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僕のいちご道

うちの息子が、いちご好きである。息子がいるときは、僕は息子の「いちご道」の邪魔をしないようにしている。だが、僕もかなり、いちごが好きである。

食べ方としては、僕はそのまま食べる。ヘタもとらずに食べる。そこまで含めての、「そのまま」である。おのれの、この食べ方の「ヘンさ」に自ら敬意を込めて、「ヘンタイ食い」と呼んでいる。

にんじんのヘタも、とらずに食べる僕である。あの部分は、にんじんの、にんじんらしいフレーバーが詰まっている。だから、にんじん好きの僕にはたまらないのだ。ガリッと生のまま口にして、「はあっ(ハートマーク)。にんじんっ(ハートマーク)」といった具合である。いかがだろうか。「ヘンタイさ」を、そろそろおわかりいただけたのではないかと思う。

どんなたべものを、どんなふうに食べようと、個人の自由である。食べ方によっては法をおかす、といったことはまずないだろう(フグくらいか? あれは、調理に免許が要ると聞く)。邪道も正道もないというのが、僕の思うところである。

だって、その人にとってのそれが、最短距離かつ、たったひとつの道なのだから。たべものの食べ方に限らず、人の生き方ってなんでもそうじゃない? なんて勝手に思っている。

いちごを潰して牛乳やら甘味料やら加えて食べようと、ヘタもとらずにそのまま食べようと、いいのである。むしろ、そのバリエーションに富んだいろんな人がいられる社会のほうを、僕は望む。

お読みいただき、ありがとうございました。

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