『新軍事考―湾岸戦争にみる武力の本質』江畑謙介、光文社、1991


第1部 新しい形の戦争

第1章 リアルタイムのメディア戦争

予想を裏切った戦争

今回の「湾岸戦争」(一九九一年一月~三月)はいろいろな面で特異な、歴史上前例を見ぬ戦争であった。

一国が全世界を相手にして戦ったというのは、最終的に孤立状態に追い込まれた第二次大戦中の日本は別として、史上例がないだろう。それだけでもサダム・フセイン大統領の「男」は十分に上がったと思うのだが、フセイン大統領の世界観、死生観は常人とかなり違うようで、専門家と称する、あるいは称される人たちも、開戦予測を完全に読み違えた。

開戦後もフセイン大統領、あるいはイラク軍は予想を裏切る戦い方をした。おおかたの専門家の予測に反してフセイン大統領は当初から世界を敵に回して戦うつもりであったのだから、「負けない」戦いをするだろうと予想すべきであったのだが、「あの巨大な、あれだけの新型兵器を持つ軍隊が」まさか不正規戦をやるとは考えなかった「軍事常識」が邪魔をしてしまった。最後まで「フセイン大統領は最後の最後でひく、それがアラブ流のやり方だ」というアラブ専門家、中東専門家の言を信じたからである。

それを信じた側にも責任があるのは、否定できない。正規戦で多国籍軍と正面からぶつかれば、一〇日~二週間で片がつくことは明白であったから、「戦争になれば、すぐ終わる」という楽観論が支配的であった。だが、フセイン大統領が当初から戦うつもりであるとしたら、というシナリオも考えておくべきであったろう。

それならば話は別である。正面切っての正規戦なら勝ち目がないのは明らかだから、当然不正規戦、つまりゲリラ戦になる。その場合、多国籍軍側の二大弱点を突く戦略になるのも、これま自明のことであった。戦争の長期化と、多国籍軍側に多大な人的損害を与えることである。だが結果的にイラク軍は、ゲリラ戦も、正規戦もできずに終わった。

この点については別に論ずるとして、全世界を敵に回したイラクは、世界の中でイラクに対す同情を喚起する戦術に出た。当然といえば当然だが、イラクはメディア、それもテレビという映像を主体とし、リアルタイムを重視し、一次元的、すなわち時間は前に流れこそすれ後退はせず、テレビの報道はその場限りの一時的要素が強いという特性を最大限に利用した宣伝活動を行なったのである。

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