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1. ディジュリドゥとの出会い


ハードコアバンドの鉄パイプ in NY

ぼくのディジュリドゥとの出会いは1997年にNYを訪れた時でした。当時日本では見る事ができなかったハードコアバンドNeurosisを伝説のライブハウスCBGBに見た行った時のことです。その前座としてNeurosisの実験的サイドプロジェクトTribes of Neurotがステージに登場しました。

ステージの両脇には二人のヒゲをはやしたオヤジがフロアタムを両手でドンドコ打ち鳴らしながらデスボイス、そのバックにはダークな浮遊感漂うシンセサイザー、そしてステージ真ん中では鉄パイプを口につけ、何やらおどろおどろしい音をかなでている。「この楽器のサウンドはめっちゃハードコア!」そう思ったのがディジュリドゥの第一印象でした。

[Tribes of Neurot / Silver Blood Transmission]このバンドの1stアルバムで、このバンドを印象づける曲が「Fires of Purification」だったように感じます。スラッジ的な要素を含みながらも実験音楽的でトライバルでミニマム。本編成の大所帯のNeurosisをある意味喰ってしまったようなパフォーマンスが記憶に残っています。


ともだちの部屋から出てきたものは……?

キーンと耳鳴りがする中、NYの夜の地下鉄を乗りつぎ、泊めてもらっていた友人宅にもどる。ライブの興奮冷めやらぬまま「鉄パイプでボェーっていう音を聞いたよ」と言うと、彼は部屋のすみっこに歩いていって何かをつかんでもどってきた。「コレでしょ」と言って彼が持ってきたのは、サボテンでできた軽いディジュリドゥでした。彼はジャミロクワイのバンドでウォリス・ブキャナンが演奏するディジュリドゥの音を聞いてディジュリドゥを始めたそうです。

[Jamiroquai / Didjital Vibrations]他にも「Journey to Arnhem Land」という曲でもメインにフィーチャーされたウォリス・ブキャナン(イギリス人、黒人だがノンアボリジナル)の演奏するディジュリドゥは、当時のクラブミュージックに衝撃をもって迎えられた。

「そう!コレや!」そのディジュリドゥは「C」くらいのキーの低い楽器でマウスピースが大きく、今思えば初心者向きの楽器ではなかったのですが、循環呼吸はできないものの友人の手ほどきでなんとなく音が鳴らせたのでした。

「空洞だったら掃除機のパイプでも音は鳴らせるよ」と聞き、帰国後近所の竹林で切ってきた孟宗竹で作ったのがぼくのファースト・ディジュリドゥでした。参考にできる音源も手元になく、Youtubeもない時代で、完全に手探り状態で独学で横吹でのディジュリドゥ演奏をやりはじめたのでした。

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