『中国の論理:歴史から解き明かす』岡本隆司著、中公新書2392、2016。感想

基本的なメッセージは「むすび」に纏められている。

・・・中国の言動を根底で枠づける社会構造、論理枠組の本質が、いかに変わらなかったか、という事実ではなかろうか。
 
イデオロギー・体制は君主独裁制から立憲共和政、三民主義からマルクス主義、計画経済から市場経済へ移り変わっていった。しかしその前提に必ず存在していたいのは、「士」「庶」が隔絶し、上下が乖離した社会構成である。

pp. 207-208

著者は書いていないが、1億人いると言われる中国共産党員が「士」になるのだろうか。

ただ、尻切れ感がぬぐえないのは、史学の立場から「士」「庶」の現実のあり様を書いてきたと同時に、いかにそれを儒教が表現してきたか、あるいは儒教が思考の枠組みを制約してきたかという点も本書の眼目であり、それが20世紀の「近代化」で終わったかのような説明で終わっている(4章3節)。

しかし現実にはマルクス経済学というか、中国共産党式の訳の分からない内部ロジックがある訳で、それが全然新種なのか、それともやっぱり儒教の影響が抜けてないのかとかは面白いはずなのだが…

まあ、著者としては科挙を止めた時点でそれは終わったという認識なのだろう。ただ、マルクス・レーニン主義に引き続き、毛沢東「思想」、鄧小平「理論」というものがあることになっていて、それが中国の基本理念ということになっている。この辺りになると儒教もビックリの理論構成になっている、のかもしれない。なんせ、こんなものは中国共産党以外の人は誰も真面目に相手にしないし、中国共産党内部の人も外部に発信しないから、とにかく暗黒大陸になっている。別にそれが現実の政策プロセスに影響がないならどうでも良いのだが、コロナの対応とか不可解なものもある。一帯一路とか「アベノミクス・三本の矢」みたいに一発撃ち上げた打ち上げただけなのだろうか。しかし、あっちは現実に動いている金の桁が違う…



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