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夢の話

『夢、ドリーム、レーヴ、ソーン、スエーニョ』どの言語でも響きが良く感じるのは意味を知っているからなのか、僕の感覚が変なのか。

夢は三つくらい意味がある。

寝てるときに見るモノだったり、叶えたいモノだったり、非現実的なモノだったり。

でもどれもが全部の意味を包括もしてるしどれもが全く別の意味をなしている。

日本語だと夢想だとか夢幻とか夢現となんだか捉えようのない語の枕詞になってる。

人の夢は儚いなんて使われすぎてすり切れた台詞もある。

まあこんな夢の外殻だけを語るのもまた掴みようのない夢をなんとか形式化したいからなんだけども。

というのも昔から僕は夢がない子供で、小学二年生の時に将来の夢の絵を描く時間があって、

僕は黒いスーツに赤いネクタイをしたサラリーマンを描いていたし、

なぜ描いたかというとなりたいものがなくて、仕方なく誰でも慣れると勘違いしていたサラリーマンを描いていた。

今じゃそのサラリーマンにもなっていないのは皮肉だ。

夢は昔はよく見たんだ。

子供の頃よく見た夢は誰かに追われて殺されそうになる夢。

最近は目を閉じて開けると朝だったりする。

夢なきものに理想なしと次期一万円札の肖像画様は言っていたし僕もそうだと思う。

僕には彼の偉い人が言ったその全てが無い。

なんだか夢のような話で申し訳ないし、暗い話だと思われたらそれは勘違いだとしておきたい。

特段夢がなくとも人間生きていけるし問題はない。

ただ夢は人間の体を動かすガソリンのようなものだと思うし、今の僕はガス欠した原付だと感じる。

夢について考えるのは現実を見ていないと言われる事もあるし、夢を見るのは若い時までという事言う人もいるだろう。

実際僕もそう思う。

しかし今のこのテコでも動かない原付を動かすにはやはりガソリンが必要なので夢を持つことにした。

ただ寝る前に夢について考えた取り留めもない乱文で、読んでいただいた方には不快な思いをさせてしまったと思いますがお許し頂けたらと。

とりあえず今日は夢を見たいな。

おやすみなさい。

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