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いかに砂漠か?

距離が近すぎると見えないことってあるものです。見えなくて、判断に足るような質量の情報が得られずに、結局もたらされた「近すぎる」提案は無下にされがちです。

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昨日、お風呂に入っていました。3歳の息子のためにどこかから調達された、「お風呂の壁に貼付けられる、水濡れOKの世界地図」が、その名の通りお風呂の壁に貼付けられたまま残されていました(そんな名前の商品ではないと思いますが)。私はそれを眺めていました。しばらく見ていると、知らない国の名前がけっこうあることに気付きます。197か国の名前と国旗が載った地図でした。

それからふと、ぬるぬると動かすことのできるマップのほうでも世界を見てみたくなり、グーグルマップのアプリを開きました。で、世界をこれ以上ひいて見られないというところまでひいて見てみました。衛生写真モード? みたいな表示のしかたを選ぶことができるので、それを選んで。

すると、なんだか赤道付近って、黄色っぽいといいますか肌色っぽいといいますか、とにかくなんだか全体的に「はげはげ」なのです。エジプトなんか、国土のほとんどが人が住むのが難しいような砂漠なんじゃないかと思えました。

「めいっぱいにひいて」見たからこそ、なんだか、赤道に沿って幅広い範囲が「はげはげ」なのが感じられたのです。これって、その距離感だからこそわかったことであって、「近づいてみること」だけをしていたら、一生気付かないままでいたことだったかもしれません。地球って、けっこう「はげはげ」なんだなぁ。赤道直下って、いかに厳しい環境かを思いました。

スマホアプリでみた地球の砂漠帯の話とはうってかわってなのですが、あるとき、自分にもたらされた情報やら提案があったとして、それを、「その時その場ですぐに」は受け入れられないことってままあります。

で、おんなじような情報やら提案が、時と場所を変えて、なんなら提案者も変えてふたたび、もしくは三たびも四たびももたらされたりすると、いよいよこれは信じられるぞということになり、ついには情報や提案をもたらされたその人が受け入れる始末になる、なんてことがありそうです。

ここから、「近い位置にいる人ほど、『第一次の提案』をする機会に恵まれている」こともありそうに思います。たとえば、家族だとかパートナーだとかが最初に言った提案や情報を、ほかの筋からも聞いたときにやっと受け入れ、採り入れたくなるようなことが起こりがちです。それは、たまたま、「頻繁にコミュニケーションのある関係」にあたるパートナーやら家族やらが、「ある情報を初めにもたらす人」になりやすいというだけなのかもしれません。

いやいや、そんなことはないぞという場合、そこにはリクツでなく何か「感情」的なものがからんでいるのではと勘ぐりたくなります。「親しい(近しい)あいつの言うことに素直に従うのはなんか悔しい。でも、たまにだけ会える貴重なアノ人が言うことに影響を受けるのはちっとも恥ずかしくない」なんてことってありませんかね。

家族やパートナーが「意見や価値観の変容」だったり「新しい提案」なんかをちらつかせてきた時。それは、最近「たまにだけ会える誰か」と連絡をとったとか会ったとかいうことの影響かもしれません。

その情報源がネットだとかSNSだとかいうのも、ままありがちですけれどね。

お読みいただき、ありがとうございました。

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