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ASOBIJOSの珍道中⑱:カナダに移住したいか?

 8月に入り、モントリオールでの生活も半年が過ぎました。ここでそろそろ、私たち二人には、一つ大きな決断が迫ってきました。それは、カナダに移住したいかどうかです。
 私たちは、ワーキングホリデーという一年間の労働許可証付きのビザで滞在していたわけですが、そこからさらに、永住権を狙うということも十分可能な選択でした。道のりとしては、まず、自分達が勤めている仕事先に推薦をしてもらい、ワークビザに切り替え、さらにもう一年か、二年間ほど、住みます。その間に、語学等、一定水準のカナダ市民たる資格を得て、永住権を申請するという道のりです。
 ただ、永住権を取得できるまでは、その推薦をもらった仕事先に勤め続けなくてはならず、つまり、辞めるか、クビになってしまうと、即刻国外追放となるため、常に雇用主に首根っこをつかまれた状態となるのです。
 幸い、私たちは結婚していましたから、どちらか一人がワークビザを持ってさえいれば、片方は配偶者ビザで滞在可能で、仕事も自由に替えられます。しかし、そうなればもちろん、首根っこを差し出すのは、当然、下僕である、この私(ワタクシ)になります。
 さて、いつまでもあのレストランで給仕補佐をやりたいか?というわけです。あんなどこから来たかもよくわからない動物たちに、動物同然の扱いをされながら、いい歳こいた三十路男が、食器の片付けやトイレの掃除に人生の大部分を捧げてまで、カナダに移住するほどの価値が、果たしてあるのか。

 しかし、そう悩まずともMARCOさんの回答は”ノー”の一択でした。理由をあげればキリはありませんでしたが、寒いというのがまず第一にありました。10月から4月まで寒く、年の半分以上は冬なのです。しかも真冬のマイナス40℃なんて、本当に人間の住めた環境ではありません。太陽もろくに照らず、南国四国育ちには、そりゃあもう監獄と変わりありません。
 それに、MARCOさんの主食となる美味い魚もなければ、スーパーに並んだ食料品もほぼ全て輸入品で、新鮮な野菜もロクにないのが私たちの大きな不満でした。それじゃあワキガも進行する一方です!
 そして何より、「土着のものがないこと」。これが北米全体に対する私たちの最大の不満でした。着るものにも、話し方にも、流れてくる音楽にも、そこの土地の自然や長い歴史の中で培われてきた、感性や思考回路の、ゆるぎない固有性が全くとして皆無なのです。はっきりと言いましょう、伝統を失うと、均質になるのです。
 いや、表面的なものをみれば、日本より多様性が豊かなのかもしれません。様々な肌の色をした人が暮らしており、様々なライフスタイル、様々な価値観を持った人が暮らしている、ようには見えるのです。しかし、晒されているのは、均質化された、競争なのです。いちいち何をするにもこの国の資格や証明書を求められ、金と時間を払わされ、生産性を測られ、需要と供給に基づいて値札が付けられ、収入が決められ、資産に応じて自由の範囲が定められた箱が与えられる。これが資本主義の自由の正体です。
 たかだかレストランのバイトだって、一体どれだけのクビが目の前で切られていったことでしょう!
 まだ歴史の長い国には、お金や市場的価値とは全く無縁だが、訳のわからぬ崇拝や尊敬を集めているものや、理屈も不可解だが、拭いきれない思考回路、尊ばれ続けている不可侵な美徳があちこちにこびりついて残っているわけです。それらはみな、必ずしも良いものばかりではありません。ただ、人間が、それを失ってしまったら、果たして、最適化された機械や人工知能に、一体何が勝るというのでしょう。

 本来、アメリカ大陸にだって、土着の自然と暮らしを育みながら生きてきた人々がいるのです。先住民と呼ばれる人々です。私たち東洋人とよく似た顔立ちをして、黒く真っ直ぐな髪をした人々です。そうした人たちをいま、モントリオールのどこで見かけるかというと、路上なのです。靴さえロクに履かず、信号待ちをする車に小銭をせびる姿なのです。
 夜中の2時ごろ、私のレストランでの仕事の帰り道に、静まり返った交差点で信号待ちをしていると、棒のように固くなった私の足を掴んで、暗がりで、自分の口に手をやってパクパクとする仕草をしながら、物を乞う人々こそが、たいていそうした、国を失った人々の末裔なのです。しかも、袖も擦り切れて、真っ黒に黒ずんだ、お土産屋で見かけるようなパーカーを着たその背中には、"CANADA"という文字が大きく書いてあるのです。なんたる皮肉でしょう!

 つまりは、油絵用の真っ白なカンバスのように、凹凸も、素地の色彩も、一度全てを塗りつぶしたわけです。その上に好き勝手、絵の具をドバドバと塗りたくって、声のデカいやつ、強欲なやつらがやってきて、大きな大きな絵を描きました。人の目につくものが勝ち、金のあるものが勝ち、運のあるもの、賢(さか)しいものが勝ち、いまさら、かつてのようなチャンスはありゃあしません。もう、勝ったものが有利なようにゲームは完成しているのですから、今から移民になったところで、せいぜいあとは、自由と錯覚しながら、お金で買った水槽の中をのびのびと泳ぐくらいのものです。

 まぁ、私はもう新聞に評論を書いている身分ではありませんから、真面目な世界時評をここでくり広げる気などさらさらありません。とにかくまあ、私たちは一年間でカナダを去ることに決めたのでした。

 すると、まず頭に浮かんだのは、これから来る冬をどこで過ごすかでした。モントリオールの冬はとにかく地獄だというのを知っていましたし、せっかくならカナダの別の地域も見てみたい。いっそオーロラの見えるほどの北方へ行くか、なども検討しましたが、一旦、先日モントリオールに遊びにきてくれた友人、ユウタとサニー夫妻が暮らす、バンクーバーアイランドに身を寄せようということに決まりました。

 ”秋のケベックも紅葉が綺麗みたいだから、9月いっぱい居ようか”
 などと話していたところ、現在住んでいるアパートが、3ヶ月ごとの更新制だと気付き、指を折りながら、345月、678月、と暮らしてきたわけで、1ヶ月だけの更新ってできるのかな、と、大家さんに電話して尋ねたところ、返ってきた答えは”ノー”。 
 ”尺八の稽古がうるさいって貼り紙もされたしね”
 とMARCOさんも、ジロリ。
 それから、一ヶ月だけ暮らす家を探そうとあちこち模索したものの、借り手市場で絶賛不動産バブルが進行中のカナダに、それは到底無理なこと。
 ”というわけで、今月一杯でここを出ろ、ってことなのね。”
 と、毎度おなじみ、万事休す。

 慌ててユウタに電話をかけ、
 ”急なんだけど、来月からそっちに住んでも良い?”
 と訊くと、
 ”いいよ、引っ越しあるから手伝ってくれる?”
 と、これまた既視感、万事休すに助け舟、、、。
 こうして、私たちは急遽身支度を整える羽目になったのでした。
 
 ”プリンターも売って、机も売って、椅子もアンプも、シェイカーも、あの観葉植物も、売れるんかな…”
 ”あ、サーカス観に行ってないやん、サーカス!”
 ”そうやったね。”
 そうでした、サーカスこそ、この街の伝統と言ってもいいものなのかもしれません。それはまた次回に。



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