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【「黒夢」――それは「真面目すぎる哀しい歴史」】

 僕は、市川哲史氏をリスペクトしている。
 それも「既成のプログレ概念を壊す市川哲史」よりも、「V系の理解者にして魅力を解説する翻訳者としての市川哲史」を、だ。実はプログレよりそっちを先に知った僕である。プログレ市川しか知らない人、これわかんないと、てっしー理解できないよーホントに。
 その市川も、ほとんどがV系メインストリームというか、「Xを起点とした流れ」を語っている。そりゃあ多くの人に伝播するには主軸をとらえなきゃいけないけど、ゆえに取りこぼしていたバンドも多いのだ。
 ちなみに、元祖V系にほど近い人々は極力「X JAPAN」とは呼ばない。それは自分たちの黄金期が「XがXと呼ばれていた時代」にあるような感じがして、「X JAPAN」という呼称を認めたら何かに負けたような気がするからだ。つまりそこで時が止まっているわけさ。俺も含めて。さて閑話休題。
 実はその取りこぼしが「90年代後半V系」なんである。ここは僕が、リアル・タイムで心酔していた世代だ。
 たとえばGLAYなんかは、Xからの流れに組み込まれているので市川とも仲が良かった。しかしL'Arc-en-Cielなどは、たまーに文章中に出てくることはあったけども、実際には酒を交わしたことも一部メンバーしかなかったのではないか?
 その最大の「市川哲史のV系語りの見逃し」は何かと言うと――「黒夢」だ。
 思い返せば、市川の文章で黒夢に詳しく触れていた記憶がない。多少はあったかもしれないけど、印象に残らないぐらいの「参考程度」だったはずだ。
 おやおやおや、と僕は思うわけだ。
 実は黒夢なくして、現代までのV系は発展しなかったかもしれないぞ、と。
 僕は最初の活動停止まで、ずっと黒夢を追っていた。インディーズ時代から配布音源まで全音源に全映像を網羅して買いあさり、しかしベストとアルバム1枚を残して売却してしまったことを今でも後悔している。そんな身としては「ちょ、待てよ」(←キムタク風に ←令和の時代ではもはや親父ギャグ)となるわけだ。
 そんな思いを込めて、この文章を書き始めている。毎度毎度スタートが長いのも、市川哲史好きあるあると言えよう。いやほんと。文体が似てくるのも許しておくんなまし。

 黒夢。
 そう言うと、おおよそイメージは二分されると思う。3人組だったか2人組だったか。お化粧ソングだったかパンキッシュだったか。清春がオレンジ色の短髪だったか金髪だったか。
 つまるところ、そういう「評価が分かれる」バンドだったのだ。バンドというより初期からドラムもサポート・メンバーだったし、後期は音楽雑誌によってはユニットという扱いだったけども。しかしメンバーがこだわった、この「バンド」というスタンスがまた、黒夢の歴史を優しい悲劇に染めていく。
 これはV系の特徴なのだけど、多くのバンドは「音楽性が大きく変わらない」ことが特徴だったりする。何より「固定ファンをつかんで離さない」。そんな昔のアイドルみたいな方法がV系スタンスのデフォルトになっているので、大きなイメージ・チェンジなどはやりたがらなかったのだろう。「V系の始祖・X JAPANとYOSHIKI」なんてその典型でしょ。でも実は、それって「ポップス」と同じなんだよね。
 それを破ったのがたとえばBUCK-TICKであり、V系にカテゴライズされながら人脈的にも実はV系ではない、という特殊さがBUCK-TICKの大きな特徴にもなっている。
 実はこれ、黒夢も同じなのだ。規模はまったくもって小さいけど。

 黒夢はまず、結成当初は4人組バンドだった。
 メンバーは解散まで在籍した清春(Vo)と人時(B)、メジャー・デビューして早くに脱退した臣(G)、そしてインディーズ時代にさっさと逸脱した鋭葵(Ds)。この時点では明確に「バンド」だったのだ。
 しかし「誰でも叩けるようなドラムの」鋭葵が脱退し、THE STAR CLUBに在籍していたHIROが加入。お化粧3人にサングラス坊主という異色の組み合わせになったが、HIROもほどなく脱退。そりゃそうだ当時のグラビアもHIROだけノケ者にされてカットされたりしたもの。V系雑誌に海坊主なんて映えないから。
 でもあとあと考えたら、この時点で後の「パンクへの憧れ」ってのがあったのだろうな。パンク・ロックで有名なTHE STAR CLUBのメンバーを入れたということが。ダムドがシド・バレットを起用したかったのにニック・メイスンがプロデューサーになったような(←話がこじれる)。
 そうして3人編成でメジャー・デビューし、サード・アルバム録音中に臣が「失踪」。突如音信不通となって解散まで在籍した2人だけが残り、その後は解散・再結成に至るまでサポート・メンバーで固めて活動する指針となる。
 この間に、明確な音楽性の変化が何回もあった。「最初の解散」までのディスコグラフィを振り返ってみよう(再結成後のアルバムについては割愛)。便宜上ミニ・アルバムもアルバムと同列の扱いにするが、これって実は当時からの黒夢ファンの共通認識だと思う。

インディーズ『中絶』『生きていた中絶児…』『亡骸を…』(1992~1993年作)
1st『迷える百合達 ~Romance of Scarlet~』(1994年作)
2nd『Cruel』(1994年作)
3rd『feminism』(1995年作)
4th『FAKE STAR ~I'M JUST A JAPANESE FAKE ROCKER~』(1996年作)
5th『Drug TReatment』(1997年作)
6th『CORKSCREW』(1998年作)

 さてさて。
 以上の作品中で、黒夢がどのように変化してきたか。簡単にさらってみよう。

 インディーズ作品は「ほぼシングル」「ミニ・アルバム」「フル・アルバム」の3枚。平たく言うと「音はXみたいなヘヴィ路線と典型的耽美V系、ライヴ・パフォーマンスは過激と言われるけど日本のパンクを薄めたような演出」だった。
 音楽性としては「メタルちょっと手前のビート+暗黒世界」。暗黒路線は一時期のBUCK-TICKがお家芸としていたけど、黒夢はさらに暗いというか「救いがない」。何せ曲名だけでも「中絶」に「磔」に「楽死運命」に「親愛なるDEATH MASK」で「亡骸を…」ですからね。
 全体的に楽曲レヴェルは「やっぱインディーズ」なのだけど、中には「JESUS」のようにその後の音楽的方針を象徴している佳曲もある。でも全体的には雰囲気作りなものばかりで、楽曲的にはまだまだ稚拙だ。むしろプロダクションが弱く、骨組「だけ」を晒しているためにそう感じられるのかもしれない。これらを有能な「代弁者」がトリートメントしていたら、グッと変わっていたはずだ。つまり素材は悪くない。
 オリジナルと再録音とで2作に収録された「親愛なるDEATH MASK」は、インディー時代の象徴。「気違い」「メクラ」「カタワ」「白痴」と叫びまくる再録音版など、その盛り上げ方と世界観が「いかにも」で、「黒夢というイメージ」がスッと入る。この曲の洗礼を受けた人は、おそらく長ーい間ファンだったに違いない。単純な方法論だけど、ゆえにストレートに虜になる。V系ファンは根本的に刺激に弱くてゆえに求めたがりで真面目だからねー。
 その歌詞と世界観の暗黒路線、ひいてはライヴで「清春が首吊りして意識を失ってライヴ中断」なんて行為が話題を呼び(当時のVHSソフトに映像も残っている)、その頃のV系バンドは一気に暗黒路線が増えた(そして消えていった。懐かしいねLaputaとかD≒SIREとか)。いま聴くと平凡かもしれないけど、当時は斬新で新鮮だったのだ。
 しかもこの伝説、たしか気絶したのは1回だけで、首吊り自体は何回もやっている。毎回「ライヴ進行に影響が出ない程度に、ちゃんと計算して」やっていたはずだ。そう考えると破天荒なことをしているようでいて、真面目なんだなぁ……。

 ここから先がメジャーでの発表となるわけだが、その寸前、なんとXのYOSHIKIが運営する「EXTASY RECORD」在籍への誘いという椿事があった。しかし黒夢はそれを断り、メジャー・デビューを果たすことになる。
 そうして大手・東芝EMIに在籍し、黒夢が世間に認知されるほどヒットするまでの間、音楽的変化を動かしてきたのが――実は、あの佐久間正英。そう、もと四人囃子にして、単なる方向性に迷った不良バンドのBOOWYを「伝説になんかならねーぞバンド」に変えた男。ほか90年代のヒット・メイカー。
 佐久間はメジャー・デビューから4作めまでのレコーディングに大きく関与し、ミュージシャンや編曲に尽力し、黒夢の動向を実質的にコントロールしてきた。
 その佐久間が手を引き、黒夢は5作めおよび6作めはハードな側面を強調した作風に傾いていく。もしかすると佐久間の「うまくまとめる」スタジオ至上主義者的なやり方に、ライヴを重ねて「バンドとしての自覚を持ってしまった」黒夢が、疑問を抱いたのではないだろうか。さすがYOSHIKIの誘いを断った連中だ(しつこいようだが)。


『迷える百合達 ~Romance of Scarlet~』
 ああ、V系の人って「~サブタイトル~」好きだよね。そんな感慨から始まるファースト・アルバム。
 このメジャー・デビュー作は暗黒路線を継承しながらソフトな表現に抑え、メジャー感を押し上げた作風になった。おそらくその選択をしたのはメンバーではなく、プロデュース側の佐久間だったと思う。というか構成やサウンドのトリートメントに強い「佐久間節」を感じる。
 バンドというものは常々、メジャーになったとたん売上を考慮して過激さをひそめ、離れていくファンも少なくない。さらには「私のバンド」だったのが「みんなのバンド」になって離れるという人も未だに少なくない。AKBじゃないけど、アイドルと同じなのだよね。当時の黒夢もそれと同じ現象が起きていたはずだが、鳴り物入りデビューのため、逆に新規ファンが一気に増えた。僕もそのひとりである。だからインディー音源の購入がギリギリ間に合った。
 この時点までのサウンドの要はギターの臣。特にシングル「for dear」はその後の黒夢の根幹になったと言える曲。人時が数曲で、清春は1曲も作曲していない。多くのファンは「この路線を深めていくんだろうなぁ」と考えていたに違いない。
 また「棘」も実は重要曲で、後期ライヴや復活後にも披露された数少ないナンバー。ハード・エッジでインパクトがあるサウンドはアレンジもしやすかったのだろう。
 言及するのがはばかられるが、「自閉症 -autism-」もある意味重要。ハードなサウンドでライヴの定番曲になり、PVまで作られたものの、清春の「プレッシャーで自閉症寸前になってしまったことを書いた曲」という発言が後に波紋を呼ぶ。自閉症協会から「先天性である自閉症というものが、まるで一時的な病気や状態のように誤って伝わる」というクレームがつき、アルバム回収。再発時にもカットされた。実は僕も、当時の清春の発言を真に受けてしまっていた。関係者の皆様、ごめんなさい。
 そういう「イメージだけ」で活動しているのがV系なわけで、悪い意味で作用してしまった事例と言えるだろう。そりゃ突き詰めていけばXだって「ソドムの夜ってなんだよ」と宗教関係者からクレームがついても仕方がない。BUCK-TICKだって「太陽ですけど、誰も殺してないんですけど」って訴えられるかもよ。平たく言えばそんな歌詞ばっかじゃん、V系ってば(←決してけなしているわけではありません。むしろ大好きです)。
 勝手ながら佐久間正英目線で考えると、古参ファンを納得させ、新規ファンもつけられる折衷的なスタンスを選んだのではないだろうか。ゆえに過激な暗黒路線を好んでいたファンは離れたり距離を置いたが、逆に新規ファンを多く獲得できたので大成功だろう。


『Cruel』
 ミニ・アルバムだが(おそらく)ファンの中ではメジャー2ndアルバム。
 前作の延長上にあり、シングル曲「ICE MY LIFE」はデビュー曲「for dear」をポップス修正したとも言えそうな楽曲で、タモさんの音楽番組にも出演した。しかしトークがとにかく「真面目」だったのが記憶に強い。3人とも座る姿勢もきちんとしてたし。
 作曲面では変わらず臣が中心だが、人時とのバランスもとれてきた。そうでないと次作から大変だっただろう……。
 ヴィジュアル面では、清春が金髪ロング・ヘアをバッサリ切り、オレンジ色のショート・カットになった。ここから作品3枚はそのヘア・スタイルに落ち着くことが、黒夢の安定期を意味するようで象徴的だ。
 再び佐久間目線で考えると、少しずつ路線を修正していく方向で考えていたのだろう。そうすれば作品の質は保たれ、最低限、ファンも売上もキープできる。しかしミニ・アルバムに仕上がったという部分に、おそらくうまくいかなかった「何か」も感じるわけで。実は当時から。


『feminism』
 先行シングル「優しい悲劇」のレコーディング中、ギター・ソロを録り終えた時点で臣が突然の「失踪」。
 音信不通のまま脱退したが、のちに清春が語ったところによると「働きたくない病」にかかったらしく、精神的にヘヴィな状態だったらしい。当時は本気でびっくりしたし心配した。時代的にぼやかされて伏されていたけど、精神的な病だったのだろうね。
 そこで清春が作曲せざるを得なくなり、急に半分以上を作曲している。しかし当時はギターも弾けなかったため「鼻歌で」作曲していたという。だが黒夢を支えた臣の影響からの脱出は容易ではなく、たとえば人時が作曲した「Love Song」も、臣が作曲したデビュー曲「for dear」と進行がものすごく酷似している。コードとか進行とかが。比較してみ?
 おそらく残ったふたりとも「臣が作ってきた黒夢のイメージ」を描いて作曲していた部分が強いのだろう。真面目にバンド・サウンドと向き合い、ファンに受け入れてもらうにはどうするか? を熟考したはずだ。それが結果として、黒夢随一のメロディ重視傑作ポップ・アルバムに仕上がった。背水の陣が、結果を出してくれたのだ。そのまま売上も過去最高をマークし、黒夢は一気にスターダムにのし上がっていく。
 なお、そんな傑作のリリース時に「3点中2点」の評価をくだした保守的すぎる『CDでーた』のレヴューに失望し、立ち読みをやめたのは僕である。もともと買うものじゃないと思ってたけど、読む必要もなくなった。って立ち読みなのに偉そうなこと言うなよ。
 そうして結果的に「耽美系のアルバム」として仕上がったわけだが、清春のヴォーカルゆえのキャッチーさや視点が活き、一気に完成度が高くなる。それはバンドを動かしてきた佐久間の指針かもしれないが「暗黒路線より耽美路線のほうが仕上がる」ことを見抜いたのだろう。おかげでアルバム2枚めのシングル曲「Miss MOONLIGHT」などは、それまでの黒夢になかった「普通にいい曲」になっている。
 ひょっとしたらこれって「V系が普通にいい曲をチャートに残せる稀有なタイミング」だったかもしれない。FANATIC◇CRISISの「火の鳥」とか、SOPHIAの「街」の小ヒットなんかも、ほんの一瞬だったもんね。
 これらはきっと「臣が脱けたあと、イメージに即した黒夢」を作ったために成り立ったものだ。ということは、臣が在籍したままだった場合、もしかしたら黒夢はそのまま耽美系を貫き、BUCK-TICKに近い存在になっていたのかも? なんて思わせる。それはそれで魅力的だが、たぶん自滅していたと予見する。
 それまで「夢は叶わない。それは絶望。だから黒夢」だったはずの黒夢が、今作で「夢は叶わない。かもしれない。でも、それって儚いよね」というスタンスに変化している。揺れている。だからこそ、短期間ながら優美な輝きを放った時期だった。
 しかしこうした均衡もわずかな間で、本作に収録された「カマキリ」を契機に、次の指針に移っていくことになるのだが……功罪のある曲だよ、これは。
 またも佐久間目線で見ると、このアルバムこそ「THE 佐久間正英」。各種トリートメントが丁寧で行き届いており、全体を通して透明感が高い。黒夢なのに。それこそBOOWYを日本一バンドにのし上げた佐久間のスタジオ作業が、ここにもまた活かされているように感じる。
 そんなわけで、個人的には本作こそが最高傑作である。あくまで個人的に、かつ「V系的に」ではあるが、とても「真面目にV系している」作品。むろん、冒頭に記した「僕が1枚だけ手もとに残したアルバム」は、これのことだ。それもちょっとした事情があって、清春の直筆サイン入りで。小さな自慢です。


『FAKE STAR ~I'M JUST A JAPANESE FAKE ROCKER~』
 わ、また「~サブタイ~」がついたぞ。わざわざ自分を否定する内容の。いかにもV系だなー。
 それまでの切磋琢磨と急増したライヴのくりかえしが、黒夢を変革。とうとうパンクに「目覚めてしまった」。
 このアルバムは「ヴィジュアル系の黒夢が ~パンクがカッコいいと思った~」わけだ。そういうふうに、概してサブタイは主題よりも本音である。
 多くのライヴを重ねるうちに、ベースの人時とサポート・ドラマーのそうる透が、お互いを「いい相棒」として認識。V系雑誌にもふたりの対談が掲載され、人時の存在感が一気に濃くなる。A面ソングだとかウケがいい曲ばかり書く清春に対して、人時はB面やアルバム曲が書ける人材だったので、実はとても重要。しかし本当は前作の「Love Song」のように超A面ソングも書けるが、清春を立てるためにあえて書かなかった側面もある。真面目だなー。
 ベースの野太さ、ひいてはリズムの強靭さを活かすとなると――自然、ビートの強いサウンドになる。そこへライヴ要素を盛り込むと、パンクに落ち着いていくわけだ。
 その分岐点にあるこの作品だが、まー売れに売れた。大ヒット曲「BEAMS」を含み、CMにも出演していた清春が若者のファッション・リーダーにまでなってしまった。ここから髪の色をピンクや青や緑にコロコロ変え、金髪に落ち着いてからまた長髪になっていく(ついでに言うなら再結成後はますます意味不明なロココ王朝風になっていく)。きっとファッション系の声に対して「真面目に」対応したのだろう。クロム・ハーツというブランドの保護に身を固めて。
 その「BEAMS」のポップ路線を踏襲した、続く「SEE YOU」は同路線すぎて印象に薄いし売れなかった。その先にドロップされたのが「ピストル」。このソリッドな曲が売れてくれた自信を持って、続くパンク路線への変更を決定づけた。
 それらシングル曲はポップスとして聴けるが、アルバム曲は一気にハードなものが増えた。中でもタイトル曲の「FAKE STAR」は「ピストル」の先にある、パンク黒夢の「開化の響」。一気にスターダムにのし上がった自分を皮肉り、ニセモノのスターだと叫ぶことできっと、清春は精神性を保てたのではないだろうか。
 それができなければ、清春は臣のようにプレッシャーに押しつぶされ、それこそ黒夢は解散してしまった可能性もある。きっとV系特有の「雰囲気を作るためにものすごく緻密な」レコーディングも嫌になっていただろうし。その契機となったのが前作の「カマキリ」で、勢い一発のその曲で暗に所属するEMIを批判、本作ではさらにメッセージ性が強い「BARTER」に発展した。はっきり言って親に直接文句を言えず友達に陰口する子供状態である。間に挟まれた佐久間正英はいい迷惑だ。
 しかもここから、結成時の「夢は叶わないから黒夢」だったはずのコンセプトが、自ら崩壊する。それはアルバム収録曲の「夢」。ここで清春は、夢が叶わない儚さを全面的に出してしまった。つまり「過去の自分たちを全面否定してしまった」。
 これって実は大きなターニング・ポイントで、現に次作以降は「夢は叶うよ!」というスタンスに急展開するのだ。それもシングル曲を中心に。
 そうしたいろいろから佐久間視線でこの作品を見ると「ああ、手を離れたな」という印象かもしれない。今まで自分が知っていた黒夢がコントロールできなくなり、一気に大きな違和感が生まれた作品。というのも、それは既存のイメージからの脱却だったわけで。
 そしてそれが、後期黒夢の作風を決定づける。


『Drug TReatment』
 一気にパンク路線に突入した本作は、よく「V系パンクの名盤」と称される。もちろん主義・主張することがあまり得意ではない内気な清春なので、本家パンクと比較するとメッセージ性は薄いし、メッセージを強く見せているだけで本音じゃない部分も多い。気取って強がって吠えているような歌詞だけど、V系村の住人にとっては衝撃だったに違いない。実際そうでした僕も当時は。
 何が衝撃って、男ファンだけでライヴができるのだ。たぶんV系初の。
 今ではV系含めてさまざまなバンドやミュージシャンが男性限定ライヴをおこなっているが、これって女性ファンにもてはやされて囲われて当然のV系では、ほぼ実現不可だった。だからこそ前述した「似た世界観の作品を続けて出す」ことが方法論として定着していたのだし、何よりファン離れを気にしていた。だから、それこそ僕のような「男性V系好き」はゲイ目線で見られたり疑われたり、まるで隠れキリシタンのような心境だった。
 それが黒夢では、堂々とファンを公言できる。
 佐久間のコントロールから脱出したバンドは、思いつくままにハード部分を強調。ライヴ受けする短くハードな曲が多く、ライヴ盤も発売された後期ライヴのレパートリーは、本作収録曲が非常に多かった。ミドル・テンポの「LET'S DANCE」はわざと「薬」という単語を「ドラッグのような意味合いで」使い、「歌詞カードの文字を消す」という自主規制もした。こういうの、「いかにもパンク」じゃないか。「いかにも」ね。それって中学2年生みたいなポーズ。
 でも「MIND BREAKER」は自動車CMのタイアップをきちんと取り、シングルもきちんと売れるように作られている。社会人としての責務は果たしている。この時期のシングル曲「Like @ Angel」「Spray」を好むV系後輩バンドや男性ファンは、非常に多い。
 これらの曲から、黒夢は完全に「黒かった夢を払拭して、自分の夢を叶えていこうぜ!」のスタンスになった。なるほど、音楽性の変遷は、バンド名の由来によるコンセプトの変遷でもあったのだな。
 しかし隠れたキモは、もう1曲のシングル曲「NITE & DAY」ではないだろうか。これは言わば「叶わない儚い夢」の楽曲であり、前作と今作をつなげるターニング・ポイントともとれる。
 ここには「本当は真面目な黒夢」が出ている。夢想的で儚くて憂鬱で、バンド名「黒夢(叶わない夢)」にもつながったマインドが、本当はこの曲に隠れていると感じる。シングル・ヴァージョンはサウンド的にも「佐久間風」で、過去のファンをつなぎ止める役目も負っていたに違いない。だって僕がそうなんだもの。
 真面目が出てしまったそれをわざと不真面目に見せるため、アルバム再録にあたって「ハンドマイク1本で一発録りし直した」なんていう姿勢も、当時の「黒夢にとってのパンク」だったわけだ。真面目だ。方法論まで真面目すぎる。ほかのシングル曲は「ポーズ」なんだけど、この曲だけは「リアル」なんだよね。黒夢というバンドの、パーソナリティが出た。
 で。
 気づいたらこのアルバムのハードな音楽性、実は「原点回帰」なんだわ。当時のメンバーもファンも気づいていなかっただろうけども。だいたいインディーズに戻っています。きっとその時代の稚拙さを、成長してから修正したかったのでしょう。真面目だなぁ……。
 そして佐久間のようなコントロールする存在がなくなり、黒夢はひたすら本当に「破滅へ向かって」いく。


『CORKSCREW』
 で、とうとうこれがラスト・アルバム。
 前作に較べてパンク路線を深化させたということになっているが、今まで溜め込んできた言いたいことはだいたい言ってしまったので、実は「中身がない形式パンク」になりかけている。はっきり言って直接的なだけで決して濃くはなかったメッセージ性が、本作ではますます薄い。平たく言えば「形骸的」だ。
 でも清春も人時も真面目なので、グリーン・デイのごとく陽気なサウンドだけのパンクを演じることができず深刻になり、結果、活動停止につながってしまった作品。あとから俯瞰すればすっごくそう感じる。真面目だから無理してたのだよ。
 パンクにありがちなことではあるが、どんどんサウンドから虚飾を排して簡素化しており、全編シンセサイザーを極限までカット。曲も短くハイ・テンポなナンバーを揃え、ミディアム・ナンバーは数曲のみ。そしてありがちな「レゲエ・ビートの導入」まで「してしまった」。
 シングル曲「少年」は唯一5分越えで、唯一「中身がある」歌詞。なので大ヒットし、後期黒夢の代表曲のように君臨した。話題になっていた最後期の輝きだっただけに、この曲をして黒夢と考える人も少なくないだろう。
 問題はその次にして活動停止前のラスト・シングル「MARIA」。これがレゲエ・ビートを導入「してしまった」曲で、かといって手練れ揃いのポリスのような垢抜けて洗練されたサウンドではなく、平たく言えば「まとまっていない」。V系歌唱に変則的なビート、リズムはレゲエでノリはパンク。いちばん印象に残るのはサポート・ドラマーである、そうる透の正確なビート……うーん。
「いろいろ詰めたらこうなりました」という感じで、いかにも悪い意味で後期黒夢を象徴しているように感じる。中身がないんだ、中身が。形式を真似るのは得意だけど、スタイルで模倣しているために、芯がないということが露呈してしまった。
 言っちゃ難だが、この作品こそ「換骨奪胎」。他人のスタイルを自分流に変換して標榜し、結果、もともと素質が備わっていないから自滅につながってしまった印象。
 だからなのか? 路線としては前作の延長上なのだけど、このアルバムをリスペクトする人は多くない。芥川賞受賞第一作(つまり受賞の次の作品)でコケたような、そんな気分とでも言いますか。
 例の「自閉症問題」が絡んできた頃なので、どうにもイタチの最後っ屁したかったらしく「後遺症 -aftereffect-」という曲まで作られている。内容としては初期のV系路線の後遺症を恨めしく歌ったようなものだけど、そういう歌詞ってスタンスとかスタイルみたいなもので、根底はパンクじゃないんだわ、やっぱ。自己肯定してほしい中二なんだわ。精神性が。
 その後、形としては「結婚を機にプライヴェイトを優先したい」という人時を清春が見限って活動停止したということなのだけども、その清春も実はすぐに結婚する。結局どっちも真面目なんだよ個人単位では。
 活動停止後、長い時を経て一夜限りのライヴをおこない、めでたく黒夢は「最初の解散」をする。
「勝手に活動停止して、ちゃんと解散していないから、ずいぶん時間が経っちゃったけどしっかりライヴをやって解散したかった」
 っていうところまで、真面目なんだよ結局この人たちは。


 その後、ほどなく黒夢は2人体制のまま再結成するのだけど、その寸前に清春がソロで黒夢のセルフ・カヴァー・アルバム『MEDLEY』を発表している。
 これがよくありがちな「歳を重ねて落ち着いた演奏と歌唱になって当時の面白味がなくなっている盤」なのだけど、シングル10曲に「HAPPY BIRTHDAY」を加えた内容で、棘も何もなくて当時のファンとしては正直がっかりする。明らかに再結成寸前の話題作りであり準備体操なので。
 そうして復活した黒夢は、作風が一気に「耽美系時期」に近付いていた。持っていないしきちんと聴いていないので詳しくは触れないが、シングル曲を軽く聞いた程度でも後期のハード・エッジはすっかり丸くなり、中期の「耽美派」の雰囲気が強い。
 これはひょっとして「結局こういう感じが黒夢だよね」と当人たちも自覚してしまったのだろうか。後期はイキがって強がっていただけなのだと、歳を経て気付いてしまったのだろうか。なんかそう思って聴けなかった。
 ということは「臣がいたら耽美系のままだったかも」という僕の読みは、おそらく当たらずも遠からず。ただしその場合、後期のような爆発力もなく、細々と女性ファンに囲われて活動を続けることになっていたとは思うが……。

 その後期をして、よく黒夢は「V系パンクの祖」と言われる。
 耽美と破滅ばっかりだったV系に、ポジティヴなパンクの風を吹かせてくれた、と。それをかつては「夢なんて真っ黒で叶わない」という意味で命名した「黒夢」が、いつの間にか「黒い夢を払拭して叶えようぜ!」になって成し遂げたというのが、何とも皮肉で面白いではないか。

 でもそれ以上に、僕が大きく評価している部分がひとつある。
 それは「清春は『ん』を『う』と歌うパイオニア」であるということだ。
 これは発明のようなもので、そもそもアイウオエではない「ん」は、印象がきわめて弱い。たとえば「簡単」という言葉であれば「カン」「タン」と発音するように、基本的に「ん」は何かに付随することで成り立っている。だから単体になったハミングとかは「ん~~~♪」だと印象が薄く、「う~~~ん♪」だと強くなる。
 そこへ清春は、「ん」単体でも「う」と歌うことで、「ん」の存在感を増した。正確には「ん+う」という発音だが、もともとそんな語は存在しないので、ものすごく違和感がある。
 さすがに全部が全部そうしているわけじゃないが(もしそれだとさすがに楽曲を崩す)、大ヒット・シングル「BEAMS」のサビ部分で考えてみる。
 サビ後半、ああそろそろサビが終わるなぁ、という部分に「永遠に」というフレーズがあり、普通なら「えいえんに……」とカスれて消えていく。サビの終わりだし。
 ところが清春は「え、い、えー、う~に……♪」と、明らかに「『ん』を『う』と歌うことで、『ん』を1語で成立する主体にしている」のだ。ものすごい違和感でアレ? と思ったところに次のサビ。「金色の」さえも「きー、うー、いー、ろーの~~~♪」と歌い、再び引っかかる。おやおやおや、と大きなインパクトになるわけだ。
 後期代表曲の「少年」も、発音は「しょうねん」より「しょうねう」に近い。そうした「引っかかり」もヒットに関与してるんじゃないかと勘ぐったりもする。印象に残るからね。
 そう考えると、清春って「サブの語をメインに歌う天才」だったりする。普通は伸ばすだけの音にインパクトを与え、目立たない音を目立たせている。あら、書きながら何だかすごいことのように思えてきたぞ。
 何せ、とんねるずの石橋貴明さえこの歌唱法を取り入れ、工藤静香とのユニット「Little Kiss」で「明らかに『ん』を『う』と歌っている」ぐらいなのだから。石橋本人が気にしたのかどうかは絶対的に不明だけども。
 でも実はね、このテク、けっこうJ-POP界でその後も受け継がれてるんですよ。きっとプロデューサーとかが「これは使える!」って思ったんだろうなー。

 孤高のバンドのように評価されている黒夢だが、本当に交友の幅が狭いというか、聞こえないというか、見えない。
 最初にラルクの例を出したが(戻って確認してね)、実は初期黒夢は、初期ラルクと仲が良かった。ジョイント・ライヴをおこない、共演したりもした。見たかったなー、美しい頃のhydeと清春がデュエットするの。sakuraのドラムで演奏する黒夢。
 そのラルクも、実は群れるのが苦手だった。なのに同じようにカテゴライズされるのが嫌になって「俺たちヴィジュアル系じゃありません事件」になったわけで。似た者同士だったのかもしれない。
 でもきっと、黒夢だったら同じことを言われたら「あー……ヴィジュアル系とか、よく、言われますけど。でも僕らは、んー、そう思っていないし、違うので……(ボソボソ)」と真面目に対応したんだろうなぁ、たぶん。

 はっきり言おう。
 こんなに交遊録が露見しない黒夢は、「V系村の村八分」である。
 それを彼らが望んだか望まないか、あるいは本当に村八分にされていたかは定かではないが、明らかに「それ系人脈」との付き合いは少ない。せいぜい清春が黒夢活動停止後に組んだSADSのメンバーになった人たちとその周辺、なイメージで、たとえばデビューが近いLUNA SEAと遊んだとかそういう情報はまるでない。
 黒夢が仲間はずれになった最大の原因は、メジャー・デビュー寸前にYOSHIKIが運営する「EXTASY RECORD」からの誘いを断ったこと。しかも断ったとたんにソニーと東芝EMIからメジャー・デビューの話が舞い込み、東芝EMIから華々しくデビュー。これって運命の分岐点だったと思う。
 今にして思えばこれは、構図的に「古臭い田舎のインディー集団への参加を蹴って、きらびやかな都会の会社に就職する」ようなもんじゃないか。でもその代償なのか、黒夢はバンド間の付き合いのようなものがほんっっっとに少なかった。そりゃあ「V系村の村長」の誘いを断ったら、村八分にされちゃうでしょう。実際には「清春が人付き合いが苦手で、誰かとつるむのが好きではなかった」いう話もあり、真偽のほどはわからないけど。その割に自己主張がしたくて、でもできなくてイジイジする、はっきり言って中二のような真面目さだったわけで。
 実際、今まで書いてきたように、黒夢は真面目なバンドである。清春はメンバーのことを「君づけ」で呼んだり、年下の人時は「清春さん」と呼ぶ。だから後期は「パンクだ! イケイケだ! 渋谷系パンクだ!」みたいな姿勢を貫いていたけど、それって結局はポーズだったわけで。再結成後の音楽性が一気に耽美路線に戻っていることでも、そういう本質的な部分は見えてしまう。今にしてだけども。
 もし仮にEXTASYに在籍してしまったら、いつまでもレーベルお抱えバンド状態で売れることもない、東京YANKEESみたいになっちゃったのではないだろうか。そう考えると胸を撫で下ろしたくなる事件である。事件と言っちゃ黒夢に悪いけど。いやYOSHIKIにか。

 そんな人付き合いの苦手な黒夢は、やっぱり返す返すも「真面目なバンド」だった。
 後期はパンクに目覚めたものの、それがライヴでの疲弊、メンバー意思の疎通不足につながり、結果的に解散に至る要因となった。
 だが、そのパンクも前述のように「ポーズとして」おこなっていたきらいがある。真面目にパンクをやっていたら、真面目な部分で衝突して、真面目に活動停止して、真面目に解散した。
 そうした「ポーズを取る」「気取る」「強がる」ことこそが、黒夢最大の武器だったのじゃないだろうか。ずっと語ってきたように、曲調や歌詞などにそれはとても現れている。
 メンバー脱退、再発盤で収録漏れに発展する楽曲バッシング、ヒットによる重圧、孤高のスター……そうしたことごとを、黒夢は真面目に取り組んできた。メンバーが脱けた穴を「真面目に」サポート・メンバーで補充し、クレームが入った曲を「真面目に」オミットして再発し、ヒットしたら「真面目に」ライヴを増やし、スターになっても「真面目に」それを曲で否定した。
 基本的に、みんな「真面目」なのだ。むしろ「真面目すぎた」のだ。
 だから「真面目にパンクをやって」「真面目に解散して」「真面目に再結成した」わけだ。
 もとより体育会系ノリの「V系村」には、はっきり言えば真面目な優等生は不要。だから黒夢がそこに関与しなかったのもうなずける。たぶん真面目に手下になっていたと思うよ、YOSHIKIの。そして真面目に精神を病んで引退していただろう。真面目だから。
 でも真面目ゆえにつるまなかった黒夢は、DIR EN GREYのフロント、京のような「さらに真面目な」フォロワーを生み、幻想だけではなくパンクやメタルを強めている現在のV系の音楽性にもつながっている。だから決してその存在感は語られなくても無駄ではなかったし、狭い範囲だけで盛り上がっていたV系村に、大きな風穴を空けることができた。
 それこそが、シーン最大の影響だったのじゃないだろうか。いや本当に!
 そして影響されたDIR EN GRAYやジャンヌダルクやシドやムックが「V系最後の砦」になるわけだからね。もはやV系なんてくくりがなくなっても。

 そんな、真面目さが作って壊した黒夢の歴史。
 今からでも遅くない。さぁ、ちょっと聴いてみようじゃないか。
 仕方ないので僕も再結成後を聴いてみるからさー。V系らしく無駄に初回盤仕様を乱造するようになっちゃったので、レンタルでだけどさ。
 ちゃんとCDを売ろうとして、ほんと真面目だなぁ……。

(※追伸:「90年代後半V系」で言うならsakura脱退までのラルクを語ることもできますが、これも売っちゃったしその後売れたので、やめときます)

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