没入、余白、精神性(Aril Brikha 『Dance Of A Trillion Stars』 レビュー)

このところメインストリームでアンビエント的母体を持ったフォークロアや、ワールド的アプローチのアンビエント、ノイズなんかをちらほら目にします。

一つはサブクスリプションという低コストの楽曲配信の影響でかなり世界的なインディーズを掘りやすくなっているという点もあるのでしょうけれど、ヨーロッパにおけるフィドルや、アジアのガムランやシタールといった楽器が現代的アプローチで再構築されている様子を見ると個人的にはワクワクするなあ、と思います。このムーヴメントにどのような名前がつくのかよくわかりませんが・・。

Aril Brikhaが今作でデトロイト・テクノを振り切ってアンビエント、ディープ・テクノの方向性を見出した理由については掘り出すことが出来なかったのですが、彼もまた普遍的な主題を見付けているのかもしれません。

余談)少し前のメンションでもお伝えした通り、母校のアートフェアに作品を出展することになり、そのための準備などでnoteの活動が滞ってました。

アートフェアについては下記を参考にしていただければと思いますが、ご興味があれば購入いただくことができます。一応、作品にサインなんかも施してあります・・!

包括的なサブジャンル

Aril Brikhaは1976年イラン生まれ、スウェーデン在住のアーティストである。デトロイト出身ではないが、デリック・メイの繋がりもあり、デトロイト・テクノ的と称されていた彼の作品を聴いた後に『Dance Of A Trillion Stars』を耳にすると、やはり新鮮な驚きを覚えるのではないだろうか。

デトロイト・テクノは明朗なハウスのサウンドをバックグラウンドに持ちながら、4つ打ち+シンセサイザーの変調やエフェクトを用いるアシッド・ハウスやフィルター・ハウスと比べてビートが複雑になっており、また、ダブ・テクノに近いような重めのベース音を基調としたダウナーなものも存在する。

しかし実際のところ、テクノやハウスのサブジャンルは枝分かれの度にアンビエントやエクスペリメンタル、あるいはノイズ、アブストラクト、グリッチなどあらゆる要素を包含し派生していくため、もとより分節化は難しいように思われる。

Aril Brikhaに関しても、元々彼の作品はジャンル的に形容しがたいとされていたものの、「Groove La Chord」に代表されるように過去の作品に関してはそのビートの複雑性からデトロイト・テクノの影響は確かに感じる。

だが本作にはハウスのサウンドが存在しない。全体的に静寂に包まれた美しい作品ではあるが、デトロイト・テクノというよりはダブ・テクノ、ディープ・テクノに近い重く沈んだ音、あるいは静謐なアンビエントが鳴っている。

例えば「A Cautious Gaze」における深く沈んでいくようなシンセサイザーのメロディはピークとチルアウトを何度も発生させつつも全体的な抑揚が抑えられたドープな没入感があり、開幕から心をぐっと掴まれる。

シンセサイザーの緻密なレイヤーで構成された「Forward Motion」も、フロウティングなメロディがショートフィルムのBGMのようにメランコリックな叙情性を持った美しさがあるし、

タイトル曲「Dance Of A Trillion Stars」の美しいピアノや、「She's My Everything」の静謐さとサウンドレイヤーの感じやオーボエのように鳴るシンセサイザーはどことなくマックス・リヒターがディープ・テクノを鳴らしているような、ポスト・クラシカルを思わせる・・8曲で構成されたEPの中で楽曲的なアプローチが多彩で面白く、興味深い作品だ。

Move DやKZAなどテクノ、ハウス関連のアーティストのジャケットを多く手がけるStefan Marxのスリーヴ・デザインも美しい。

対話の可能性としての「余白」

作者が何を語りたいか?という問いを拾い上げることがロラン・バルト的な「批評」であるという解釈には誤謬があり、厳密にはバルトは「作者」という偶像を作品の背後に創出することによりエクリチュールを閉じる所作を指して「批評」を表している。

本作においても、Aril Brikhaの楽曲的アプローチの変遷について語られるメディアが少なく、そういった意味で作者というコンテクストを本作から拾い上げる所作は難しい・・であるが故に、リスナーたる我々はコンテクストの再構成を行うことができるとも言えるのかもしれない。

(この作品における作者像は存在しないか、想像しづらいために、リスナーに没入の余地が与えられている、という意味で)

一見すると難解に聴こえるサウンドも、没入の余地という能動的な音楽的対話の可能性が残されているために、何処か瞑想的に、マルクス・ガブリエル的な全体を構築するものとしての「宇宙」的なフェイズから鳴っているようにも聴こえる。そうした意味での普遍性を『Dance Of A Trillion Stars』は持っているのかもしれない。

語ることは難しいが、この没入感という精神性は魅力的だ。


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