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みんなみんなメドゥーサ

ワタクシは今、期間限定のマックフルーリーを頬張っている。


うまい。

本日の一人称はワタクシ。


店員さんにはニッコニコで対応がデフォ


ワタクシはどんな場所に行っても店員さんにめっちゃニコニコで接してしまう(お前が店員か?レベルに)。まあワタクシも伊達に5年飲食でバイトしてないんで、接客業の人々に勝手に共感してしまって、「こんなお客さんがきたらまだ嬉しいだろうな」を自己満も込めて演じている。


今日もマックフルーリーを用意してくれた受け取り口の爽やかお兄さんにワタクシは「ありがとうございます〜!」と声をかけたのだが、


やっぱり今日も、




目は見られなかった。



目を合わせるとまともに話できないんですけど


ワタクシは他人と下手に目を合わせると会話がうまくできない。
いつ目線を離せばいいのかわからなくなって、目線をどこに遣ろうか、どのタイミングでずらそうか、会話の内容以外で頭がいっぱいになってしまってしまうのである。
あとは、見られているという感覚にとらわれてしまって、相手の感情を勝手にあれこれ予測してしまう。からほんと中身どころじゃない。


高校の時の部活の顧問も、なぜかずっと人と目を合わせたまま話せる超人だった。心の奥底が読めなさすぎて怖かった。
大学に入ってお世話になった外国語のネイティブの先生もまさにメドゥーサみたいな方だった。美人で目力が強く聡明な先生には全てを見透かされているようで、怖くて怖くて話す内容どころじゃなかった。


友人と話す時もそうだ。よほど仲の良い友人でない限りは、プライベートの場でもなかなか目を見て話すというのは難しいのである。
話しながら気まずくなっちゃってちょっと目を逸らすと、相手から「なんだこいつ……自分と話すの嫌なんか…..もういい話しません君とは」というオーラを感じ取ることが多い。「やらかした!!」ってお家で一人反省会を大開催する。


面接は向かい合って行うものなんて誰が決めたんですか????


だから例えば真正面に座って向き合って話すなんて死ぬほど嫌いだ。
目の逃げ場がない。
ワタクシは自分のパフォーマンスを上げるためにいろんなところを見て話したいのに、目を合わせないだけで誠意が伝わらない恐れがある。「こいつ集中してんのか?」なんて思われたら終わり。見られているっていうことに意識が持ってかれて、落ち着く暇さえありやしない。
だから面接も嫌いなのよ。面接が真正面で向かい合うものだなんて誰が決めたんですか??????????????ねえ。


横並びとか電話は最高


逆に、横並びだったりすると人が変わったかのようにペラペラ喋れる。
同僚とも駅までの帰り道、顔を合わさず互いに前だけを向いているから、心の余裕ができて内容に集中できる。緊張しなくて済む。
飲み会なんかも前に座っている人より、横に座っている人と話しがちだ。
友達と遊ぶ時も、喫茶店で向かい合って座っている時よりも、一緒に歩いて移動している時や電車に並んで座っている時の方が、変に気を遣わなくて済むことが多い気がする。話したいことがどんどん出てくる。
死ぬほど嫌いな昔の恋人に別れを切り出した時も、最後に一緒に出かけた日の帰り道だったことを覚えている。


同じ理由で、電話だとめちゃくちゃ話し上手になっている気がする。
まさに内容だけに集中できるからね。
こっちがおふとんに潜っていようと、筋トレをしていようと、変顔をしていようと、落書きをしていようと、皿洗いをしていようと、コロコロをかけていようと、煮干しを貪っていようと、相手のなかのワタクシ像はそんなにぶれないっしょ。


面接といえば、この意味では対面ではなくてオンラインの方が実は話しやすかったりする。
オンライン面接にももちろんデメリットはあるけれど、とはいえ相手の目をずっと見ている必要はないからね。気楽。自分の顔を見続けてしまうこともある。



多分これもコミュ障の一種


人の目を見て話しなさい、と我々は指導を受ける。
人の目を見るのはもちろん大切なことである。
だけど、見ないからといってダメなやつだと思わないで欲しい。


コミュ障、と自称する人が至る所にいる気がする。
お前のどこがコミュ障なんや?みたいな人も自称することがある。
でもコミュ障にもきっとさまざまなタイプがあるんだろうな。
その中で目を合わせるのが苦手な人もまたコミュ障と自称しているんだろうな。
ノンバーバルコミュニケーションが苦手なタイプ。

人の目を見るの苦手なみなさん、ワタクシ達は仲間です。
ちょっとでも共感してくださる方がいらっしゃったら嬉しいな。



でもなぁ、人と話すのが上手な人って目線の使い方がめちゃくちゃ自然なのよね。いいなぁ。
そういう人ほど人望が勝手に後からついてきているよね。
ないものねだりは良くないけれど、羨ましい。

叶うのならば身につけたい。



あとがき 一人称



今回の一人称は「ワタクシ」です。
ワタクシの恩師の一人称を拝借しました。
男性の先生です。いつもワタクシ。
学級通信での一人称もワタクシ。この通りカタカナ。
なんだかクセが強くて、時には厳しく、でも愛に溢れていて、今でも尊敬してやまない素敵な先生です。
期待してくれて応援してくれた先生に成長した姿を見せたい!と思っていたけど、この惨状は恥ずかしすぎて見せられやしない。恥ずか死。





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