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夏の終わりに思うこと

私が大好きな人たちが歌ってた題名そのまんまですが
子どもたちの夏休みが終わる頃に
毎年思い出す懐かしい風景があります。

過去の記事でも触れましたが
私の母は福島県出身。
私も母の生まれ故郷の福島県で生まれました。

そして幼い頃から夏はずっと
福島のおじいちゃんおばあちゃんの家に行っていました。

約40年前の気象庁のデータを見てみると
当時の福島は最高気温が28度くらいで
とにかく涼しくて
お盆が過ぎると寒いくらい。

とても過ごしやすかったです。

朝起きたらおじいちゃんの畑に行き
両手いっぱいのとうもろこしをもぎ
チクチクとトゲが痛いきゅうりもとり
井戸水で野菜を冷やす。

「ばっぱとジッチに花飾ってやって」と
頭にふんわり手拭いを被ったおばちゃんが
どっこいしょと背中に背負った籠から
色とりどりの花をざっと取り出し
縁側に腰をかけ
おばあちゃんと話し込む横でなんとなく話を聞いていたり。


昼はそうめんを茹でて
午後は水戸黄門を見ながら昼寝。


ざぁぁっと大きな雨粒が
トタン屋根に打ちつける音で目がさめ
ああ大変だ!洗濯物を入れなきゃと慌てる
おじいちゃんについて行き
寝ぼけながらも
手伝いをしていると
遠くからゴロゴロと低い音が近づいてくる。

「ほぉら、雷様がくるよ」

おばあちゃんはそう言うと
怖がる私にタオルケットを被せて
「ばっぱちゃんに雷様あっち行っちゃえって言っときな」と
仏壇に線香をあげてくれました。

それからというもの
心がざわざわする時は
線香焚いたらなんとかなる気がします。

お盆前になると
同い年と3つ下の従姉妹が福島市から来てくれて

おじいちゃんへ寄せられたお歳暮の
カルピスやら桃やらぶどうやら
ゼリーやらカステラやら
朝から晩まで3人で好きなものを食べ倒し

お揃いの浴衣を着て
町の盆踊りに連れてってもらったり
飽きるまで手持ち花火をしたり
それはそれは楽しいパリピ生活でした。

従姉妹の夏休みが終わる前に
みんなで猪苗代湖に行き
私たちは声を揃えて
スワンボートに乗りたいと言ってるのに

「あれじゃ遅いのよ」と
スピード狂のおばあちゃんは
エンジンのついたレジャーボートを選び
従姉妹の帽子が猪苗代湖に飛ばされ

いつか優雅にスワンボートに乗るんだと
私たちは今でも思っています。

福島県の小学校の夏休みは終わるのが1週間程早く
盆踊りで買ってもらった風船が萎む頃には
従姉妹が帰ってしまいました。

それからが大変。
従姉妹たちが帰ってしまった後
残されたのは寂しさと大量の宿題…。


「これじゃ鈴鹿に返せない!」と
カンカンに怒るおじいちゃんと
「もう帰らなければいい」と
我関せずのおばあちゃん。

おじいちゃんは仕事を休んで
1週間付きっきりで
私の宿題をやらされてました。

多分、6年間ずっと(笑)

中学校に上がると同時に
部活があったから
1ヶ月のロングステイはできなくなってしまったけれど

今となっては
両親と弟から離れて
私だけが経験した夏の思い出。

日差しが柔らかくなり
肩を撫でる風が少し優しくなった時
胸の奥がきゅっと詰まりながら

今ではもう会えない
おじいちゃんとおばあちゃんのことを
思い出すのです。


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