『レオザフットボールは戦術家ではない』

昨今レオザフットボールのことを戦術家という肩書きで捉え、「戦術が全てではない」と揶揄する発言をメディア等でよく目にする。
しかし、彼の動画や活動をしっかりと見てる人には分かると思うが、本人は戦術が全てとは一言も言ってない。むしろ戦術はあくまでレシピであり、具材の良さを引き出すための最後の味付けに過ぎないと常々語っている。
ではレオザフットボール(以下レオザ)とは一体何者なのか、それについて筆者は本人の発言と行動をもとに本記事を書く。


よく「レオザの戦術は〜」というコメントを目にするが、まず大前提レオザに決まった戦術なんてものはない。おそらく「レオザの戦術は〜」と言う方はボールを繋ぐサッカーのことをイメージしてる人が大半だろう。だがそれは選手がそのレベルにあって初めて出来る戦術である。だからレオザは監督も重要だがそれ以上に選手にお金を出すオーナーの力量が重要で、むしろ戦術よりもちゃんとした戦力を自分の意思で整えられる方が大切だと常々言って行動している。それはレオザ自身が組織の良し悪しはトップで決まるということを理解しているからである。いくら監督が「こういうことを実現したい」と言ってもその最終決定権はオーナーにある。だから現場のことをよく理解していないのに口を出すオーナーではなく、現場をより理解している監督の意見をしっかりと反映させられるようなオーナーの存在が重要だと語っている。

実際に自身がオーナー兼監督をしている東京都リーグのチーム(シュワーボ東京)はヨーロッパのビッククラブの選手に比べて出来ることが少ない。だから今いる現状の戦力で出来る最適解を常に出そうとしながら、同時に自身でセレクションや広報活動、資金調達も行いチームを強化している。今回はその中でもアンチテーゼが集まりやすい戦術的な部分を一部お伝えしよう。

まずレオザ率いるシュワーボ東京の現状の戦力だと低い位置でビルドアップをすると奪われて失点する確率が高い。だからCBから相手の両サイドバックの裏(自分たちのゴールから1番遠く、もし奪われてもリスクが1番少ない場所)を目掛けてロングボールを配球して、そこからボールがこぼれる確率が高い位置に順番に人を配置する。そしてそのボールを回収し押し込んだ状況でゲームを展開するという戦術をとっている。これだけ聞くと「結局前に蹴るだけじゃん」と批判する人が出てくるが、配信等でもレオザは前に蹴ることを一切否定していない。むしろビルドアップを上手くデザイン出来ないなら前に蹴った方が良いとまで語っている。ロングボールを使うこと自体が悪なのではなく、ただなんの意図もなくロングボールを蹴ることに対して問題提起しているのである。このように彼は終始一貫して現状の戦力で勝つ確率が高いサッカーをしながら、より勝つ確率を上げるために現状の戦力を強化する。この2つの軸を元に行動している。

このレオザのサッカーに対する行動はビジネスで成功するために必要な過程と全く同じである。市場の把握、現状の把握をしたうえで最適な方法を取っていく。ある製品を開発したら、それがどんな製品なのか、それはどう使ったら1番活きるのか、最大限魅力を伝えられるのかというソフト面を磨きながら、同時にその製品自体の改良を重ねてより良い製品にしていくというハード面の研鑽も行う。良いシステムは誰が売っても売れるが、スーパー営業マンならもっと売れる。だから良いシステムを作るのとスーパー営業マンを増やすのを同時に行なっているのが今のレオザなのである。つまり彼は至極真っ当な「経営者」なのだ。それが筆者がタイトルに書いた「レオザフットボールは戦術家ではない」という問いの答えである。

レオザのサッカーを理想論だと言う人はぜひ配信を見てほしい。時折り監督批判に映る場面もあるがそこには必ず一貫性がある。というのも、配信ではもちろんサッカーの攻撃面についての提言もあるが、それよりも守備面についての提言が多い。なぜなら守備のやり方を整える方が簡単だからだ。サッカーはボールを足で扱うスポーツでミスが起こるのは当たり前。そのことをよく理解している彼だからこそボールを持っていない時、つまり守備の時間は攻撃に比べてデザインがしやすいことも理解している。その守備の部分を出来ていない、確率を上げられていないチームに対しては提言をすることが多い。また、人間が行うスポーツなので1度きりの現象で判断することは基本的にはない。同じ現象が複数回続いたり、再現性がないと判断出来る状態になってから提言をしている。わかりやすく言うと試合が始まって5分や10分は現状の問題点を指摘する。しかしそれが改善されればこれは意図していることとは違うと指摘を取り下げる。試合の最初の入りは比較的プレーや状況が落ち着かないというのはサッカーを観たことがある人なら分かると思う。それは筆者がサッカーを15年近くやってきてその時々の試合状況に慣れるまでチーム全体として時間がかかっていたという実体験からも正しいと言える。
そのうえで改善が見られなかったり再現性がなかったりすると意図がない、あるいは意図しているレベルが低いと判断して批判的に捉えられる提言をするのである。
同様に就任したての監督についても一次的に批判することは絶対にない。それは自身がオーナー兼監督という立場でサッカーと関わる中で、チームに自身の哲学を落とし込むには物理的に時間がかかるということを理解したからである。
そういったピッチ上で目に見える現象だけでなく、ピッチ外、時にはスポンサーや政治的背景から物事を考える視点は立派な経営者としての素質なのではないだろか。

本記事は筆者が動画配信や活動をあくまでメディアに出ている範囲で確認しただけの内容だが、それだけでもレオザの活動には一貫性があることが分かる。その一貫性とは「確率論」をもとに「最適解」を導き出そうとしているということである。
レオザは先日発売した自身の著書「蹴球学」にも書いたように、世界の様々な名将の良い部分を取り入れて実践している。つまり戦術にこだわりがないのだ。そういうと語弊が生まれるかもしれないがあくまで試合に勝つために、そのためならどんなこだわりも捨てられるという方が正しいだろう。ただ、勝つ確率を上げる点においては誰よりもこだわっている。
これは会社の経営が傾いてるのに既存の事業にこだわり続けて倒産させてしまう経営者の悪い癖も排除出来ているということだ。

だからレオザは本記事の冒頭で説明した通り、戦術が全てとは決して言わない。なぜなら戦術は勝つ確率を上げるための1つの要因に過ぎないからだ。それよりもメンタル面やモチベーション、組織が最大風力を出せる状況かどうかということの方が大切で、その土台があったうえでやっと戦術が生きるということも常に発信している。
切り抜きや一見だけだとどうしてもメッセージ性の強い部分だけ強調されがちだが、どうかこの前提を読んだうえで彼の活動を判断してみてはいかがだろうか。
よくある記事のタイトルだけ見て判断してしまう人間であってはならないというのはレオザの活動を見るうえでもとても大切なことなんじゃないだろうかと思う。

最後になぜレオザが批判的に捉えられがちなのかということを彼の発言も含めて筆者が考察する。
結論、ここまで考えてサッカーに向き合っている人が現状日本にいないからだという答えに辿り着いた。正確に言うと物理的な時間をかけている人はいるだろうが、ここまで理解し言語化出来ている人がいないということだ。Jリーグの監督やサッカー配信者には同等、もしくはそれ以上に時間をかけている人もいる。しかし物理的に時間をかければいいわけではない。努力は大事だが努力の方向性を間違えていては意味がないというのと一緒で、元々足が遅い人が100mのオリンピックに出たいと思っても物理的に難しいことは誰でも分かる。今のサッカー界において、あくまでメディアに露出している範囲内で、一貫して確率を元に様々なプレーから原則を見つけ、尚且つここまで言語化出来ている人は見たことがない。むしろいるのであればぜひ教えていただきたい。
レオザは基本的に実現したい未来のために確率論を元に物事を進める。そういった人間は努力の方向性を間違えにくい傾向にあるのだ。

ただ、人間は前例のないもの、自分が理解できないものを批判的に捉える傾向がある。そういった新しい風が世の中に受け入れられるには時間がかかる。そして今まさにその風が世の中に受け入れらようとする真っ只中。それは批判的な意見も多くなるはずだ。

レオザは確率を上げるプロフェッショナルである。だからこの熱が他分野に向けば、きっとその分野でも成功していたであろう。しかし幸いなことにそれが今はサッカーに向いている。優秀な人はサッカー界には来ない。彼自身も常々口にしていることだが、それはサッカーでは稼げないから、いや、稼げる確率が少ないからである。優秀な人は市場を見分ける。努力の方向性も間違えずらい。だから自分が成果を上げづらい、または上げても評価されずらい環境には飛び込まないのである。
だがなにがあろうか彼は飛び込んできた。それは純粋にサッカーというスポーツの魅力に取り憑かれてしまったからである。つまりサッカーというスポーツの魅力がレオザの確率論を上回ったのだ。そういった意味ではレオザは本当にサッカーバカなのかもしれない。
でもそんなサッカーバカのおかげで幸運にも世の中の論調が変わりつつあることはとても奇跡的なことなんじゃないかと筆者は考えている。

今後もレオザフットボールの「確率論から導き出す最適解」に目が離せない。

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