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今を書こう

コロナも関係なく、色んな事件が世の中を賑やかす。
水面下では色んな草の根の中、悲喜こもごもが誰にだってある。
例えば、有名人はたまたまそのギャップが大きいのでインパクトがあり、「そんな風に思わなかった」となるのは、よくもまぁ世の中鈍いなと思う。俺は鋭いぜと言いたいわけではなく、対象の人との関係値と自身の経験を通した価値観で反応の仕方がきっと変わるだろうから、「この近所でこんなことがあるなんて」や「このエリアでこんな災害があるなんて」や「あの人がこんなことするなんて」とは、よくよく考えれば、都合の良い見立ての連続で、一瞬そう思うことは勿論あっても、その一瞬後にはまた都合よく世の中をみていると少し恥じるべきことだと思う。なんでも深く洞察し、構えていることが素晴らしいわけでもないし(できる人は少ないだろうし)、肩の力を抜かずに生きるなんて中々しんどいから出来ることは尊いことかもしれないが、都合の良い見立てほど必要ない代物のような気がする。楽観的な感覚とはこういったことで活用するのはなく、不都合なこともありうるを前提に、装備されているのであればそれはきっと役立つ感覚だと思う。行動だけでなく思考も停止している世の中を人は平和ボケと呼ぶ。平和でボケてて何が悪いんじゃいというのもわかるが、平和でぼけていますと分かっていることや、いつかは何かがあるかもしれないから気を付けながら生活や仕事や国をみていながら、平和ボケならきっといいボケ(幸せ)だ。

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コロナのnewsも同じ構造だと思っていて、トゥギャザーコロナもドントウォーリーコロナもどう捉えて少しでも世をよく見ていていくことが大事なはず。悪いことばかりではけしてなく、いいことだって沢山あるんだから。

世間という当事者じゃない中身のないオバケに惑わされるなら、ネットもテレビもみないほうがいい。もうちょっと裸眼でゆこうよ(自分も~)。

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