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槍ケ岳は険しくて美しい

槍ケ岳開山から何年経ったんだろう。

”槍の穂の頂上は僅かな平らを持っているように見えた。文政11年(1828年)7月28日、太陽はかたむきつつあった。”(新田次郎「槍ケ岳開山より)

2007年8月14日。ほぼ180年後の夏。

初めて北アルプスの槍ケ岳に登頂しました。双六岳からのコースタイム6時間半のところ、5時間半で到達。遠くに笠ケ岳が見えました。

槍の肩に荷物を置き、急峻な槍の穂までは身軽になって登りました。岩稜がきつく、ところどころ鎖もかかっていない大きな岩を乗り越えながらの登頂で、なんとか登った岩を振り返り帰りはどうするんだろうという考えが頭をよぎったことを思い出します。

天辺にかかる鉄のはしごを夫は二度と登りたくないと数年経った今も言います。あれほど怖い思いをしたことはない、とのこと。はしごから天辺の地上まで少し隙間が開いていて、その隙間がきっと想像力をかき立ててしまったのでしょうね。

天辺はだいたい平らになっていて、先に登った数人の人がいました。対角線の端の方に小さな祠があり、そこまで進んでいこうとすると夫が危ないからあんまり動くなと言います。すると、その祠の奥の断崖絶壁から人の頭が一つ、二つ現れて!

槍ケ岳の北壁を自分たちでロープを打ちながら登って来た人たちでした。槍の穂の絶壁の縁で、やれやれとはじっこに突っ立って談笑している2人を見て、世の中には希有な人がいるもんだと、その時思ったことを覚えています。

180年前、播隆上人は槍ケ岳に初めて登頂し、霧の中でおはま(死んだ妻)が阿弥陀如来のように現れたのを見る。(その現象はブロッケン現象といわれるものであり私も実際に立山縦走時に遭遇しましたが、特殊な気象条件と太陽の位置が鍵となることは、本書の中でも明かされていて、当時その現象の神秘性がどれほど人を惹きつけたかがわかりますね)

播隆上人は、まず笠ケ岳を開山し、その後槍ケ岳を開山する。上口地(現在の上高地)とか槍沢など、耳に慣れた単語も随所に現れるので読み進めるのがとても楽しかってのですが、当時切り開いた登山道はそののち廃れてしまい、今は全く違う登山道であるそうで、残念な気持ちもします。。

また、槍ケ岳の頂上にある祠も明治時代までは播隆上人が納めた像が数体入っていたそうだが、私が見た祠はそれとは違うものらしい。鎖も当時かけたものは盗まれてしまったらしいので、どうも新しく付け替えたらしいのです。

それぞれの登場人物の心の闇、救いを求める小作農の苦しみと宗教の意味にまで思いを馳せながら、ぐいぐいと引き込まれた作品です。

おつきあいいただいてありがとうございました。

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