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ミモザクエスト ~地上の花嫁~

今日はミモザの日。身近な女性に敬意をこめて「ありがとう」を伝える日のようだ。

この催しを知ったとき、日本に生まれた僕としては「また面倒な催しが来日したな」と思った。なぜなら、イベントが生成されるごとに気にしなければいけないことが増えてしまうからだ。

そもそも、女性感謝の日があるのであれば、男性感謝の日があってもよくないか?それが平等というもんだ。フェミニストの僕は疑問に思った。

もしかしたら僕が知らないだけで、男性感謝の日は既にあるのかもしれない。そう思って、google先生に男性感謝の日を聞いてみたら、「男性感謝の日」という祭日に気に入った女性といつ、どこででもエッチが出来るという設定のエロ漫画が出てきた。ユビキタス技術もここまで来たかと僕は素直に感嘆したが、男の考える感謝の日の程度がわかっただけだった。

さてはて、少し話がそれてしまったが、本日3月8日が女性感謝の日となっているようだ。面倒ではあるが、制定されてしまったからには身をゆだねるしかないのかもしれない。

僕の身近な女性と言えば、妻にあたるだろう。妻に感謝をこめて「ありがとう」を伝えればいいのだからたやすいことだ。

しかしながら、そもそも感謝とは、その時その場所で伝えるものではないか。何か嬉しいことをされたとき、助かることをされたとき、その都度「ありがとう」を伝えるべきなのだ。実際、僕も妻にその時その時で「ありがとう」を発している。

それなのに、なぜ改めてのありがとうが必要なのだろうか。そこんところがよくわからなかった。

このイベントの本質が理解できないのに、軽はずみな行動で参加することもできない。それはこのイベントに対する愚行、侮辱なのではないか。そうに違いない。

このままだと僕はこのイベントに参加できない。とても参加したいのにだ。妻に改めてありがとうと伝えたいのにだ。ミモザの花もこれでもかってほど与えたいのにだ。でもできない。本当はしたいのだけど、ものすごく参加したいのだけれど、本質を理解できないから参加を辞退するしかない。

……という趣旨で妻に辞退の旨を伝えたところ「バカなの?」と蔑んだ目で見られてしまったので、泣く泣く参加することにした。

しかしながら、やはり参加するにはこのイベントの本質を理解したい。

これを理解するためには、心の底から女性に対して感謝した時のことを思い出してみればいいかも。

僕が今までの人生の中で心の底から感謝した女性……それは恐らく小学生の時に出会った女性、”ビアンカ”だろう。


…………


その時、僕は小学生だった。

当時、ゲーム大好きっ子だった僕は様々なゲームに触れていた。そんな中、僕はとあるゲームと運命的な出会いを果たしてしまう。

それが、スーパーファミコンで発売された「ドラゴンクエストV ~天空の花嫁~」通称ドラクエ5だ。言わずと知れた人気シリーズ「ドラゴンクエスト」の5作目にあたるソフトである。

ドラクエ5の発売から数年経ったある日、友達からソフトを貸してもらいプレイするに至るのだが、小学生ながら衝撃を覚えた。

今までのドラクエと違う点……それは、プレイを通して主人公の一生を疑似体験できるということだ。

ゲームのスタートは主人公が幼年期の時分から、そしてストーリーを進めていくと青年期と成長し、そこから結婚やら子供の誕生やらといったイベントが起こり、最終的に自分の子供と力を合わせて魔王を倒す、という流れになっている。

もちろん、プレイし始めの僕にはそんなストーリー展開を知る由もないのだが、幼年期から始まる主人公に対し、歳も近いからか早くも主人公に感情移入をしてプレイしていた。

そんな主人公には幼馴染の女の子がいた。それがビアンカである。幼年期から知り合ったビアンカは、主人公の2歳年上であるがゆえに、常にお姉さん風を吹かせていた。そんなお姉さんであるビアンカと一緒に冒険にいったりして、主人公ととても仲が良かった。しかしながら、その後は、青年期に移行するまでお互い離れて過ごす。

そして、青年期で訪れる結婚イベントでビアンカとの再会を果たす。この結婚イベントでは大きな選択を迫られてしまう。

それは……「幼馴染のビアンカか、富豪の娘のフローラか、そのどちらかを妻にしなければいけない」という究極の二択だ。

このゲームをプレイしているほとんどの人が、まだ結婚のケの字も知らない子供だろう。にも関わらず、どちらかの女を選ばなければならないという、苦渋の選択を強いてきたのだ。これには小学生の僕もびっくりである。

突然の人生の修羅場が、ブラウン管越しに訪れてしまったのだ。

僕は迷った。確かにビアンカは幼馴染である。幼少期に一緒に過ごし、年上ということもあって、主人公をよく見てくれた。

対してフローラはポッと出の女なのだ。しかしながら、富豪の娘である。もしかしたら、こちらを選ぶことで何かいいアイテムとかをもらえるかもしれない。

僕は本当に悩んだ。どちらを選べばいいのか……どちらの喜ぶ顔を見たいか……

そこで僕は、発想を転換する。それは、「選ばれなかった方に対する感情を基準に考える」ということだ。

つまり、選ばなかった女に対して湧き上がる感情を想像することで、後悔がないように選択できるのではないかと考えたのである。小学生にこんなことを考えさせるなんて、本当に人生を勉強させるいいゲームだなと僕は思った。

さて、まずビアンカを選んだ時のことを考えよう。選ばれなかったフローラに対しての感情は……何もない。やはりというべきか、そもそも出会ったのが遅すぎたのだ。だからフローラに対して思い入れがさっぱりない。金を持っていて顔が良くておしとやか……それぐらいの情報しか僕はもっていないのだ。感情移入をする余地がない。

では、逆にフローラを選んだ時のことを考えよう。そうするとビアンカとはここでお別れになってしまう。フローラを選んだけどビアンカとはまた冒険を続けような!なんて新婚早々そんな浮気はできない。つまり、フローラを選んだ時点で、ビアンカとの冒険はそこで終わるのだ。

そう考えたら、なぜだか知らないけどビアンカに対して感謝の気持ちがいっぱいになった。

「今までありがとう」

そう呟きたくなったのだ。幼年期から主人公を、いや、もはや主人公に投影した僕自身をよく見てくれて、年上として引っ張って行ってくれた。そんな関係がこれからも続くんだと思っていた。昔と同じように冒険をして、楽しく笑い合える……そう思っていた。しかしながら、そんな当たり前であったことが、この時をもってして終わってしまうのだ。

だからこそ「今までありがとう」という言葉が浮かんだのかもしれない。

フローラには、ビアンカと過ごしたことで得た「当たり前」がないのだ。当たり前にそこに存在して、当たり前にやり取りをする。そんなことがないから、フローラを選ばなかったことを想像しても、「ありがとう」という言葉はフローラに対して出てこなかったのだ。

「当たり前」に対する「ありがとう」を、僕はこの時初めて知ったのだ。

そして、僕は決めた。きっと、その表情は晴れ晴れしていただろう。本当のありがとうを知った瞬間、僕の心の靄は晴れた。暗い道に希望の光が灯ったようなそんな感覚。心の底からのありがとうを知ってしまった僕が選ぶ女性は、一人しかいないのだ。





僕はフローラを選んだ。


だってさ、フローラの方がお金持ってるし、何より顔が好みだし、性格も穏やかだしさ、何よりお金持ってるし。「当たり前」は、これから起こるいっぱいの「ありがとう」をもとに一緒に作っていけばいいのさ。


ビアンカ……今までありがとう。


…………


そう。僕は知っていたのだ。ミモザの日の本質を。ドラクエ5を通して、知っていたのだ。

嬉しいことをされたから「ありがとう」、助かったから「ありがとう」……もちろんそれらの単発の「ありがとう」も大切だ。

しかしながら、そんな「ありがとう」を言える関係を続けてくれている、当たり前のようにその関係を続けてくれていることに「ありがとう」を伝えなければいけないんだ。


そのことを思い出した僕は、このミモザの日に想いを込め、改めて感謝を呟いた。

「当たり前になってくれてありがとう」

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