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ベトナム考察 [社交辞令とコーヒー]

 
「日本人はよく社交辞令言うよね」

日本へ行ったことのあるベトナム人から、よくそんなことを言われる。続いて、「あれ、嫌いなんだよね」とも言われる。

「確かにな」と思う。同時に、「良くないな」とも思う。だけれど、大人になった僕たちが、社交辞令なしで良好な人間関係を構築できるほど、無垢な心を持ち合わせているはずもなく。もはやそれなしで社会生活を営むことが困難なのは、日本で生活する多くの人が感じていることだろう。

社交辞令とは、もはや日本人という人種を構成する、アイデンティティの一つであるといっても過言ではないと思う。特別親しくもない間柄であれば、言わなくても不安になるし、言われなくても雑に扱われているような気になってしまう。

では、ベトナム人には、こういった社交辞令的な言動がないのかといえば、そんなこともなくて。僕は密かに、「コーヒー詐欺」と呼んでいる現象がある。詐欺という言葉は、汚いし嫌いなのだけど、他に相応しい単語が見つからないので許してください。

この現象は、初対面や、会って数回の関係の浅い相手との間で起きることが多い。その前に、ベトナムのコーヒー文化について少し。

旧宗主国のフランスが植民地時代に持ち込み、現在も受け継がれている文化の一つに、コーヒーがある。フランスのカフェ・オレから派生したベトナムコーヒーは、フィンと呼ばれる金属製の特殊なフィルターで濾した濃い原液に、コンデンスミルクをたっぷり注ぐという独自の進化を遂げた。

例えるなら、ジョージアのマックスコーヒーを2倍ぐらい濃くした感じだろうか。最初は、その濃さと甘さに狂気を感じるけれど、慣れると普通のコーヒーでは物足りなくなる。どんな規模の町にもカフェがあり、面積あたりのカフェ数は、日本より多いのではないかと思う。

ベトナム人は、何かとカフェに集う。仕事の話をするのもカフェ、友人と談笑するのもカフェ。だから、そこは一種の社交場であり、サロンのような役割も果たしている。

多分だけれど、「コーヒーを飲みに行く」という感覚ではなくて、「仲間と話をしに行く」のように、彼らは「何か」をしにカフェに行く。その「何か」の脇にコーヒーがある。そんな感じだ。

話を戻そう。まだ関係の浅いベトナム人から「今度、コーヒーを飲みに行きませんか」と言われることが多々ある。肌感覚だけれど、その6,7割ぐらいは本心ではなかった。その場限りのお誘いは、文字通り、その場を離れれば、なかったことになる。

誘われておいて、こちらからまた誘い返すのもなんだか恥ずかしいし、かといって「きちんと」日程を提案してくるわけでもない。
「今度」はずっと「今度」のままだ。

あれ、これって社交辞令じゃない? でも、日本人の社交辞令を嫌うベトナム人が、そんなことをする訳が...
最初はそう思っていたけれど、どうやら違うらしい。いや、お前たちも社交辞令使ってるじゃん。と。

ちなみに、「コーヒー」の部分が「食事」だったり、他のものに変わることは、今までなかった。「食事行きませんか」の時は、ほぼ本心で、ほとんどの場合、その後は一緒に食事を楽しんだ。

「コーヒー飲みに行きませんか」はベトナム流の社交辞令なのか。それともベトナム人にとってはただの「挨拶」代わりなのか。謎は膨らむばかりだ。


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