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戦友なる甥っ子

アメリカ生活の最後の一年を一緒に過ごした妻の中学生の甥っ子が日本に来た。自分がサンディエゴにいた時に、妻の姉の留学先として自分がいた場所を選び一緒に住み、それから8年間アメリカの学校に通った。来た時は自分の方がまだ英語を知っていたけれども、今はもう韓国語よりも英語の方が慣れて、正真正銘の英語ペラペラである。子供が喋るのは特にはやく、自分も時々何を言っているのかわからない時があるのはたくましくうれしいのやら、悲しいのやら。

留学の最後は妻も妊娠をしたり、アパートを追い出されたり、お金も尽きてきて、いろいろ大変だった時に一緒に過ごしたので、彼は家族でありつつ、アメリカ生活の戦友とも言える。甥っ子は、小さな頃から母親よりも叔母である妻に懐いていて、大変だった時期というのもあり、なぜ自分の母親でなく叔母に懐くのだという思いから、少し冷たくしてしまったというのは心の傷でもあった。そんな彼は長女が生まれてから、自分の妹のように可愛がってくれて、大親友のようになり、妻が一番好きな人であると今でも言う。子どもというのは、母親以外に一人心を寄せられる誰かがいるといいとも言われる。自分にとってはそれは祖母であった。

日本が大好きで日本食も大好きで、なんでもかんでも「マシッタ(うまい)!」と言う。長女が生まれてから8年も経ち、当時小学1年生だった彼は中学2年生にもなり、時のはやさを感じる。そんな彼がサンディエゴから飛行機で成田経由で中部国際空港まで一人でやって来ると聞いた時、今までいろいろな人が海外から来て記憶がこんがらがったのもあって、それぐらいやりそうな感じがしたので、驚きはしなかった。が、自分の事を思い返すと、大学受験で初めて一人で新幹線に乗って遠方まで行ったことしかなかったので、すごいことだと思い直した。

英語がわからない時には彼に時々助けてもらおうと期待する。こうやって今再会を楽しめるのも自分が当時留学への行動を起こしたからこそであり、こんな形で子どもというのはたくましく戻ってくるものだと思った。戦友であったからこそ、そしていろいろな意味で未来のためにも、存分に日本を楽しんでいってもらいたいと思ったのであった。

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