それは、扉を開く物語だった。 新海誠を知ったのは、僕が中学生の頃。 お小遣いをはたいて買ったアニメージュの付録、パイロット版の『雲の向こう、約束の場所』のデモムービーが、僕にとっての彼との出会いだった。 彼の紡ぐガラス細工よりも脆く美しい、奇跡みたいな日常の風景に心奪われた。懐かしい風景と、愛おしさに満ちた夜の明かり。まだノスタルジアを感じられるほど故郷から離れていない僕にとっても、その映像は「失いたくない」と思う心の中の風景と重なった。 彼の作品の光は、心の中で見る風景
放映開始した数年前、一話を見ながら爆泣きして、ひたすら泣きながら3話くらいまで見て、流れていく日常に埋もれて、もう一回見出して泣きながら7話まで見て、また忙しさに埋もれて完全に忘れていたところにプライムビデオでひょこっと顔を出してくれて、なんの気無しに見始めたら開始十分くらいから声が出なくなるくらい涙が出て止まらなくて。そこからひたすら泣きながら一気に全話見て。 僕の涙腺の十割バッターですこのアニメ。 このアニメのストーリーをかいつまんで言うと、いろんな背景を抱えた(或い
9月からこっち、怒涛の如く忙しい日々を送っていました。 忙しいという字は心を亡くすと書きますが、まさにその通りで。どんどん視野は狭くなっていき、家族との関係はギスギスして、自分が疲れていることにすら気づけないような有様でした。 幸いにしていろいろなものを犠牲にしながら、その忙しい期間を走り切りることができ、どうにかこのノートを書いているわけで。忙しいときは一顧だにしなかった、「人間性」というものを回復しようとして今ここにつらつらとつぶやいています。 忙しいとき、自分は何
読書の秋ということで、noteのお題にたまたま僕の大好きな本が上がっていたので、ちょっとお話したいと思います。 四畳半タイムマシンブルースが出て気付きましたが、この本が出てからもう13年も経つんですね。そりゃ年も取るわけです。 四畳半神話大系というお話タイトルからしてもう素敵です。 本書の内容をざっとかいつまんでお話しすると、「ありとあらゆる可能性の混在した四畳半という不思議空間に囚われた”私”が、目の前にぶら下がるチャンスを掴み取って、運命の黒髪の乙女との恋を成就させる
結構前に書き始めていたけれど仕事環境の激化に伴い放置していた雑記を書き終えたものです。 導入最近、書店をぶらぶらしていたら、明石さんが微笑んでいる一冊の緑色の本を見つけました。 本の名前は「四畳半タイムマシン・ブルース」。森見登美彦氏の新刊でした。 最近忙しさを言い訳に新刊チェックを怠っており、恥ずかしながらウォッチしていなかったため歓喜と共に購入を決意、家に帰ってKindleで購入するのでした。 森見氏はいいぞ!森見氏は学生時代からずっと好きで、彼の著作は全部読んで、ア
大人になってからというもの、自らにとって楽しい想像、こうであったらいいのに、という空想をしなくなったような気がする。 自分自身の願いというものは小さく押し込められ、空想の翼をはためかせることは少なくなった。 子供の頃ほど、 楽しい! と思うことがなくなってきているような気がする。 大人になるに連れて様々なことを経験し、経験は平準化され、感受性は摩耗してゆく。 夏休みの前、花火の前、遠足の前、旅行に行く前、魚釣りに行く前、楽しみで嬉しくって寝れなかったあの頃のような
今日は登山服のレイヤリング、とりわけ肌に一番触れるドライレイヤーというものについてnoteしてゆきたいと思います。 レイヤリングとは?レイヤリングとは登山における服の着かたの一つで、ざっくりと言うと「重ね着をして、いろんな天候・気象や状況に対応できるようにしよう」というものです。 従来の登山業界では3レイヤリングが一般的で、それぞれベースレイヤー、ミドルレイヤー、シェル(アウター)の3階層に分かれています。 一般的には、ベースレイヤーは肌から汗を取り込んで逃がし、肌を快
連日淡水魚に対する愛をつらつらと述べていますが、実は登山が好きだったりします。 今日は登山との出会いとその魅力についてつらつらとnoteしようと思います。 登山との出会いと装備品自分と登山との出会いは今を遡ること約7年半前の冬のことでした。 大学を卒業し、就職した私はとある理由から、冬山に行ったこともないのにビバークまで行う割とハードな冬山にどうしても行かなければならなくなり、「まずい、どうすればいいのか。このままでは死んでしまうかもしれない」と必死に調べまくりました。 取
お盆休みに帰ってきたおじさんは、驚愕の進化を遂げていました。その技術を教えてもらい、僕もついに鯉釣りの世界へと足を踏み入れます。 帰ってきたおじさんゴールデンウィークが終わり、おじさんとおばさんは都会へ帰っていきました。僕は一抹の寂しさを感じつつ、友達と共に近所の川を走り回って遊びます。回遊する鯉の群れを眺めつつ。 近所の川で鯉を釣ろうと思い、釣り糸を垂らしたこともありましたがどうも釣れる気配がありません。水が綺麗で人の姿が見えるからなのか、さっぱり見向きもされず、オイカ
鯉釣りは、僕にとってキラキラと輝く少年時代の思い出を想起させます。夏休みに祖父の家に遊びに行き、親戚みんなが集まった賑やかで楽しい思い出の象徴だからでしょうか。 川に映る時が止まったかのような故郷の情景、親戚のおじさんとの語らい、見通せない水底を写す竿と釣り糸、魚の動きを伝える涼やかな鈴の音、呼びに来る両親の姿。縁側にはスイカと蚊取り線香、夜になれば夜釣りと手持ち花火。面白いように釣れる魚たち。世界が満ち足りていたあの頃。 鯉との出会い小学校の釣りクラブで釣りに出会った僕
川は河口に近づけば近づくほど、支流が集まり大きな流れになります。そこでは水質や環境に適応する魚の逞しい姿や、大きく雄大な海との関係性を見ることができるのです。 水質や環境への適応下流に生息する魚は、中流域と重複する種類も多いですが、代表的なのはコイやギンブナ、ナマズ等の魚ではないでしょうか。 下流域の川底は、泥質或いは砂質の場所が多いです。これは上流域から石たちが流され、砕かれ、研磨され、徐々に小さくなってゆくからですが、先程挙げた下流域を代表する魚たちはこのような細かい
平野部を流れる川に住む魚たちは人間社会と密接な関係性をもって存在してきました。上流部に住む魚たちはその神秘性、狭い中での多様性や物語性で私を魅了していますが、中流域の淡水魚たちはなんと言ってもその身近さが大きな魅力だと感じています。 中流域の魚の種類中流域の魚としては、大きくアユ、ウグイ、オイカワ等が挙げられるのではないでしょうか。いずれも人間の生活域を出ることなく、ふらっと訪れた川で見ることができる魚です。 アユアユは初夏の風物詩として日本の文化に大きな影響を及ぼしてい
上流に住む淡水魚は、人間の目を嫌い、隠れるように生活しています。 「水清ければ魚棲まず」の言葉があるように、魚にとって上流域は必ずしも住みやすいところではありません。水が奇麗であれば捕食できる生物も少なく、鳥などの外敵から見つけられるケースも多くなります。そして流れは速く、急流や滝などの障害も多く存在しています。 そんな上流域に住んでいる彼らの魅力とは一体何でしょうか? その前に、そもそも上流域とは何なのかの定義をしておきましょう。学術的な場ではないので、とりあえずこの
淡水魚が好きです。海に住んでいる魚ではなく、主として川にいる魚が。 幼少期は海の近くに住んでいて、毎週のように水族館に通ったり、魚屋さんの前でじっと動かなくなったり、買ってきた魚を箸でつついたりしていたみたいですが、まだその頃は淡水魚に対する偏執的な愛情はなかったように思います。 転機が訪れたのは小学校3年生か4年生の頃、水曜日の午後いっぱいを使ってなんでもいいから何かをやってみましょうと言われた生活の時間に、僕は「釣り」を選択しました。釣具店で2000円くらいのウキ釣り