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アフリカはお嫌いですか?

南アフリカからノマド生活をしているばんです。

本当は、コロナがなかったら、南アだけでなくていろんなところから働いたり、勉強したりしたんだろうけど、コロナだからオンラインでできることも増えた面もあるので、よかったとも悪かったとも言えたもんじゃないな、なんて思っているこの頃です。

「アフリカ」という名前のつく国に住んで

思いもよらず、肌の黒い、アフリカ人のパートナーと暮らし、国名に「アフリカ」が着く国に住んで、つくづく感じることがあるのです。

それは、「アフリカ」が持つスティグマ

それは、自分の無意識の認識の中にあることを感じることもあるし、世の中の認識の中に感じることもある。

そう、たまに気づかされるのは、肌の黒いパートナーの認識と、私の中にある認識のずれである。

無意識に自分の中に埋め込まれたバイアスを意識下に引き上げられる感覚なのだ。

自分は差別的な人間である、とは思っていないのだけど、ふとした時に、肌の黒い人より白い人の方が信頼できる(気がする)とインプットされている自分に気が付くのだ。あとは、シンパシーの度合いの違いに気が付くこともあるが、ここでは深入りして書かないでおこうと思う。


オミクロンが南アフリカで見つかり、各国が南部アフリカに背を向けた

2021年の最後に起こり、その年を代表するほどのインパクトを与えた出来事がある。それが新型コロナウイルスの変異株の一つ、オミクロンの発見だ。

あろうことか、このスティグマだらけの大陸、南アフリカで発見されたというのだ。

発見されただけで、発生したと確定したわけでもないのに、あっという間に南アフリカ(加えてオミクロンが発見されていない近隣諸国)が、イギリスをはじめとして欧州諸国の入国制限の対象となった。

南アで発表されたすぐあとに、オランダやイスラエル、香港でも「発見」されたが、それらの国に対して同じレベルの渡航制限がしかれることはなかった。

何日か経った後に、南アが変異株を発表する少なくとも1週間前にはオランダにオミクロンのケースがあったことが確認されたのにも関わらず、相変わらず南部アフリカに対して最も厳しい渡航制限が敷かれ、後から明らかになった欧州、アジア諸国に対して特別な規制が敷かれることはなかった。

始めは半ばパニック気味の報道が多かったものの、次第に
「南ア(はじめとして南部アフリカ)に対して強力な規制を敷くことは、変異株を発見し、直ちに国際社会に報告した功績を踏みにじり、(不当な)制裁を加える行為であり、今度透明性のある研究結果の報告を妨げ行為であり遺憾である」
というような論調のメディア(やTwitter)も増えてきたが、日本の主要マスメディアではこのようなことが語られたのだろうか?
(南アにいたので知る由はありません)

アフリカから「トラベルアパルトヘイト」の声

アパルトヘイトミュージアムの入り口の絵

こうした(特に旧宗主国を含めた)欧米先進国の対応に対して、強く反論したのが、南アフリカの現大統領ラマポーザである。

ちょうど数か月前に開催されたG20(南アフリカは、アフリカ大陸から唯一のG20のメンバー国である)で、観光産業を守るため、効果が定かではない渡航制限も控える旨が合意されたのにもかかわらず、イギリスが積極的に渡航制限を敷いたこと、おそらく第一発見国がアフリカでなければしかなかったであろう「不当な」渡航制限は、アフリカ諸国に対する「公衆衛生アパルトヘイト(Health Apartheid)」であると強く批判した。
アフリカ諸国に対する「不当」ともいえる規制に、ナイジェリアの高官も「トラベル・アパルトヘイト」とコメントした

大学院で同じコースを取っていた友達も、イギリスが一番初めに渡航制限を発表した国は複数あるが、すべてもかつてイギリスが植民地支配していた国々であったこともあり、植民地思想だと批判していた。
南アと近いからでは?という意見もあるかもしれないが、南アと国境を接しているはずのモザンビーク(ポルトガル語圏)は入っていなかったようだ。

南アフリカは、アフリカ大陸の中ではもちろん、世界的に見てもトップレベルの感染症の研究が進んでいるのである。
かつてHIV・エイズが流行したことから、検査体制が整っており、サンプルも豊富なため、世界中から研究者も集まる。
ドイツのメディア(DW)でも、オミクロンは「南アの研究機関だからこそ」発見することができた、と報道しているものもみた。

住んでいるのでわかるが、南アの医療レベルは、先進国のそれとそん色ない。それが全員にいきわたってなく、世界トップの格差大国であることが大きな問題なのだが、ぴんきり、の良い方の端っこは、先進国水準である。

アフリカ諸国の中には、盲腸すら外国に行かなければ手術できない国や、コロナの存在を否定する大統領もいるのは確か。
でも考えてみてほしい。そうした医療体制や大統領がいる国で、変異株が見つかることはまずない。
オミクロンが中央アフリカや東アフリカで生まれたとしても、そこで発見されることはなく、アフリカ大陸で見つかるとしたら南アしかないでしょう。そんなところで、南部アフリカからだけ、渡航制限することに、何の意味があるのでしょうか…?

「アフリカで見つかった変異株」
という事実そのものが、スティグマを助長した、と考えるのは行き過ぎでしょうか。

アフリカは語らない

日本のメディアが国際的な話をする際には、欧米のメディア経由であることが多いです。
日本のSNSやニュースを見ていても、「アフリカが…」とアフリカを語る人は多いです。

でも、そんなアフリカを語る人たちは、アフリカに行ったことがあるのですか?

アフリカの南端に住んでいる私は、少しはアフリカを語ることができるかもしれませんが、アフリカなんて広すぎて、とても全部のアフリカについて語ることはできないのだよ。
それは、日本人がアジア全部を語ることができないことと同じようなものだと思います。

アフリカに関する知識や情報のほとんどが、そこの住む人以外によってつくられ、広められていることがとても多いと思うのです。

ミシェル・フーコーは知識と権力を紐づけた

例えば、伝説的なフランスの学者であるミシェル・フーコーは、知識と権力は裏表の関係にあるとしています。

力のないものは、知識や情報を力もないのです。
アフリカに関する知識の多くは、アフリカやアフリカに住む人以外によってつくられるのです。

大学で社会学など人文科学系の勉強をした人にとっては、定番かもしれませんが、エドワード・サイードの言うオリエンタリズムもまさにそう。

オリエントという中東から日本を含めた極東アジアがまるっと入った「オリエント」というカテゴリーは、「オリエント」の実態を表すものと言うより、ヨーロッパからみた「他者」をまるっと「オリエント」としたもの。オリエントに関する知識も、オリエントそのものからの発信というより、欧州の学者によってつくられたものなのだ、と。

確かに、アジアとヨーロッパを分けるものは、地理的なものではありません。物理的には同じ大陸に乗っているし、大きな川や海峡で分断されているわけでもない。人間の認知の寄って作られているのです。

そんなことを考えていると、「国境」っていうものも、人間の認知の中にのみあるのであって、自然界(ウイルス含む)にとっては、存在しないものなのである。

ということは、いくら人間が頑張ってとどめたところで、どこかで私たちはつながっている、ということか。

アフリカは知識の主体になれるのか

どんなにアフリカに縁があって、こちらに拠点を置いている人でも、ひとたびその「アフリカ」が対等な立場で交渉しようとしてきたり、自分たちの知らない情報や発見をして来たら、「ちがうでしょ」って言っちゃったり、疑ってしまうのは、やっぱりこの「アフリカ」という厄介な言葉の持つスティグマだと思うんです。

権利意識が強い、とかいっちゃうんです。意識とかそうじゃなくって、単に権利とは思ってもらえない。

なんか寂しくなっちゃうんだけど。

なんだか知らないけど、犬だって、人との関係性をヒエラルキーで判断するんでしょう?

人間様だったらなおさらでしょう。

でもそのヒエラルキーはあくまでその人の認識の中のヒエラルキーであって、不変ではないことも
きっと人間様ならわかりえるのではないだろうか。

知らんけど。

そんなことをつらつらと考えた年末なのでした。

コロナ、というかその対策は、科学的だけでなく、感情的であり、政治的だと思うのです。


さて、今回はこんなところで。

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