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[ベトナム考察] ご飯を残す

ベトナムの人は、よくご飯を残す。

それも、お金持ちが豪華なレストランでたくさん注文して残すというのとは趣が違って、一般庶民、誤解を恐れずに言えば、貧しい部類に入るであろう人たちの間にも、この「残す文化」が浸透している。

ベトナムで最も安価に外食を済ませるのなら、「コムビンザン」という店になる。作りおきのおかず数品とご飯をワンプレートで食べさせる店で、ハノイなどの都市部で、大体150〜200円ぐらいだ。田舎ならもっと安い思う。

大抵、店の中は汚く、混雑していて、料金も安いものだから、お金のない学生やバイタクの運転手、日雇い労働者などがメインの客層になるのだけれど、ここでもご飯を残す人がとても多い。

この国に来た当初は、食べきれないのなら、注文する時にご飯の盛りを少なく頼むとか、おかずの品数を減らせばいいのにと何度も思っていた。

知り合いのベトナム人数人に「ベトナム人は、なぜいつもご飯を残すのか」と聞いてみたけれど、答えはバラバラだった。

「全部食べるのは卑しい」という人もいれば、「昔は国民のほとんどが農民だったから、残飯を家畜の餌にしていた。その名残だ」という人もいた。

おそらく、ベトナム人にとって「ご飯を残す」ということは、当たり前すぎて、それがなぜか考える必要もないのだろう。豊かな国だなと思った。これが、アマゾンの山奥や、アフリカの乾燥地帯とかだったら、そうもいかないだろう。

以前ニュースで麻生さんが、

「日本の若者が政治に興味を持たないことが問題視されているけれど、それは、興味を持たなくても、それなりの生活が保障されているからだ。紛争地帯だったり、内戦の起こっている国だったら、そうもいかない。若者は、真剣に自分の国の政治に興味を抱かなければ、生きていけない。だから、日本の若者が政治に興味がないというのは、別に悪いことじゃない。むしろ日本が良い国だということだ」

みたいなことを言っていたのを思い出した。

明確な理由がないということは、そこまで真剣に考える必要がないということなのだ。

少なくとも、食料事情において、ベトナムは豊かな国なのだと思う。エコやらサステイナブルという「ヨコモジ」が氾濫している先進国には目もくれず、今日も安食堂でご飯を残すベトナム人。多分ずっと変わらないんだろうな。


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