妻への感謝と僕の覚悟
以前、こんな記事を書きました。今でも、この記事で書いたことと、思いはほとんど変わっていません。
要約すると、「命懸けで子どもを産んでくれたこと、本当にありがとう。僕にできることは何かを考えたよ。これからママを笑顔にすることに命をかけていきたいと思う。」という内容です。
今回の記事は、とある記事のコメント欄にいただいた育休ウェブライターのアヤコさんのアイディアから生まれたものです。ちなみに、アヤコさんは、公開ラブレターというキーワードを使っていました。が、今回はそのワードは出していません。笑
あしからず。
今、まさに教員を辞めて、ライターに挑戦するアヤコさん。その行動力を尊敬するとともに、心より応援しています!!
一番大切な人
僕は、妻と一緒にいる時間が好きだ。子どもができてからは、家族での時間が大好きだ。子どもたちは、かわいい。本当に尊い存在だ。でも、一番大切な人は誰かと聞かれたら、「ママ」と答える。それは、これまでもこれからも変わらない。
ただ、この記事は公開ラブレターという内容でありながら、「大好きだよ!これからもよろしくね!」という内容ではない。妻の存在が僕にとってどれほどのものなのかについて、そして、そんな妻と出会えた僕の覚悟を書こうと思う。
なので、「大好きー!ありがとう!」の詳細は、以前の記事「ママへのありがとう」に譲ることとする。
これが最後だとしたら…
子どもができて、これを特に考えるようになった。毎日生きていられることが奇跡であり、家族と過ごせる日々は、がかけがえのない宝物だ。
この記事を読んでくださっているあなたは、大切な人と会っている時、「もし、これが最後になったら、他にこんなことも伝えておこう」と考えたことはあるだろうか。きっと、そんなこと考えたことないという方は多いと思う。
僕は、ほぼ毎日考える。もしかすると、朝の「いってきます!」が最後の会話になるかもしれない。それなのに、ケンカしたままでいいのか、顔を見て話さなくていいのか、感謝の言葉は他になかったか、などと無意識に意識している。
もちろん、常に頭にあるほど深刻に考えているわけではないが、これが最後になるとしても後悔しないかという視点はもち続けるようになった。
考えたくないことだから考えておく
明日、自分の大切な人が目の前にいないかもしれないだなんて、誰もが考えたくないことだ。
でも、この社会で生きている限り、ほんの、ほんの、ほんのわずかな可能性でありながら残酷な現実が存在する。
僕はママが産んでくれた娘と息子を、僕の一生をかけて育てていくことを約束する。どんなことがあっても、笑って明るく生きていく家族を築いてみせる。そういう思いで、今を過ごしているつもりだ。
でも、一番考えたくないのは、僕だけがいない場合。だって、みんなを幸せにしたい僕なのに、みんなが集まって泣いている姿を想像したくない。残された家族には、笑って、明るい葬式にしてほしい。せっかくみんなが集まってくれるなら、葬式とか告別式とかじゃなくて、記念パーティーでも開いて、楽しかった思い出話で盛り上がってほしい。
でも、実際にそんなことは難しい。だから、もしも、万が一、いや億が一、いや…そんなことがあっても、ママと娘と息子が明るく生きていけるような関わり方をしていきたい。これは、これからの僕の人生を通して成し遂げたい。それだけのものを毎日の日々で残したい。いつもいつも真剣に、楽しく、ふざけて、寄り添って、共に悩んで、共に笑う。そんな家族でいたいと思っている。今日できることを精一杯やって生きていきたい。
あらためて妻へ
僕と共に生きてくれてありがとう。いつも言ってるように、子どもたちが大きくなったら、二人でたくさん旅をしよう。それまでに、笑顔あふれる家庭にすることを約束する!
「ママの笑顔が子どもを育てる」という僕の信念を実現すべく、一生笑顔にし続けることを誓う。
30年後?
50年後?
今以上に、僕と結婚してよかったって言わせるから、楽しみにしててください。
終わり。
(こちらの記事は、2020.12に書き終えていながら、長らく眠っていたものです。)
小学校教師、パパとしての立場から発信し続けていきます!これからもよろしくお願いします!