『征服と文化の世界史:民族と文化変容(上)』トマス・ソーウェル著、2004


さて、あらゆる経験が証明されるような事実があるとすれば、それはある国が他の国を支配下におくときであり、支配者の誰もが――支配国の国民を単なる足下の土くれと考えるときである――

ジョン・スチュアート・ミル

感想

2章は大体知っている話。多少、イギリス国内のウェールズとスコットランドの違いとかが興味深いぐらい。



序文

本書は一九九四年のRace and Culture、続く一九九六年のMigrations and Culturesの三部作の完結編である。この三部作はすべて、一九八二年から書き始めた本来一つの膨大な原稿であった。九〇年代に入り、最初はそうしようと思ったものの、1冊の本とするにはあまりに大きくなりすぎた。オリジ
ナル原稿の一部は、数年にわたって削除されることになった。オリジナル原稿の他の部分は四冊の本にまとめられ、アファーマティブ・アクションの国際調査としてPreferential Policies: An International Perspectiveという題名でこの三部作に先駆けて一九九一年に出版された。残りの部分は単に三分割さ
れただけでなく、三部作の生まれるまでの長い間、その間に出版された新しい学術書を読んだため、継続的に成長・発展したものとなっている。

これらの本の根底にあるテーマは、人種、民族、国民にはそれぞれ独自の文化があり、文化なくしておのおのの経済史・社会史は理解できない、というものであった。このような主張は控えめに思えるものの、一般的に広く受け入れられている考え方*とは真っ向から衝突するものである。
本三部作はまた、「よく知られて」今日に伝えられている、文化的な相違についての一般的な考え方とも真っ向から対立するものである。文化は博物館の陳列品ではない。日々の生活の中で実際に機能している仕組みである。美術作品の鑑賞と異なり、仕組みが他と比べていかによく働くかで判断される。ここで問題とされる判断とは、評論家や理論家の判断ではなく、特定の文化的営みを存続させるのか放棄するのかという、数百万人の個人の決断にかかわる判断であり、非効率や衰退という対価を個人的に支払ったり、あるいは、逆に利益を享受したりするような、そうした人々によって下される判断である。こうした対価は単に金銭で支払われるものだけでなく、不利益やひいては死にいたるまで、幅広い範囲に及ぶ。

(マイノリティの運命は周囲の「社会」によって決定されるので、その社会は特にマイノリティの貧困という不幸に対して、要因的・道徳的に責任を負う。もっとも、成功を収めたマイノリティの富には当然責任を負わないが)

広く国際社会をみれば、文化の役割は特別な人種や民族にとどまらず、様々な文明及び国家の経済的・社会的帰結にもかかわる。これは特に征服した場合の文化的帰結を扱った、本書についていえることである。移民と同じく、征服によって世界の文化的状況は異なるものになる。事実、南北アメリカやオーストラリア、ニュージーランド、さらにそれよりは小規模ながら、東南アジア及びアフリカでも、こうした歴史的影響を与えた大量移民を促したのは、多くの場合それに先立って行われた征服である。これらの地域に再定住した人々は、単に征服国家や征服民族の面々であっただけでなく、東南アジアにおける華様々な文化や民族を背景として他所から移民してきた人々をも含む。例えば、

  • 東南アジアにおける華僑、

  • アフリカにおけるインド人移民、

  • 西アフリカにおけるレバノン人移民

がそれである。彼らは植民地体制の法律と政府による庇護を受けて定住したが、その法律と政府には原住民の制度よりも深い信頼を寄せていた。原住民の間にあっては、異なる原住民集団が地域支配を行い、外部からの攻撃に用心深く当たるよりも、外国人の支配下でのほうが、その土地や地域における社会的移動性は高くなる。征服によるマイナス面もまた、お決まりの弾圧から横暴な虐殺・残虐行為にいたるまで、むろん看過すべきではない。

征服の歴史は国際移民の歴史に似て、問題は広範囲に及ぶ。すなわち、ある国の特定領域内で通常議論される問題は、人種的、民族的、文化的と各方面へ多岐にわたる。次章以降で扱う征服の歴史はまた、移民の歴史よりも広範囲な年代に及んでいるが、それは大洋を航海していった大量移民の時代は、記録された歴史すべてに及ぶ征服の時代よりも、はるか後に始まるからである。したがって、Migrations and Culturesでは大半の民族集団の歴史はせいぜい一八世紀に始まっているのに対して、例えば本書におけるイギリス史は、先進文化の進入によって島国とそこに住む人々の長い変容過程が開始することになる、ローマ帝国時代に始まっている。

これは何もイギリスに固有なわけではない。ローマ帝国の長期に及ぶ影響は、依然ヨーロッパの大半の国に残っている。ローマ文化による影響がみられない場合、スラブの歴史が示すように、数世紀にわたってヨーロッパ以外の国では経済的・社会的停滞が発生した。さらにそれより以前、中東と中国に発達した文明は、文明発祥地から遠く離れたところに到達するという文化的帰結をもたらした。西洋世界の非西洋世界に対する今日みられる文化的影響は、西洋に固有の現象でも新しい現象でもない。中国、あるいは、地中海の東端地域に集合した国家からは、幾世紀もの間外部に向かって進歩した文化が放射状に持続的に広がっている。

結局問題になるのは、いかなるテーマや結論がここで提起されるかということでなく、こうしたテーマや結論の背後に存在する事実である。それゆえ頼みの綱となるのはモデルの抽出ではなく、歴史でなければならない。歴史はまた、はるかに限られた選択肢しかもたずに貧時を生きた人々*に比べ、いかに我々が豊かさを享受できるようになったか、ということを知る機会を提供してくれる副次的効果を有する。

(今日まったく当たり前に受け止めている、進歩を生み出す過程において、猛烈な苦しみを味わうことも多かった)

民族的相違にかかわる極めて沸騰しやすい問題は、数世紀に及ぶ歴史と国際規模の中で合理的に検討してみる必要がある。そしてそれは、我々自身の場合よりも冷静に他の民族や時代をみつめなければならないし、現代世界よりも広範囲な時代環境で生み出された様々な証拠に基づいたものでなければならない。幾世紀ものうちに民族の相対的地位が大きく変化したということは(国家と文明もまたそうであるが)、ある時間と空間という狭い枠の中でのみ妥当性を有する理論を揺るがすだけでなく、検討すべきはるかに多くの要素も提供してくれる。したがって、他のことでもいえるが、問題なのは到達した特定の結論でなく、むしろ到達しようとする過程で得られる知識や理解であろう。また、こうした知識や理解は、歴史的証拠を異なるかたちで解釈する人々にも等しく役立つはずである。

学説の信憑性や抽象的な理論的モデルの優美さを期待する人々は、ここではそうした議論を見出すことはできないだろう。名高い歴史経済学者がいみじくもいったように、

「本質的な問題に対する優雅さを欠く分析のほうが、おそらく付随的問題を厳密に分析することよりも、はるかに価値があるだろう」

と考えられる。本三部作の目的は民族と文化という膨大なテーマについての結論を述べることではなく、それとは逆に、他者によって探索の扉を広く開けてもらうことにある。ある種の歴史的記述は、「明らかに非常に短命で、いわんや信頼がおけるとはいえない内容」という状態である。それゆえ、本シリーズが求める名誉ある役割が存在するのである。

トマス・ソーウェル

ローズ・アンド・ミルトン・フリードマン公共政策研究シニアフェロー

フーバー研究所


Robert Higgs, Competition and Coercion: Blacks in the American Economy 1865-1914 (Cambridge: Cambridge University Press, 1977), p. 10.

.A. William Salomone, "Foreword," Rodomir Luža, The Transfer of the Sudeten Germans: A Study of Czech-German Relations, 1933-1962 (New York: New York University Press, 1964), p. xi.



謝辞

長大な本三部作は、世界中の国々で様々な職に就いている、多数の人々の助力なしには成しえなかっただろう。私がお世話になったすべての人に対する深甚の謝意は、本書自体に象徴されているのかもしれない。すなわち、彼らには学術研究や雑務補助、分析のための資金援助、三部作を出版可能にした資金援助といった面でお世話いただいている。取りまとめ作業が進行していた一五年間は満ち足りたものであり、過去と現在の多くの専門研究から示唆を受けることができた。ビクター・パーセルの記念碑的研究であるThe Chinese in Southeast Asia(1)によって、一般的な国際民族研究に向け初めて私は突き動かされた。チャールズ・プライスの労作Southern Europeans in Australia(2)は、多数の国々における様々な民族にも当てはまる洞察力と示唆とを与えてくれた。フェルナン・ブローデルによる一六世紀の地中海世界を地理学、歴史学、文化的手法を優美に駆使した分柄(3)、バーナード・ルイスによるイスラム世界の歴史に関する傑作(4)、その他様々な分野における研究は、かけがえのない知識と展望とを提供してくれた。これらの著作者たちは、私がその双肩によって立とうとした巨人たちの仲間である。しかしながら、支援といったものに対する感謝は身内から始めなければならない。私の場合、三部作執筆にかかる大半の年月をともにしたフーバー研究所、リサーチ・アシスタントのナ・リウ、それに秘書のアグネス・ペイジに対してである。

最低限の支出明細とまったく無管理の状態で、数年間継続的に私のやりたいように自由にさせてくれたのは、フーバー研究所のくれた最大のギフトであった。これなくして、他のどのような援助でも*、この長大な研究を成しえなかったであろう。すなわち、再考を繰り返しつつ自分のペースで進むことができたし、本書執筆中に出版された様々な文献から得られた新しい着想で補強し、明晰さと読みやすさを追求して、それこそ何度も書き直しすることができた。ナ・リウの調査は、私の要求する以上のものであったが、その中には私の思いもよらなかったことを、彼女自身が示唆したり着想したりしてくれたものも含まれる。また、彼女と私の秘書のアグネス・ペイジは、二人とも私の周囲に予防線を張ってくれた。おかげで作業が中断し、多くの人に会って時間を浪費してしまうようなことがなくて済んだ。そうした人々の要求とお願いは、たいてい個々には極めて合理的なものだが、それがまとまると実現不可能なものになってしまうものである。私の講演予約担当のルース・アルベンもまた、数々の講演の依頼に対して私自身とオフィスのために時間を空けるようにしてくれたので、本研究に時間を割くことが可能になった。謝意はやはりナンシー・ライトにも表さなければならない。数年にわたって彼女は秘書としての、また、ときにリサーチ・アシスタントとしての務めを全うしてくれた。難問が起きても、そのことに対して私は援助の手を差し伸べることができなかったが、そうした骨の折れる仕事でも彼女は見事にこなし、たとえそれが再三に及ぶものであったとしても、見事に処理してくれた。

(二回に及ぶ完全な世界周旅行を含む、広範囲に及ぶ海外旅行への潤沢な出資でさえも)

財政的支援によって本研究は可能になったものである。支援者の中にはフーバー研究所の他に、教育研究所(Institute for Educational Affairs)やエアハルト財団がある。偉大な故ジョージ・スティグラーからの要請で、エアハルト財団より数十年前には潤沢な支援を賜ることになった。これにより研究を完遂してシカゴ大学から学位を授与されることになり、エコノミストとしての仕事に就くことができるようになった。

出版に向けて原稿が整った際に、妻のメアリーは最後に最も重要な通読に当たってくれた。その結果、修正を加えたり、他者との議論をしたりすることになったものの、最終的には、広範なテーマに関して改良されたかたちの本にすることができた。こうしたことにはかなりの助力が要求されるものである。

この他、その支援に対してそれぞれ感謝に値する人々も多々いるものの、その中には曖昧な記憶ゆえにうっかりして書き忘れている人も間違いなくいるであろうし、その方々にはひたすら謝罪する他ない。以下にその貢献に関して記憶している人々を、アルファベット順に列記しておきたい。

バーナード・アンダーソン博士-Assistant Secretary of Labor、レジオナル・アップルセードーtheUniversityofWesternAustralia(Perth)、アバキアン博士-AustralianInstituteofMulticulturalAffairs(Melbourne)、アレクサンダー・ベニグセンーtheÉcoledesHautesÉtudesenSciencesSociales(Paris)、アンドレ・バタイユ博士-UniversityofDelhi、マリー・ベニグセン・ブロクザップーeditorofCentral AsianSurvey、ロンド・キャメロン教授-EmoryUniversity、スマ・チットニスーtheTataInstituteofSocialScience(Bombay)、グレゴリー・クラーク教授-StanfordUniversity、ウォーカー・コナー教授 -TrinityCollege(Connecticut)、ジョン・コーネル教授-UniversityofTexas、スマン・デュベイ氏ーIndiaToday(NewDelhi)、ピーター・デュイグナン博士-theHooverInstitution(Stanford)、ジェームズ・フォーセット教授-the East-West Center, University of Hawaii、ジェームズ・フリン教授- the

University of Otago (New Zealand)、ルイス・ガン博士― the Hoover Institution (Stanford)、フー・ジェン トルズー the Private Sector of Organisation of Jamaica、ベトロ・ジョージウー the Australian Institute of

Multicultural Affairs (Melbourne) ーガレット・ギブソン教授- California State University

(Sacramento)、ハーベイー・ギンズバーク氏- William Morrow Publishers、ネイザン・グレイザー教授 - Harvard University、アンソニー・ホプキンス教授- Oxford University、ドナルド・ホロウィッツ教

授- Duke University、ジェームズ・ジュップー Australian National University (Canberra)、ウォルフガ ン・カスパー教授- the Australian Defence Force Academy (Campbell)、ロバート・クリトガード教授ー

the University of Natal (South Africa)、レスリー・レンコウスキー氏— the Hudson Institute、グレッグ・ リンゼー氏- the Centre. for Independent Studies (Sydney)、シームア・マーティン・リプセット教授ー Stanford University、ジョン・マッケイ教授-Monash University (Australia)、ラツナ・ムルディア博士the Tata Institute of Social Science (Bombay)、チャールズ・ブライス教授- the Australian National University (Canberra)、アルビン・ラブシュカ博士― the Hoover Institution (Stanford)、ソヒンダー・ラ+ - the U.S. Information Service (New Delhi)、ピーター・ローズ教授- Smith College (Massachusetts) クラウディア・ロゼットー the Asian Wall Street Journal (Hong Kong)、ドミニク・シュナッパー the École des Hautes Études en Sciences Sociales (Paris)、シャロン・シディク博士・カーニナル・サンデゥ+- Singh of the Institute for Southeast Asian Studies (Singapore) サミー・スモーハ教授-the University of Haifa (Israel)、レオ・スリャディナター the National University of Singapore、マルコム・(Virginia) (Canada)、マイロン ・ウェイナー教授・スティーブン・ウィルキンソン氏 the Massachusetts Institute of Technology、エンダース・ウィンブッシュ博士- the Strategic Applications Intelligence Corporationトッド教授- University of Exeter (England)、メアリー・リン・タック女史- American Historical Society of Germans from Russia (Nebraska)、フィリップ・ヴァーノン教授 the University of Calgary


注(*は邦訳のある文献をさす)

1. Victor Purcell, The Chinese in Southeast Asia, second edition (Kuala Lumpur: Oxford University Press, 1980).

2. Charles A. Price, Southern Europeans in Australia (Canberra: Australian National University, 1979).

3. Fernand Braudel, The Mediterranean and the Mediterranean World in the Age of Philip II, translated by Siân Reynolds (New York: Harper & Row, 1972).

※4. 例えば、Bernard Lewis, The Arabs in History (New York: Harper & Row, 1966); idem, The Muslim Discovery of Europe (New York: W. W. Norton, 1982); idem, Race and Slavery in the Middle East: An Historical Inquiry (New York: Oxford University Press, 1990); idem, Islam and the West (New York: Oxford, University Press, 1993); idem, Cultures in Conflict: Christians, Muslims, and Jews, in the Age of Discovery (New York: Oxford University Press, 1995); idem, The Middle East: A Brief History of the Last 2,000 Years (New York: Scribner, 1995).

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