日記:20221025:日本語、書けますか?
小説を書く時や、こうやってnoteを書く時にも感じるのだけど、僕の書いた文章は死んでいる気がする。
「そもそも日本語が下手だよ」という指摘は飲み込んでいただきまして……。
十年以上前、僕は二つのサイトでブログを書いていた。
一つは趣味で、もう一つは義理(複数人で運用していた)で書いてた。それとは別にmixiにも日記的なものを書いていた。
思えば昔からわりと文章を書くタイプだったのかもしれない。
つい先日、ふと気になってそのブログを読みに行くと、記事が全部消えていた……。
これだから電子データってやつは怖いんだ。石板とか洞窟の壁にでも書いておけばよかった。
幸い、mixiはまだ消えておらず、ひさしぶりに読んでみると、我ながらいきいきとした文章を書いていた。
そりゃあ若気の至りが至れり尽くせりで、今の僕が読むにはこっぱずかしすぎる代物だったが、どことなく「中に人がいる」ような文章だった。人がちゃんと喋っていた。
単に、今よりもくだけた口語でつづっていたからかもしれないが……。
今の僕が書く文章は、人が書くために書いた文章であり、読む人のことを意識していないのかもしれない。
かといって、単純にもっと語りかけるようなくだけた口語にする気にはならない。
まさにこの記事のような日記であれば、もう少しくだけていい気もするが、小説を書くときにそうはいかないだろう。
不細工な文が無理やりつなぎあわされている。まじりあわない。
よりよい文章を書くためには、引き続き、読んだり書いたりするしかないのだろう。
もっと饒舌に文章で喋りたい。西尾維新でも読むべきか?
ちなみに最近ヘミングウェイの短編集を読んだ。次は、ツルゲーネフ『はつ恋』を読む予定だ。
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