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何者にもなれなかった。

日々、私の中で人格が入れ替わり私は一体誰なんだ。何者なんだ。そう考えることが最近は多くなってきた。
自分の意志と体は全くの別物で、してしまいたくないことや言いたくないこと。この全てが逆になってしまう。だから私は、私自身誰なのか分からない。
幼少期に愛を感じにくかった私は、きっと今になって甘えたいという衝動に駆られ大人の赤ちゃん返り。いわゆる幼児退行を引き起こしているのだと思う。比較的記憶力はいい方なので幼少期の頃の記憶は正確ではないが覚えている。
私には兄がいるから、比べられる対象になっていた。私と違い、温厚で優しくて特に泣き叫んだりわがままは言わなかったので周りから大事に大事に育てられ、可愛がられていた。でも私は真逆で産まれたときから泣いてばかりで、よく癇癪を起こすような子だった。
0歳から保育園に入れられ、6年間ずっと預けられていたからきっと寂しかったんだと思う。
愛されていない訳でもないし、沢山色々な場所に連れていってもらうこともあったけど、当時の私も今の私も愛に飢えていて満たされなかった。
兄と比較され、お兄ちゃんは優しく育ったのに。
お兄ちゃんはわがまま言わないのに。そんな言葉を幼い私にかけたら、そりゃあこうなるよな。
と今なら納得が出来る。褒められた記憶もないし、容姿の否定もされてきたと思う。祖母は特に兄を溺愛していたから、同じ扱いをされなくてずっと寂しくてでもどう口にしていいのか分からなくて癇癪を起こして、泣いて怒るしか私の発散方法はなかったんだよね。兄なんかいなきゃ良かったなって思うことばかりだった。でも今は私も大人になりつつあるからそうは思わない。
でも凄く繊細で、顔色を伺い、すぐ変化に気づく。そんな生きずらい性格に私はなってしまった。兄が小学校3年生の時に、不登校になって
私の両親は意識が全て兄に向いてしまった。
父は学校に行かない兄に怒り、壁を殴って壊していた。前の話なのにやっぱり幼い私にはショッキングで今も覚えている。母からは、お兄ちゃんが学校に行けなくてもあんたは学校に行けて偉いね。ありがとうって書かれた手紙を貰った。でもその時の私にはありがとうなんて言葉が欲しかったわけじゃない。ただ私の事も見て欲しかった。
でも自分が頑張らなければ、我慢しなければ親は悲しんでしまう。親の気持ちを1番に考えて負担をかけないように必死だったんだよね。
休みの日は兄のサッカーの付き添いばかりで、あまり自分の好きな場所には行けてなかった。
ざっくりだけれど幼少期に私は我慢する事ばかりで中々親に悩みも言えず抱え込むような性格になってしまった。
だから、今になって。大切な人から愛されたい。
必要とされたい。自分だけを見てもらいたい。
愛着障害のようなものが出ているのだと思う。
周りとズレてしまって、人の気持ちを考えすぎて気を遣いすぎて空回りしてしまうことばかりだった。空気の読み方が分からない。こんな発言したら嫌われるかな。大丈夫かな。と自分なりに考えて工夫しても、今それ言うの??みたいな顔されて友達も人間も周りには居なくなってしまった。
でも私は何が悪いのか分からないし、自分なり凄く一生懸命。けれど上手くいかない。
だから今は極力人と関わることを避けている。
居なくなるのが怖いから。だったら最初から出会いたくない。自分が傷つきたくない。全てエゴにしかすぎないけれど、そうやって自分を守っていくしかこの先を乗り切る方法はない。
だからこそ今の彼には、優しく親切にしてもらえるなら全てを委ねてしまう。この人なら大丈夫かな。愛してもらえるかなって。でもやっぱり自分は何も出来ないのだと彼と比べて落ち込むことが多い。精神疾患をもっているからこそ、いつかしんどくなって私を手放すのではないか。そんな恐怖がずっとある。信じてあげたい、信じたい。
でも何度も裏切られてきたからこそ怖い。
彼の前では甘えすぎて、子供の自分が体に入り込む。駄々をこねたくなったり、わざと心配をかけたり。どうしても抑えられない衝動は私を苦しめる。頭では、しっかりと働いて彼と上手くやりたいしもっと自立したい。快く、彼が遊びに行くのを許してあげたい。けれど寂しくて怖くて不安な自分がいるから中々感情がコントロール出来ない。
愛されにくかった幼少期の私が、今の私を作り出してしまった。彼を困らせたくないからこそ病院にしっかり行って治療に前向きになっていきたい。
毎日沢山の自分に振り回されて、1日生きるのがやっとな私だけれどいつか自分を受け入れて好きになれる日が来ることを願っている。

何者

にもなれないわたしだけれど。

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