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転校生・八月三十一日くん

 日付を見て驚くなかれ! かつて小さな僕たちの濡れた羊のように震える心をかき乱し、やがてただの日付に過ぎないと各々が心にいい聞かす時期を迎え、べつにその日を境に季節が変わるというわけでもあるまいしとうそぶいてみせるも、いざその日を迎えるとやはり動揺せざるを得ず、ある種の神話じみた雰囲気さえ纏ったまま、大人になった僕たちをいまでもぞっとさせる、かの有名な八月三十一日ではないか! 十二ヶ月それぞれの月末に順位付けをしたならば、十二月三十一日と三月三十一日に次いで三位に食い込む、いやもしかすると三月三十一日と二位争いを繰り広げているかもしれない、かの屈強な八月三十一日ではないか! なんとなくその日を境に一年が前後半に分かれる気が未だにしてしまう、かの非論理的な八月三十一日ではないか! 先述のとおり季節の変わり目というわけではないにもかかわらず、日が暮れる頃になると、来るべきさびしい季節の予感を含んだ乾いた風が頬をなで、なにかが終わるとき特有の取り返しのつかない感傷へとなし崩し的に持っていかれてしまう、かの強引で懐古的な八月三十一日ではないか! かつての僕たちにとっては長く短い夢のような日々の終わりを象徴する日であったが、一介の会社員になったいまとなってはただ目の前を流れてゆく一日に過ぎず、それなのにこうしてあれこれ口を出したくなるのは、子どもの頃の思い出にすがっているだけなのではないか、あるいはいまを小学生として生きている未来ある子どもたちの無垢な感傷にフリーライドしているだけなのではないか、と稚拙な自省を促されてしまう、かの教訓的な八月三十一日ではないか! 人気者で、強くて、やさしくて、なんだか懐かしくて、でもどこかさびしい影があって、ふれようとするたびに離れていって、──そんな日をどうして好きにならずにいられようか。

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