、灰原哀に頼んで幼児化を一時的に解除する解毒薬を受け取り、修学旅行に向かうエピソードがあります。この時世間一般では、工藤新一死亡説が流れている状態で組織の目を逃れる為これを黙認していました。その際、薬で死んだことになっている彼の身を案じ目立つ行動は避けるようにと彼女に釘を刺されますが、当然のごとく事件が発生しそれどころではなくなります。彼は推理ショーを派手に清水寺で行いその模様が彼のファン(工藤ファミリーフリーク)に目撃されます。その結果ネットニュースで取り上げられてしまい、あっという間に情報が拡散され工藤邸に人が押し寄せ組織にも感づかれかけ次の展開が動き始めます。

しかし、この回の前にも派手に工藤新一の姿で、推理ショーを行なってしまった回がありました。

命がけの復活シリーズ(26巻収録)です。

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新一と蘭の通う高校での文化祭で劇の最中に事件が発生。直前の回で蘭に正体がバレそうになった彼は、灰原にコナンの変装をしてもらっている状態で新一の姿に戻ります。本来蘭にだけ解毒した状態でコナンと新一が別人であると示すつもりが、事件発生で劇の衣装で派手に登場。そのまま推理ショーを体育館でかましてしまいます。彼は事件のトリックがわかると抑えが効かないタチなのです。居合わせた西の高校生探偵 服部平次の計らいで体育館にいた生徒には戒厳令が敷かれこの情報が外に漏れる事はありませんでした。常にスマホが携帯され常にオンライン状態でありSNSで情報拡散ができる今では成立しない話ではあります。

この単行本が発売されたのは2000年2月で携帯電話にカメラ機能が搭載されたのは2000年11月にシャープ製で当時Jフォン(現ソフトバンク)から発売されたSH-04です。

5年後読めなくなることを考えず最新の風俗を取り入れ時代に寄り添い今回もSNS社会の到来を逆手にとり新たに物語を躍動させるのはまさに青山剛昌の真骨頂と言えるでしょう。

メアリーという女性

前述の通り、工藤新一に戻ったコナンは蘭の前で良い格好をしようとしたり事件発生で居ても立っても居られないタチで度々その身を危険に晒している。そんな彼とは対照的に、自身の身を基本的に隠しながらも彼と同じ境遇で幼児化したキャラクターがいる。彼女の名はメアリー
メアリーは、世良真澄がホテル暮らしの彼女に同室で匿われているキャラクターだ。領域外の妹という言葉が彼女の正体のヒントとして度々登場するミステリアスなキャラクターだ。

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今作で明かされた通り原作でも世良は彼女を母さんと呼んでおり血縁がある事が明かされている。
彼女が所属の機関は原作98巻で確定する為言及は避けるが本作のパンフレットの1ページ目に堂々と書かれているので、アニメ派の方は注意して頂きたい。

さて、私はメアリーについての考察をダラダラと書き連ねるつもりはない。問題なのは、本書で語られているコナンのなってはならない存在に近いと考えれているからだ。順を追って説明しよう。オルテガの「大衆の反逆」の古物というワードが出てくる項目をコナンに当てはめ解釈しています。要約をそのまま引用すると「自分と意見が異なる相手を全否定しても、完全には葬り去れない。オルテガが言っているのはそういう事です実は相手が存在する前の状態に戻しただけなのです。そうやって相手のいない世界を作っても、必ず相手は自分の前に現れてくる。だから、単に否定する事は空しいことだと彼は言います。」「興味深いのはオルテガが(原文で)過去の状態に向かって巻き戻すという比喩を使っていることです」

古物という言葉を時を逆行したコナンに当てはめることができるというわけです。同時に古物である状態は正しくないので解消しなければならないと解釈しています。

「こうも言っています。「ただ一つの過去を超越する方法は、それを捨てないことである。言い換えればそれを考慮に入れることである」

これをコナンに当てはめると、工藤新一は彼が持つ完璧超人ぶりゆえの慢心により(本著では調子に乗る部分があった)黒ずくめの組織の取引を単身で深入りしオルテガがいう古物の状態へ巻き戻されます。しかし単にこれを解消しただけでは、彼の慢心という弱点は常に彼を苦しめ続けることになるというのです。そしてコナンの姿では非力なため、彼は小五郎の体を借りて事件を解決したりFBIや服部平次など様々なキャラクターと協力したりしているのです。彼が成長するにはコナンになった時のこうした経験を受け入れた新たな新一にならなければならないのです。

これに対してメアリーは、同じく単独で行動した結果(所属機関の指示もありましたが)として幼児化(中学生くらいの年齢)し古物の状態になります。彼女の元の姿は年齢は53歳。3児の母であり長男赤井秀一がFBIに入る前に対人格闘で互角であったことも明かされその能力は幼児化し弱体化した現在でも健在です。推理力や洞察力も高くコナンが使う蝶ネクタイ型変声機を奪い機能をすぐに理解した上でその時発生していた事件を、代わりに自身の推理で眠りの小五郎を披露し解決するほどです。コナンの振る舞いを反面教師としてか表に出る機会もほとんどありませんし、幼児化前も後も行動を共にする世良真純以外は信用していない様子です。幼児化した経緯は全く違いますが、彼女もまた自信家で慢心さがあるようで、「体を元に戻さないと悪い奴ら(黒ずくめ)に太刀打ちできないよ」という真純に「体はこれでも十分だ 奴らに遅れは取らんよ」と豪語しています。

新一よりもはるかに大人であり完成したキャラクターであるメアリーですが、幼児化後に様々なキャラクターと関係性を築き他者と頼ることができるようになったコナンは新たな新一となる成長の余地があります。対照的にメアリーを取り巻く幼児化後の環境にほとんど変化はありません。これは灰原哀とも違います。彼女もまた幼児化しコナンや少年探偵団との交流から態度が軟化したり特定のサッカー選手を好きになったりと何かしらの変化を及ぼしています。

メアリーに今後変化が訪れるのか訪れないのか。それを観察するだけでも今後本書で示されるコナンのなってはいけない存在となり彼のシャドウのような存在となってしまうのかがわかるのかもしれません。


コナンと観光映画

今作は、名古屋でコナン達が活躍しますが、本著でも観光映画としての側面が注目されています

「実在する土地をロケーションとして採用した作品でヒットを拡大する傾向がありました」 

中略

「また近年では天空の難破船の殺人バクテリア ゼロの執行人であればiotテロなど最新の技術や流行、旬のアイテムがふんだんに登場するようになりました」

「初期の劇場用アニメは色あせない映画としての完成度を意識してか、あまりこうしたトレンド感は目立たなくされています」「しかし近年の作品はまさに今年の映画として見られることを意識しているのです」と馴染みのロケケーションや流行を取り込むこともコナン映画の重要な要素となっていった変遷がわかるように綴られています。

漆黒の追跡者では東京タワー、異次元の狙撃手ではスカイツリー、純黒の悪夢ではアクアパーク品川が登場しています。それぞれ一応忖度してか東都タワー、ベルツリータワー、東都水族館(観覧車はロンドンアイがモデルとされている)と名前が変えられているのも面白いところ。シンガポールが舞台となった前作の紺青の拳では、上部が破壊されたにもかかわらず名前がそのまま使われているマリーナベイ・サンズとはえらい違いです。

TV版では流行や今時のアイテムは要素として強いですが観光地の要素は薄いように思います。京都を始め地方都市は登場するもののここまではっきりとした傾向ではない。むしろ、作中での主人公たちの住む米花町(ベイカーストリート)、杯戸町(ロンドンのハイドパークがモデルであり同名の公園も作品内に登場)など抽象的にしようとすらしている。(修学旅行編の京都やロンドン編などは除く)

残念ながら聖地巡礼などは先にならないとできそうにない状況ですが、旅行が可能になった暁にはぜひ名古屋にいらしてください。因みに灌漑深く見ていたのは太閤のあだ名がつけられている羽田秀吉がこの地を訪れていることも粋な演出と言えるでしょう。秀吉は(豊臣)は、名古屋市中村区が出生の地とされており、映画には登場しませんが生誕の地として彼を祀る神社豊国神社がありその石碑もあります。

そして観光映画としての側面,博士のクイズのような作品のお約束がある,特殊なガジェットなど平成のシャーロックホームズというよりコナンは和製007のようになってきました。青山先生もルパン三世の作者モンキーパンチとの対談で「ルパンは007みたいでかっこいい」と発言しモンキーパンチ自身もそれを意識して書いていたと語っています。この2作は同じものをルーツに持っているという共通点を持っているのです。劇場版という仕様も相まってそのルーツに先祖返りし始めているのかもしれません。



パラレル化するコナンワールドの虚構と現実

私が今作名探偵コナン緋色の弾丸で一番興味深く見ていたのは、競技場です。


4年に1度開かれるスポーツの祭典「ワールド・スポーツ・ゲームス (WSG)」の東京会場が明らかに、新国立競技場の前デザインとなっている点です。さらにはそのすぐ横に小さい現在の新国立競技場が建っているのです。そしてリニアモーターカーが人を乗せた状態での運用が既に可能となっているのです。今作の建築物は名古屋パートは実在のものが登場する反面この競技場らは現実との乖離が発生しているのです。私はここに注目しました。

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2021年5月現在オリンピックを取り巻く状況は非常に厳しい状況であり、2020年大会は延期となり2021年になり新型コロナが全く収束の兆しが見えない中で政府からの断固として開催する姿勢や、看護師500人を確保しようとしたり児童を学校毎に観戦させる案が学徒動員ではないかとSNSで拡散され一挙手一投足が批判の的となってしまっている現状があります。同時にリニアも、静岡の水に関する問題で議論が進まず話が進展を見せていない。公開を延期したたった1年でコナンの世界と現実の世界は大きな乖離をみせもはや、パラレルワールドの世界の出来事のようにも見える。


東京五輪はそもそも、開催後は確実に景気後退は避けられないという見方が一般的であったしエンブレム問題や会場問題や予算の問題など悪い意味で話題に事欠かない状況でした。 現在、日本という国において「東京五輪は先進国のお葬式」という揶揄もされるほどです。 しかし人々はこのコロナまで五輪を支持する人間の方が多かった。その原因に日本はまだ世界で戦えるという共同幻想が平成の時代を支配しその希望の象徴こそ東京五輪になっていったからではないでしょうか。そして平成という時代の希望がシンゴジラ(2015)によく表れている。シンゴジラは、今の日本に巨大不明生物(ゴジラ)が出現したらどうなるのかという政治シミュレーションだ。前半では、今現在の日本にゴジラが現れ決められない政府によってゴジラを仕留めそこなう。今の政治に対する痛烈な皮肉です。そして中盤ゴジラの熱線(通称内閣総辞職ビーム)によって霞ヶ関からヘリで脱出しようとしていた内閣 が死亡したため後半から新体制となった政府によって結構された作戦でゴジラを停止させます。前半がこんな事起きたら嫌だという事態が次々に起こり、日本がこうだったらいいなという理想の姿が後半の展開であり、日本の底力によって世界からも認められ日本もまだ捨てたもんじゃないかもという希望を持たせて終わっていく。これは、私の主観ですが、この後半の展開は日本人が潜在的に国家に期待する感覚なのではないかと思います。「かつて先進国であった日本の底力を信じる事で日本の可能性を共同幻想として見ていたい」という感情なのではないか。そして焼け野原からの復活の象徴であった五輪を開催する事でそ

しかし、それは卒論提出数日前に明日から本気出すと言って本気を出さない学生のようなものだと思っています。

その幻想は令和2年に完全に崩壊したといっていいでしょう。緋色の弾丸の制作が進められていたのは、おそらく2019年。そうまさに平成30年であり、令和1年だった年だ。平成という時代と地続きであり、まだ平成の希望の残り香を感じることができ日本の成長をギリギリ信じる事のできたタイミングだったと言えます。その痕跡が緋色の弾丸に残ってしまったのではないかと私は考えます。

今作は、そんな日本の共同幻想をまだ信じられた2019年という平成であり令和であった年の記録として今後見られていくのではないでしょうか

と、暗い話となりましたが平成が終わっても当然コナンは続いています。前述の通り令和のシャーロックホームズになる事は出来るのか どんな技術革新を取り入れるのか今から楽しみですね。


名探偵コナンと平成ではここで取り上げた他にも、殺害動機や凶器を集計し平成の時代の変遷を導き出したりジェンダー論、博士の登場しなくなった発明品まで読み込んだ上で執筆されている本稿の数億倍の価値ある文章でなので読んでいただきたい。

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著者さやわか氏の文章は初めてでしたが非常に読みやすく作っており楽しく読むことができた。批評的な視点でコナンを考えるならば必須のテキストでしょう。




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