その山盛りのカゴの中身、誰がお会計するんだよ。
「積極的休養」というやつがあるとどこかで教わりました。学校だったかしらと思います。学校ってそんなことまで教えてくれるんですね。いえ、私の記憶が正しかったら、ですが。保健体育の授業だったかしらと思います。ノンビリ寝て体を休めるのも休養ですが、たとえば普段とは違う体の動かし方を要するスポーツを楽しんだり、自転車を漕いで遠出するとか、そんなようなことも「積極的休養」に入るのかな。塩梅ですね。本当に体が疲弊していたら、静養のほうがいいかもしれません。でも、なんだか気持ちが急いて、焦がれて、落ち着かないというようなときは「休活」みたいなもののほうがいいかもしれません。うん、「婚活」「終活」みたいなへんなパクりことばをつくってしまった。読ませて申し訳ありません。
「やりたいこと、いっぱいある」なんてつい言ってしまいがちです。その「いっぱい」って、具体的にいくつだよ。そのひとつひとつの名目、細かく明かせばなんなんだ? ということをついつい置いてけぼりにしてしまいます。乱暴にひとくくりにして、「ああ、いっぱい。時間がいくらあっても足りないわぁ」なんて言って
いたら、そりゃ足りないでしょう。足りないまま終わるでしょう。自分に言っています。
レジに買いたいものをぜんぶカゴに放り込んで持っていったら、「はい、ざっくり重めだから1万円ってとこね」と言われる、なんてことはありえません。いっこいっこ読み取ってレジに通して、それぞれについた明確な値段が合算された金額を正確に請求されるはずです。例外的などんぶり勘定の存在をここでは無視するとして。
やりたいことをカゴに放り込んで持ってくるのも、ひとつひとつレジに通して正確な合計金額を出して請求するのも、それを支払って持って行くのも、買った品物を消費するのも、ここではぜーんぶ自分です。かごに入れたものひとつひとつと、それをぜんぶ合わせた金額がいくらかわからないから、いつまでたってもお会計できないし、持って行って消費することもできないし…なんていっているうちに、1日という区切りがやってきて、お店は閉店時間になっちゃうかもしれません。カゴを置いたまま追い出されて、カゴに入れたはずの欲しいものがなんだったかも忘れて、また別の日にお店にふらふらやってきてはうろうろして、のそのそと品物を手に取ったり棚に戻したりしてようやくレジに行ったと思ったら私の分身のぽんこつ店員がレジにいて、えーとこれはいくらかわからないな…どうしたもんか…なんてやっているうちにまたお店は閉店時間。これの繰り返し。
なんてものを長々と読ませて申し訳ないです。お察しのとおり、いくつもいっぺんに消化するなんてできません。「あれもこれもできなかった」を3日くりかえすうちに、「今日はこれだけでいいからやる」を3日繰り返せば、3という差がはっきりとつき、それが10日、30日、300日、30年となった末には…どちらの人生がダメでということではなくとも、それを選ぶのは自分であることを思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
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