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書棚の間で自己について考える――『BANDIT vol.2』のためのイントロダクション

11/20(日)『BANDIT vol.2』を発行する。今回の特集は「自己啓発大解剖」

今回は、その導入となるテキストをお届けする。

『BANDIT vol.2』表紙
『BANDIT vol.2』目次

私がよく行く本屋はビルの二階分を占めていて、一階には雑誌や文芸書が、二階には実用書やビジネス書が並べられている。大体は一階しか見ないが、時々は二階にも足を運んでどんな本があるのか見ることもある。二階には自己啓発書や専門書があり、それらの棚をざっと確認する。

ITエンジニアとして働く私は日々チームビルディングに勤しんでいる。チームメンバーの強みと弱みを言語化し、協調することを促し、士気が高まるように仲間を鼓舞する。休みの日の私は気になっていた小説の一ページを開き、自分だけの世界に閉じこもって、外に出ることもない。本屋の一階にいる私と二階にいる私。外向的なわたしと内向的なわたし。どちらのわたしも同じ私の中に存在して、どちらが本当でどちらが嘘ということもない。お前は何者だと問われても、わたしは常に書棚の間にいて、中二階でぶらんとしている。そんなわたしが等価に存在し合う世界の中で、自己啓発はどんな意義を持っているのか。その価値を見定めたくてこの特集を企画した。

自己啓発研究の泰斗として知られる牧野智和は『自己啓発の時代』で、フーコーなどを参照しながら、後期近代において自己について考え、言及する圧力が強まっていること、その中で職業や学歴、社会的地位といったシンプルな切り口で自己を語れなくなっており、私たちは自己を構成し直さざるをえないプロジェクトを生き続けていることを明らかにする。その上で、牧野は、仕事やジェンダーなど、特定の参照項の中で自己を新しく布置し直す技術こそ自己啓発の本質だと見定めている。牧野が同書と続編ともいえる『日常に侵入する自己啓発』で描き出したように、そうした技術が浸透することによる私たちの心的傾向を描き出すこと、また、そうした技術を生み出す産業の内部を洞察することは、私たちが生きる現在の世界と私たち自身についての像をくっきりと焦点化してくれるだろう。

私自身もそうであるように、自己啓発は、仕事や人生の中でどのように振る舞うべきか迷ったときの指針を与えてくれる実用的な側面がある。ただし、いまや自己啓発産業は世界全体で何兆円もの規模をもつ巨大産業でもある。自己啓発は、世界を分かりやすく単純化してくれるがゆえに、詐欺的な商法や洗脳的なセミナーも跋扈する危険な領域でもあることには注意しないといけない。

フロイトが精神活動の源泉を説明するモデルを発表してから一〇〇年以上が経ち、精神分析や心理学、認知科学などの分野から私たちの心理の構造を解き明かす多様なモデルが登場した。目に見えない精神の形を理解しやすくするには精神構造を簡潔に表現するモデルが不可欠だが、私が単一のわたしに還元できないように、世界の複雑性をそのままに捉えることと、単純化されたモデルの間を行き来することこそ、私たちが自己啓発の罠に嵌まらないためには必要だろう。


今回の特集では、前半で自己啓発産業に関わる方に取材し、インタビューやルポという形で、各々の視点からどのように自己啓発という世界が立ち上がっているのかを明らかにした。自己啓発産業を支えているのは何と言ってもマスメディアであり、中でも出版業界の働きが大きい。そのため、今回の特集では主に、出版業界と関連する著述家、編集者、ライターといった異なる職業の方への取材を行った。特集の前半からは、産業の内部にいてもその態度には濃淡が見られること、自己啓発にまつわる言説がマスメディアの外にもじんわりと広がっていっていることが分かると思う。

特集の後半では、六本のコラム・論考を掲載し、自己啓発の正負の側面についてそれぞれの視点から切り取ってもらった。哲学、思想、文学など複数のジャンルを横断し、自己啓発のこれまでとこれからについて新たな視座を提供してくれると思う。

この特集を読んで、自己啓発という拡張し続けるジャンルからいまの世界を、そして私たち自身について考える新たな視座を獲得してもらえれば幸いだ。

この特集を成立させるにあたり、多くの皆さんにご協力を賜った。この場を借りて篤く御礼申し上げる。

坂田散文

※文学フリマ東京35、コミティア142にて頒布予定です。

文学フリマ東京35会場図
BANDITはS-31で出展します
コミティア142会場図
BANDITは「の36b」で出展します

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