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『くもをさがす』

西加奈子さんの『くもをさがす』を読みました。

西加奈子さんは、私の大好きな作家さんのひとりです。

そんな西さんの最新エッセイは、主にカナダのバンクーバーでの乳がん治療についてのストーリーでした。


思えば、西加奈子さんのエッセイを読んだのは初めてでした。

私はこの作品を読んで、もっともっと、西さんのことが好きになっていました。


『くもをさがす』の魅力について、僭越ながら述べたいと思います。

「生」に対する前向きな記述


病気の治療がメインのストーリーだったため、正直、ネガティブな気持ちになるのではないかと心配していました。

しかし、西さんのエッセイは、「生きる」ことへの前向きな記述がたくさん書かれていました。

特に心に残ったのは、「生き方を選ぶのは自分自身」というお医者さんのセリフでした。

病気になった時は、お医者さんの言うことが絶対で、言われたことは忠実に守らなければならないというイメージがありました。

特に日本の場合は、薬の時間から飲み方までがすべて指定されていて、そこに自分の意思が入る余地はないように思います。

ただ、バンクーバーでは(西さんがいた病院では)、医者の言うことを100%聞く必要はないという方針でした。

西さんは、抗がん剤治療の際に、漢方をやめたほうがいいかどうかお医者さんに相談したことがありました。

このような状況だと、日本のお医者さんからは、

「原則やめたほうがいいですね」と言われるところかと思います。

でも、西さんの病院のお医者さんは違いました。

「あなたの体のボスはあなたやねんから」
「もちろん、決めるのはカナコやで」

『くもをさがす』

というセリフが印象的でした。

その言葉で、西さんは漢方薬を飲み続けることに決めました。


当たり前すぎて忘れられがちですが、自分の身体を一番管理し、理解しているのは自分で、ボスは自分です。

そして、生き方を決めるのも自分自身です。

そんな大切なことを、カナダの素敵なお医者さんから教えていただきました。


他にも、カナダの医療従事者の方々が発する言葉が、毎回毎回素敵でした!

治療に後ろ向きになってしまう西さんに対して、

「カナコは勇敢だから!」と声をかけ続けてくれていました。


そして、西さんご自身も、常に前向きな姿勢でした。

抗がん剤治療に関しても、坊主にすることも、両胸摘出のさいにも、いつも前向きでした。

摘出手術後の西さんの胸の形を、いろんな方に褒めていただく場面があり、周りの方々含めて、皆さん本当に素敵だな…と思いました。

西さんご自身は、調子が良かった時にしか日記を書かなかったから、前向きな記述が多かっただけだと説明されていました。

それでも、読む人に明るい希望を与えてくれるすばらしい物語となっております。

バンクーバーの病院事情


バンクーバーは、ファミリードクター制度というものがあります。

かかりつけのようなもので、何かあった際には決まったクリニックや病院に行かなければなりません。

しかし、コロナ禍だったということもあり、その病院からの連絡が遅かったり、手違いや勘違いがあることは多くあったそうです。

日本では、このような不手際があった際には、その連絡をした担当でなくても、まずは患者様に対して謝るところから始まりますが、バンクーバーでは違いました。

悪いのは組織であり、私ではないという姿勢を貫くそうです。

むしろ、何度も連絡しなかった患者の方に責任があると責められることもあるそうです。

そんな壮絶な環境で、不安なことも多かったそうなのですが、とにかく、登場するお医者さん、看護師さんが、みなさん本当にかっこよかったのです!

「カナコのがんはトリプルネガティブなんや、オッケ!!はよ治そう!」

『くもをさがす』

こんなことを言われてしまうと、頑張るしかないですよね!

毎回、私自身も励まされていました。

また、コロナ禍などでどんなに忙しくても、お医者さん(男性)でも育休をとる場面もあり、そんなところも素敵でした。

人との関わりの温かさ

バンクーバーでの暮らしは、「助け合い」の精神が反映されていました。

とくに、バンクーバーの子育ての習慣は、読んでいてうらやましい気持ちでした。

子供は「みんなで」育てる文化で、誰でも家の中に入ってきてお世話をしてくれるような社会が当たり前です。

もちろんシッターさんの制度もありますが、シッターさんの時間外でも友達のうちにこどもを預けたり、友達の子どもを預かったりすることを普通に行っていたことが素晴らしかったです。

海外で暮らしている外国人同士だからこそ、助け合い、励まし合い、協力することは当たり前で、そうしないと生きていけない現状に身を置いているからこそ、人は一人では生きていけないという当たり前のことに気づけるのだそうです。

これは、今自分自身も海外に身を置いて生活しているからこそ、深く共感できる内容でした。

ある人がない人に手を差し伸べる、そんな当たり前が伝染して、バンクーバーは優しい世界でした。

西さんは、日本人とバンクーバーの人の心を、
「情」と「愛」という言葉で説明してくれました。

愛がいつも良き心、美しい精神から来ているのに対して、情は必ずしも良き心や美しい精神から来ているとは限らない。
だから情は、それによって状況をさらに悪化させたり、時に人間を醜く見せたりもする。情に流されたりもする。

『くもをさがす』

この言葉にはハッとさせられました。

自分がもし、他人に優しくしようとしたとき、それは「愛」からくるものなのか、「情」からくるものなのか、しっかりと見極めなければならないと感じました。

できればいつも「愛」をもって、人と接することのできる人間へと成長したいものです。

くもの存在とは?


『くもをさがす』の「くも」とはいったいなんなのか…

西さんは、おばあさまの生まれ変わりとして捉えていました。

バンクーバーの家にくもがでたこと、西さんのお母様の夢にくもがでてきたこと、そんなくもに関する場面から物語がスタートします。

「くも」という存在がどこか不思議で、神秘的で、それでいて物語にとって欠かせない役割を果たしています。


また、くもを含めて、生き物それ自体に対する西さんの見解も素敵でした。

(コロナは)まるで、ゴジラのようだ。私たちが作り出した放射能が、ゴジラを生んだ。生まれたからには、ゴジラは生きようとする。東京に上陸したゴジラは、ただ歩いているだけで様々なものを破壊し、人の命を奪う。攻撃され、口から紫の炎を出し、その炎で東京の街を焼き尽くす。でもそれは、悪意からくる行為ではない。

『くもをさがす』

これはコロナに対する西さんの考えでしたが、時として西さんの体を苦しめた「がん」にも当てはめて考えられています。


がんが命にとって天敵となることは間違いないが、それはがんそれ自身が悪意をもって行うことではないということを、冷静に分析されていました。

自分がもし同じ状況になった場合、そのように考えられるだろうか…

西さんの考え方一つ一つがすばらしくて、感動してしまいました。



いかがだったでしょうか。

まだ読まれていない方で、少しでも興味を持ってくださった方がいたら、大変うれしく思います。


読んでくださりありがとうございました🙇

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