人格の完成? そんなものは一生未完成

第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

文部科学省

「人格の完成」: 個人の価値と尊厳との認識に基づき、人間の具えるあらゆる能力を、できる限り、しかも調和的に発展せしめること(「教育基本法制定の要旨」昭和22年文部省訓令)。
真、善、美の価値に関する科学的能力、道徳的能力、芸術的能力などの発展完成。人間の諸特性、諸能力をただ自然のままに伸ばすことではなく、普遍的な規準によって、そのあるべき姿にまでもちきたすことでなければならない

文部科学省HP「教育基本法の解説」

人格の完成は、教育基本法の第1章の最初に掲げられている大目標。


疑問が湧きました。 そもそも人格って完成するものなの?
じゃあ、私の人格って完成しているの?

って教育基本法を改めて見返してみると、根本的なことが抜けていることに気づきました。

そうか、教育基本法って、何も子どもだけではなく、大人も対象にされているんだった。

社会教育、政治教育、宗教教育なんかは大人も含まれています。

私はこう解釈しました。
我々も教育を受ける対象者である。
人格の完成なんて一生できない。できっこない。
だからこそ、人格の完成をめざすんだと。

未完成でいいんです。
未完成がいいんです。
だからこそ、生きていける。
成長していける。

上から目線で、人格の完成していない子どもを教育してやるんだという態度は傲慢だ。
大人も子どもも一緒になって、人格の完成をめざす。それが教育の目的であり、社会や学校の目指す姿なんだろう

さあ、今日はどんな学びや気づきがあるのか?
今日も一日わくわく、にこにこ、学び続ける教員でありたいです。


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