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書き換えて楽しむバロック音楽


はじめに

ここでは、バロック時代の代表的な独奏楽器、ヴァイオリン、オーボエ、フルート・トラヴェルソ(以下「フルート」)、リコーダーを用いた室内楽曲を当時の慣習や作曲者の意図に沿って、楽器編成を書き換えた作品や、名曲(個人の感想です)なのにあまり出版されていない楽譜を紹介しています。ピリオド楽器にこだわらず、通奏低音をモダンギター用に書き換えた作品もあります。

書き換えと編曲

古典派以降、作曲者による楽器構成、アーテキュレーション、速度などの指定は厳密になっていきましたが、バロック時代の器楽曲は、同じ作品でも様々な楽器編成で演奏されていました。
例えば「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ」という作品の場合

  • ヴァイオリン+チェンバロ

  • ヴァイオリン+オルガン

  • ヴァイオリン+リュート

  • ヴァイオリン+チェロ

  • ヴァイオリン+チェンバロ+チェロ

  • ヴァイオリン+チェンバロ+チェロ+リュート

  • ヴァイオリン+チェンバロ+チェロ+リュート+バロック・ギター

など、様々な編成で演奏され、作曲者はその全てを想定していました
更にトリオソナタ、カルテット、小協奏曲と編成が大きくなるにつれ、演奏形態の選択肢は更に広がっていきます。通奏低音においては、バスのラインに和音進行の指針となる数字が記載されているだけで、どのように内声を加えるかは演奏者の裁量に任されていました。

このようにフレキシブルで自由度の高いバロック音楽には「編曲」という概念はないと考え、ここでは「書き換え」と表現しています。

各楽器の音域と特性

バロック時代のヴァイオリン、オーボエ、フルート、リコーダーの音域は次の通りです。
当時の器楽作品の多くは赤色の範囲内(D4~D6)で書かれていました。

ヴァイオリン

音域が広く苦手な調や音もなく重音奏法もできるという、機能的に最も優れた楽器です。 ヴァイオリンは当時の作曲家にとって、鍵盤楽器とともに「必修科目」でしたので、ヴァイオリンを含む楽曲数は他の楽器に比べ群を抜いています。

高音域については、J.S バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」にG6、ヴィヴァルディの「四季」、ヘンデルのオラトリオ「時と悟りの勝利」の序曲にA6が出てきます。

バロック・ヴァイオリンは、肩当て、顎当てが付いていないこと、モダン・ヴァイオリンに比べ指板が短いこと、使用する弓が「逆反り」ではなく「順反り」であることなどで見分けることが出来ます。

ヴァイオリンはヴィオラ・ダ・ガンバと同様にコンソート(同属)楽器ですが、ヴィオラ・ダ・ガンバ属の5種類(パルドゥシュ~バス)に対し、ヴァイオリン属はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの3種類です。コントラバスについては、調弦やなで肩の形態などから、ヴィオラ・ダ・ガンバの生き残りと考えられます。

オーボエ

音域は2オクターブと1音です。オーボエにかかわらず、当時の管楽器の音域は基本的に2オクターブと1音でした。オーボエのための多くの作品は最高音を要求することなく、D4~C6に音域を抑えられています。

オーボエは、ここで挙げた管楽器中、最もデュナーミクの幅が広く、最も表現力豊かな楽器です(個人の感想)。
「室内のトランペット」とも称され、J.S バッハは、カンタータのオブリガート楽器としてオーボエを多用しました(BWV1~249b中、170回)。楽器に対し妥協を許さなかったJ.S バッハは、その多くでオーボエの全音域を駆使しています。オーボエは#系より♭系の調を得意とします。

フルート

基本的な音域は2オクターブと1音ですが、ヘンデルはフルートソナタHWV359bでF6、J.SバッハはフルートソナタBWV1034、BWV1030でG6、BWV1013ではA6を要求しており、2オクターブと4音(D4~A6)まで連続スケールが可能です。

フルートは、G#4やF6などの苦手な音があること、音程が不安定なことなどから、バロック期以降、最も早くキーシステムが開発されました。
フルートは♭系より#系の調を得意とし、楽器に対し妥協を許さなかったJ.S バッハでさえ、フルートソナタや管弦楽組曲第2番など、フルートを長用する作品は#系の調で書いています。
「音楽の捧げもの」の「フルート、ヴァイオリンと通奏低音のためのトリオソナタ」がハ短調なのは、あの意地の悪い主題で「6声のフーガを即興演奏せよ」というバカげた要求をしたフリードリヒ大王に対する意趣返しでしょう。

リコーダー

基本的な音域は他の管楽器同様2オクターブと1音です。最高音はG6ですが、テレマンはリコーダーソナタヘ長調(TWV41:F2)の第3楽章でC7を要求しています。苦手な音はF#6です。
リコーダーの作品を書く際、ほとんどの作曲家は巧みにF#6を避けていますが、J.S バッハは「ブランデンブルク協奏曲第4番」で当たり前のように要求しています。

リコーダーはコンソート楽器(同属楽器)で、現在では一般的にサブバスリコーダーからクライネソプラニーノリコーダーまでの8種類が存在します。バロック音楽では主にトレブル(アルト)リコーダーを用いますが、まれにディスカント(ソプラノ)リコーダー、ソプラニーノ・リコーダーがソロソナタや協奏曲などで使われています。その他に、最低音がD4の「ヴォイス・フルート」、その1オクターブ高い「6度フルート」というリコーダーがありますが、フルートの代用楽器としての位置づけです。バロック時代の中期以降、テナー以下のリコーダーがソロ楽器として使用されることはなくなりましたが、極めて稀な作品としてC.Ph.E バッハの「ヴィオラ、バスリコーダーと通奏低音のためのトリオ・ソナタ ヘ長調 H.588」があります。リコーダーは#系より♭系の調を得意とします。

チェンバロ

チェンバロの音域も楽器編成の書き換えや通奏低音のリアリゼーションにおいて重要なファクターです。バロック時代のチェンバロ作品ではD6を超える高音はほとんど出てきません。世界最長の鍵盤楽器作品、J.S バッハの「ゴルトベルク変奏曲」にもD6を超える音は出てきません。バッハにかかわらず、テレマンやヘンデルの鍵盤楽器作品においても同様です。トリオソナタなどのひとつの声部をチェンバロの右手に置き換える場合にはD6を超えないよう音域に留意する必要があります。通奏低音のリアリゼーションについても同様です。

作品例と作曲者の意図・習慣など

前述したように、バロック音楽の楽器構成はフレキシブルなものでした。楽譜の表題で「ヴァイオリンまたはフルートと通奏低音のために」などと、作曲者自身が複数の楽器を指定している作品はいくつもあります。というか、むしろそちらの方が一般的でした。楽譜の販路を拡大するためでもありますが、自身の作品をできるだけ多くの人に楽しんでもらいたいという願望もあったと思います。
テレマンやJ.S バッハなどの作品から作曲者の意図や当時の習慣などが読み取れます。

テレマン:6つのパルティータ

初版は1716年に活版印刷で出版されました。第2版は1728年にテレマン自身が銅板を彫った銅板印刷で出版されました。当然ながら第2版が作曲者の意図を直接表していると思います。楽器編成は「オーボエまたはヴァイオリンまたはフルートまたはチェンバロ・ソロと通奏低音のために」(Hautbois, ou Violon, ou Flute traverse, ou Clavessn, avec la Basse chissrèe)と明記されています。
上声部はD4~H5と、音域を抑えて書かれていますので、オーボエ、ヴァイオリン、フルートの他、ソプラノ・リコーダー、トレブル・ヴィオールなど様々な楽器や演奏形態に門戸を開いた作品となっています。

テレマン:12のメトーディッシェ・ゾナーテン

イタリア式装飾法(旋律的装飾法)のお手本集です。上声部の音域はD4~D6でヴァイオリンでもフルートでもオーボエでも演奏できます。テレマンは1~6番に「ヴァイオリンまたはフルート」、7~12番に「フルートまたはヴァイオリン」と明記しています。このことから、作曲者は、楽器を指定しない作品を書く時でも、特定の楽器を意識していることが分かります。

5番にヴァイオリンのダブルストップ(重音)が出てきますが、ユニゾンなのでフルートでの演奏を否定するものではありません。テレマンはオーボエ作品でD6を使うことはなく、オーボエでの演奏は意図していなかったと思われます。

テレマン:デュエット 変ロ長調

この作品はテレマンが1728年11月からほぼ1年かけて出版した大作「忠実な音楽の師」に収録されています。基本的にはヴィオラとチェロの2重奏ですが、冒頭部分に楽器構成の変更、それに伴う調号の変更、楽譜を書き換えることなくそれを実現する方法を示しています。左がテレマン自ら銅板を彫った出版譜、右はそれを見やすくしたものです。

この冒頭部分の記載は、フルート・トラヴェルソはアルト記号をヴァイオリン記号と見做し、ヴィオラ・ダ・グラッチョ、ヴィオラ・ダ・ガンバはバス記号をアルト記号と見做してイ長調で演奏するよう指示しています。リコーダーは、バス記号を小ヴァイオリン記号と見做してそのまま変ロ調で演奏します。

テレマンに限らず、このような音部記号の読み変えによる楽器変更の指示は多くの作曲家に見られます。

テレマン:3声のイントロドゥツィオーネ イ長調

「2つのリコーダーと通奏低音のためのトリオソナタ ハ長調」としてよく知られている作品です。この作品も「忠実な音楽の師」に収録されていて、編成は2つのフルート、2つのヴァイオリンと通奏低音です。テレマンは冒頭部分で、リコーダーとヴァイオリンで演奏するときは、ヴァイオリン記号を小ヴァイオリン記号と見做し、バスはバス記号をバリトン記号と見做してハ長調で演奏するように指示しています。

リコーダーはフルートより短3度高いため、フルートの曲を演奏するには短3度上に移調が必要です。頭の中で調号の変更が必要ですが、ヴァイオリン記号(普通のト音記号)を小ヴァイオリン記号(第1線がGのト音記号)と見做すことで楽譜の書き換えすることなく演奏できます。この方法は不可逆で、フルート奏者がリコーダーの作品を短3度下げて演奏することはありません。前述の「デュエット変ロ長調」でもフルートはリコーダーより短3度ではなく、短2度低いイ長調で演奏するよう指示されています。

テレマン:ファゴットと通奏低音のためのソナタ ヘ短調

この作品も「忠実な音楽の師」に収録されている作品です。「ファゴットソロ」とだけ記載されており、リコーダーでの演奏は示唆されていませんが、バロック・ファゴットとリコーダーはフィンガリングが似通っており、よくリコーダーで演奏されています。バス記号を小ヴァイオリン記号と見做せば、書き換えや移調なしにそのまま演奏できます。
このように、ファゴットやチェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバなど低音楽器のための作品をリコーダーなどの高音楽器で演奏することも作曲者の想定内でした。

サルヴァトーレ・ランゼッティ(1710-1780)は、作品2の6つのチェロソナタで、チェロパートとフルートパートを併記しています。併記している理由は、チェロパートの音域が広いため、フルートパートにオクターブ調整している箇所があるからです。

J.S バッハ:BWV1039とBWV1027

BWV1039は「2つのフルートと通奏低音のためのトリオソナタ ト長調」、BWV1027は「ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガートチェンバロにためのソナタ ト長調」です。BWV1027は、BWV1039の第2フルートを1オクターブ下げてヴィオラ・ダ・ガンバに、第1フルートをそのままチェンバロの右手に転用した作品です。

当時の室内楽曲の多くがパート譜の集合体で出版されていましたので、この方法は楽譜の書き換えが必要になります。写譜に慣れていないアマチュアの音楽愛好家には荷が重かったでしょう。

書き換えた作品と隠れた名曲の楽譜一覧

こちらをご覧ください。


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