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今日の会社のノートに書いたこと

プロ野球選手の仕事時間は試合中と全体練習になる。しかし、仕事時間以外にも素振りなど練習をした選手は試合において成果や結果が上がりやすくなり、仕事環境も改善されるのが一般的である。

それは職業人としてどの仕事でも同じで、会社はその拘束された時間以外に何をするかは強制はできず、本人の自由であるが、いかに仕事以外の時間に練習努力したかによって成果や結果が左右されるのは当然のことである。プロ野球は特殊で一般的な仕事とは違うと反対意見を唱えられそうだが、本質的には同じだと思う。

成果につながるのはいかに取引先や職場内の人の時間を奪わないこと、相手をいかに喜ばせられるかということで、そのためには本を読んだり、いろいろ体験したり、勉強したり、考えたりすることによって生み出される可能性が上がるに違いない。

プライベートで何をするかは本人の自由であり、娯楽も考えようによっては実力を伸ばすことにつながることもあるが、より脳を刺激しない受け身の娯楽、例えばバラエティ番組の視聴ばかりしていてはそういった相手を喜ばす能力は備わりにくいというのが一般的な考え方ではないか。人それぞれ良いことがあり、能力の差を考慮して対応してあげるべきというのもあるが、それが結果的に本人のためなのか、平等に近い対応かというのもあり難しい問題である。

以上は全て成果主義に基づいての考え方になり、成果主義ばかりでも人を追い込むばかりで労働環境が悪化するデメリットもあるが、国の方向が資本主義に基づいており、企業も協調か成長かどちらかに軸足を置くことを選択、または両立が可能なのかもしれない。

昨日はEテレの養老先生の猫の杓子の番組を録画で見た。養老先生は猫に例えて、どっちみち人生そんなに変わらないのだからのんびりやればいいという最後の締めの話が印象的だった。それは競争を受け入れるべきではないというような主張にも受け取られたが、養老先生自体も虫が好きという好奇心を持って勉学に励んできたからこそ、そういった考えに辿り着いたと言えるのではないかとも思う。

故に好奇心をもって取り組めるかというところが鍵になってくると思うのだが、個人はその好奇心が充分に活かせる様々な軸足を持つ企業の中からどこで働くかを選ぶということが肝心になってくるだろう。でまぁでも人生は人間自身が決めた尺度の一つである言葉で定義できないというところなのかもしれないが。

協調と競争の両立が理想なのかもしれないが、向上を否定するわけにもいかないので、常に模索しながら、ある程度の企業のスタンスというものは必要という中でやっていくしかないのだろうか。

#競争 #成果主義#猫も杓子も#プロ野球選手#Eテレ#娯楽

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