先日こんなツイートをしました。
私もこの動画を見るまで知らなかったし、南アフリカ人の中でもよく知られているとは言い難い「Project Coast」。
アパルトヘイト終盤、南アフリカに置いて、政府によって化学生物兵器の研究プロジェクトです。コードネーム、Project Coast。
今日は、これについて記事を書いてみたいと思います。
Project Coastとは
簡単にいうと、アパルトヘイト後期、1981年から1995年まで、極秘で実施された化学生物兵器の開発・研究プロジェクトのことです。プロジェクトのコードネームがProject Coastだったそう。
このプロジェクトを率いた中心的な人物がDr. Bassonです。
国連のソースが簡潔に説明しています。
Xで紹介した動画は、特に違法薬物の話でしたが、それだけでなく、非白人の民衆をコントロールするために、不妊ワクチンの開発を試みたり、伝染病を水路に流す等々を主導したと言われています。
もし関心がある人は、このドキュメンタリーも見てみてください。30分くらいで、英語です。
ドキュメンタリーでは、Basson氏は出てこないものの、当時彼を一緒に研究室で働いていた同僚たちの話が出てきています。
あまり知られていませんが、アパルトヘイト期の南アフリカは、世界屈指の技術力を誇った国でした。核プロジェクトをイスラエルなどと共同で実施していたこともあります。(この核開発がアパルトヘイト終焉の国際的な圧力につながったとも言われていますが、この話はまたいつか機会があったら。)
終盤は、冷戦とも被っていたので、さまざまな力学が働いていました。
このProject Coastは、要は化学兵器・生物兵器の開発で、国家レベルで多額の予算がつぎ込まれていたといいます。
この予算の裏には、当時(80−90年代)に同じく南部アフリカにあるアンゴラという国で、ロシア軍やキューバ軍が入り戦争が起きていました。そこで「化学兵器が使われた」という虚偽の報告(少なくともこのドキュメンタリーではその虚偽の可能性を指摘している)をして、それに対抗する名目で研究予算が当てられたそうです。
調べてみて知ったのは、このプロジェクトを牽引したBasson博士は、数々の容疑をかけられたものの、無罪を勝ち取っています。今もご存命で、南アフリカに住んでいるということ。恐ろしい。
そして、それだけまだ日の浅い、最近起こったことなのだということを、思い出させてくれますね。
他の出典でも、Project Coastの説明がされています。
とはいえ、あまり知られてないだけあって、そこまで詳しい情報が出てこないことがまたちょっと暗いものを感じます。
南アフリカの薬物問題とProject Coast
冒頭紹介した動画でも話されていますが、南アフリカでは違法薬物が流行っています。合法化された大麻に混ぜるタイプの薬物もあり、未成年も含めて、アパルトヘイト時代に黒人専用居住区として作られた「タウンシップ」でとても流行っています。私の義理の家族はじめとして、薬物の話は身近であり、近い親戚でも10代で使用して、現在精神病を患っている人がいますし、パートナーも公立学校で同級生が吸っていることを知っていました。
他国と同じように、違法取引で使われ、ギャングが取り仕切り、貧困層の多くが依存する傾向は確かにあります。
南アフリカで違法薬物が大きな問題になったのは主にアパルトヘイト以降だと言われています。
単にアパルトヘイト下では情報や流通が厳しく管理されていたことや、国際社会から孤立していたため外国からの薬物が輸入できなかったこと、薬物よりもアルコール依存などに政府の関心が入っており、そもそもデータがない等が指摘されていますが、大きな社会問題として顕在化したのは、民主化以降1990年代後半だとすると、そこまで古い話ではありません。
社会現象の因果関係を示すことは容易ではありませんが、その要因の一つに、このProject Coastが関わっていることは否定できないと言われています。
上記で紹介したドキュメンタリーでは、国家予算で大量の薬物(ecstasy- MDMAとも言われる)を製造したという証言があります。さらに「(アパルトヘイト後期、タウンシップを中心に民衆がプロテストをしていたことを受けて)大衆を沈めるため」に製造したこと、「国家予算で製造したので、どのような影響があったのか効果検証が求められた」ことが重ねて述べられています。
社会現象は、複雑化つ複合的な要因が絡まり合っていることが多いので、一つの出来事を全ての原因だということは暴論にしかならないのですが、もしこの時代に大量の薬物がタウンシップをはじめとした人々に意図的に流布されていたとしたら、それが今の南アフリカでの薬物流行と無関係と言い切れるのでしょうか?
(ちなみに本件について調べている中で知ったのですが、アパルトヘイト時代は「Dop system」というお酒がらみの慣習もあったそうです。
何かというと、特に西ケープ州のワイナリーで多かったのですが、雇用主が労働者にお金ではなくワインで賃金を払うことです。これによってアルコール中毒が蔓延し、コミュニティで暴力などの問題が発生し問題となったそうです。)
人種差別は、非人間化すること
支配の対象とされる人々は、何度も暴力の対象とされてきました。
これは歴史の中で繰り返されてきたことです。
支配された人々には、しばしばステレオタイプが貼られます。たとえば、「暴力的だ」「怠惰だ」といった言葉です。
実際には、これらのステレオタイプに当てはまることもあるかもしれませんが、それは社会的な状況によるものか、あるいはProject Coastのように、権力側が極めて意図的に、対象を無力化し、機会を奪った結果かもしれません。
人種差別などの問題は、個人の差別意識だけでなく、構造的な暴力や歴史の影響が根深く関与しているのです。
アパルトヘイトの戦いは、決して非暴力ではなかった
南アフリカに住んでいる外国人(日本人も含め)と話していると、アパルトヘイトのことを「歴史の話」として捉えている人も多くいると感じることがあります。
しかし、このProject Coastを率いたBassonは存命であり、南アフリカで今でも暮らしているのです。たった30年前。多くの人にとって、実際に体験した、記憶の話なのです。
そして、大切な事実として、アパルトヘイトから民主化への移行は、決して非暴力の戦いではなかったということです。
多くの人が実際に苦しみ、命を落としました。
アパルトヘイト博物館を訪れた学生の感想で、印象に残っているものがあります。
「アパルトヘイトから民主化への移行は、ネルソンマンデラがノーベル平和賞をもらったし、平和的に終わったかと思っていたけど、博物館で見た映像は、戦争を彷彿とさせるような、軍隊や銃が溢れていて、意外だった」
ネルソンマンデラ氏は、世界で(ひょっとしたら南アフリカ国内以上に)神格化されていると感じるほど、正義の象徴のように語られることがあります。しかし、アパルトヘイト政府への抵抗運動をしていた時は、政府や国際社会から「テロリスト」と呼ばれていたこともあります。
非暴力の戦いを志したとしても、抑圧側(アパルトヘイト政府)が、非暴力に対して暴力で応答してきたら、こちらも暴力を使うしかない、という考えを持っていたことも知られています。
実際に、単なる偏見だけでなく、暴力的な抑圧と、それに対する抵抗が幾度となく起こっているのです。
私の義父も、抵抗運動に参加しており、友人や親戚がその過程で命を落としたり、国外逃亡をした人もいたといいます。母方の義理の家族の中には、ヨーロッパに亡命していた人もいます。
アパルトヘイトは、非常に生々しく記憶している人が、いまだに生きているくらい、新鮮な話なのです。
人々の抱えているトラウマは、大きいのです。
そして、最も抑圧された人々は、日々薬物やアルコール依存のリスクに晒されながら今も生きています。
出典
The horrors of the apartheid state's chemical and biological warfare programme must not be forgotten. Here's why.
Project Coast: Apartheid’s Chemical and Biological Warfare Programme
What Happened In South Africa? | Plague War | FRONTLINE