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生涯忘れぬUTMB/TDS(154kmトレイル)参戦記

8月28~30日に開催されたUTMB/TDS(154km、獲得標高9176m)に参加した時の記録。

昨年7月の105kmトレイルで厳しい闘い(下記参照)も相当印象深かったが、今回は、それに勝るとも劣らない忘れられないレースとなった。1週間前とは思えない程、ずっと昔のことにように感じるところ、記憶の限りに綴る。

ポイント

・34:02、305位/998人完走/1649人出走。
・満足する自分、不甲斐ない自分への悔しさ。
・マラソン練習下での挑戦。
・You can do itが折れた心を救う。
・理解不能な強靭な参加者達。
・雪、霧、泥、胃の異常などなど。
・レース後、100マイル挑戦の意義に悩む。

1 結果

完走。34時間2分。

優勝タイムは19時間36分。出走者1649名、完走者998名。自身の順位は全体305位。年齢別(40~44歳)56位。

自身としては、厳しい条件下で制限時間内に完走した点、タイムや順位では測れない大変貴重な経験ができた点では満足。一方、体が動かない自身の不甲斐なさに悔しさも多い。

2 準備

昨年105kmのトレイルを出場しているものの、今回が、自身初の100マイル級のレースだっただけに、どの程度で走れるかも全く分からなかった。当初はUTMB(171km)に出場したかったものの抽選であえなく外れ。

練習は、9月24日に開催されるフルマラソンに向けて、クラブメンバーとともにロード、トラックを中心に距離は踏んできたものの山での練習は十分ではない中でどこまで通用するのか、自身へのチャレンジであった。

7月15日にスイスで開催されたEiger Trailで51kmを走った後は、9月のマラソンに向けてロード、トラックを中心に走行距離を踏んできた。7月頭から週に100~130kmを目安に走った。

山でのトレーニングに励むべきであったかもしれないが、マラソンに向けて熱心なクラブメンバーとともに、強度の高いマラソン練習に集中するため、ある種開き直って、マラソン練習がロングトレイルに通じると、トレーニングしてきた。

3 レース全貌

8月には珍しい雪の中でのレースとなった。

雪の影響もあっただろうが、それに関わらず、距離が距離だけに脚に痛みが生じるのは当然のこと、昨年7月のレース以上の痛み(太もも、ふくらはぎ、両足の豆など)で、後半は全くと言っていいほど脚に全く力が入らなかった。

後述の急登以降の、特にラスト6時間近くは、非常に厳しいレースとなった。その前の多くの時間も決して楽ではなかったが、後半のインパクトが強烈すぎて、前半がかすんでしまった。

登りは本当に苦しかった。脚の力だけでは登れないので、ポールを使って腕の力を使って歩を進めた。それも時間とともに疲労が蓄積されると、機能しなくなっていった。

下りは下りで、太ももへの一歩一歩の衝撃が大きかった。

最後は平坦な道であるが、そこもよちよち走り、キロ10分くらいでしか、走れず、歩けず、という状態。

4 ハイライトポイント

最も印象に残っているのは、130km付近の急登。それまでも急登、下りを繰り返してきており、力はほぼ残っていなかった。

早朝で暗闇の中、反対側の山から坂を下る途中に見えた、光の点々は、スキー場を登るリフトの光に見えた。リフトを使って登るんだ、という、安堵を感じた。そんなわけがない。坂の下に到着したとき、あまりの坂に目を疑がった。

登り切った後に撮った写真。こう見ると大したことないように見えるが、最もきつい下部が隠れているようにも見える。気持ちの問題だろうか。

スキーの上級コースに相当する程の急勾配に感じた。

1人ならば止めていたかもしれない。

厳しいはずの後続のランナー達は決して止まることもなく歩を進めていた。坂の序盤、脚が止まっていた私に、ある女性の方が、私の体調を気遣ってくれた。さらに

You can do it

と激励してくれた。この一言は私を非常に元気づけてくれた。

どれだけゆっくりでも、確実に前進しているから、必ずゴール(頂上)に辿り着けると、何度も何度も自分に言い聞かせた。

坂を登るのに1時間以上要した。頂上が見えたときうれしかった、これでレースがほぼ終わった、ここが最後のエイド(145km地点)だろう。

スタッフに聞くと、最終エイドステーションまで残り8.5km。そこまで1500m下降する必要があるとのこと。

メンタルがかなりやられた。

脚も、下り中心であったものの、脚を引きずる身としては、そこからがとにかく長かった。

5 レース中に感じたこと

全体を通じて、他ランナーの身体的な面だけではなく、精神的な強さを感じた。

自身は、上記の急登を含め、一歩一歩を進めることに一杯一杯であるにも関わらず、他の参加者は、容易ではないと思うものの、私よりも速く歩を進めていた。私にはそれが全く理解できなかった。

特に、130kmの急登後の脚へのダメージは相当であり、しばらくは平坦なところを歩くことでさえ大変だったのだが、後ろから来たランナー達は走り、私を楽々と抜き去り、下りもこれまで同様に疲労もないかのように下りていく。

その後も抜かれるばかり。悔しいという気持ち以上に、何もできないからどうしようもないという状態であり、抜きたければ抜け、自身は自身のペースで必ずゴールに到着するという気持ちしかなかった。

マラソンでも後半脚が動かないことはあるが、それにしても、厳しい登り、下りを繰り返すトレイルとなると、こうも違うものか。

使う筋肉も全くの別で、下りはテクニックも必要であり、下手くそかつ酷使すれば、太ももが機能しなくなるのは当然だろう。

標高差の少ないトレイルならば、マラソンの延長、ロードの走力で対応できる面もあろうが、標高差が大きく、かつ100km、100マイルといった距離が長いものに対しては、ロードの走力の比重は相当少なくなろう。一定の走力は当然必要だろうが、それとも自身は、無駄な筋力を使い過ぎているのだろうか。

また、自身は精神的に弱いのだろうか、とも感じた。厳しい局面でのポジティブな思考、痛みに対する捉え方も周囲のランナーよりも弱いのだろうか。

私がしんどくて立ち止まっている、座り込んでいると、後続のランナー達は、体調は大丈夫かと、声がけをし、厳しい中でゴールを向かう途中でも、ブラボー、アレー(がんばれ)と声をかけてくれる。自身も厳しい局面であるにも関わらず、他人に声がけをしてくれる優しくかつ強い方々に何度も心を打たれた。

6 レース途中の様々なエピソード

(1)雪、寒さ

事前の予報では、29日のシャモニ(ゴール地点)は最低気温7度、最高気温12度。イタリアでバカンスを過ごす知人からもレース数日前に降雪予報も出ていると聞いていた。ダウンジャケットも含め、かなり寒さ対策を施した(結果的に、ダウンジャケットまでは不要であった)。

本レースの最高標高地点は、約20km地点付近で、標高約2600m。到達時点では雪か雨か分からなかったが、日が明けた30km以降は、明らかな雪。写真を参照。


とにかく寒い。止まると凍え死ぬのではないかと感じた。一昨年の雪の中でのトレイルレースを思い出した(一昨年の記事を以下を参照)。

手袋をしていてもとにかく寒い、凍傷になるのではないかと思った。2日目の深夜は、そのときいた標高の高さ故に、氷点下レベルの寒さで止まると、とにかく寒かった。

スタート前、ロングタイツを着用するか迷ったが、結果、着用することを決めて本当に良かった。レース途中、半ズボン、ショートソックスのランナーをたくさん見たが、かなり痛い目を見たのではないか。それが、棄権率の高さにもつながったのでは。

(2)泥

悪天候の影響もあって、とにかくドロドロ。登りも下りもドロドロのところが多く、とにかくすべりまくった。ポールがあってもどうしようもないくらい滑ったので、登れない、下れない、制御不能の時は怖かった。

幸にして転けなかったが、ある意味、攻めが足りないということか?

(3)霧

必携品で指定された同種のペツルのヘッドライト2つを持っていたものの、濃霧がすごくて、最大照射で利用していたところ、初日の日の出の前に電池切れを示す点滅が始まり、照射力を落とすも、1時間ほどで、電池切れ。初日目にして2つ目のヘッドライトを利用する羽目に。2日目も長期戦が予想される中で、ヘッドライトの電池が切れたら、終了するとビクビクしていた。

結果的に、98kmのエイドステーションに日本のツアーの添乗員の方に予備のヘッドライトを貸していただき、救われた。本当に感謝。

また、濃霧でコースを示す蛍光マーカーを探すのも一苦労。途中、マーカーを通り越して下り続け、数百メートル戻るというハプニングも発生。

(4)胃の異常

レースの途中は、マラソンで毎度お世話になっているエネルギーゼリー(Molten)を大量に準備して、スタート後、約1時間置きに補給。

また、エイドでは、水の補給に加えて、エバナナ、りんごなどの果物を中心に摂取。

しかし、途中から50キロ付近以降、水とエネルギーゼリーを戻しそうになり、エネルギーゼリーの摂取は止め、エイドで、果物に加えて、塩気のあるピーナッツ、チーズを中心に摂取。

大会側からもエネルギー系のゼリーやドリンク等の準備もあり、少し口にしたが、あまりの甘さに余計に気持ち悪くなり、摂取するのは止めた。 

完全に食べられなくなった訳ではないので、助かったが、昨年は戻すこともあり、ウルトラマラソンの難しい点である。

(5)壊れたバッグ

52km付近のエイドで荷物チェック(携帯電話、防水パンツ、サバイバルシート)の確認があった際に、大会スタッフの方が、私のバッグのチャックを強引に閉めよとしたところ、チェックが壊れた。

安全ピンもないとのことで、さらに強引にチャックを引っ張り、チャックの端が完全に壊れた。98kmのエイドで再度空けたら完全に故障し、上述の日本の添乗員の方に安全ピンを借りて修理。本当に感謝。

(6)ブラボー

最後のエイドステーションの145kmからゴール地点のあるシャモニ(154km)までは、これまでとは異なり、平坦な林道を進む。走りたい、という強い気持ちで一杯も、一歩一歩着地する度に痛くてまともに走れない。小走り、早歩きのみ。

そこを後日開催のレースに出席するランナーや観光客の方とたくさんすれ違ったところ、ほぼ全て方から「ブラボー!!」という言葉をいただいた。力が出ず、走りたくても走れないもどかしさの中で、あの1つ1つの声援は本当にありがたかった。

今後、自身も、自身に果敢にチャレンジされるトレイルランナーの方々に対して、声援を送りたい、と強く感じた8kmであった。

7 レース後考えたこと

レースが終わって数日間は、当面はウルトラはもうよいかな、と思った。

一方、最後の6時間近くの間、脚が痛く、平坦なところでさえ歩くレベルのスピードしか出せず、ぼろぼろになったことを思うと、その点は、改善したいというもやもやした気持ちがあった。

マラソンとは異なり、タイムという指標がほぼ機能せず、1回のダメージが大きすぎ、かつ山での相当なトレーニングが必要となる100マイルは、もうという気持ちだった。

その後も、

自身にとってあのTDSは何だったのか、
100マイルトレイルとは何か、
こんな厳しいレースに何度も挑戦する人は何を目指すのか、何が自分と違うのか

とずっと考えており、その答えを自分なりに探すべく、今回や過去のUTMBやTJARの番組ばかり観ていた。

納得した訳でもないが、至って簡単な結論を得た。

レース後の気持ち、満足できたか

それだけでは。

それが完走かもしれないし、順位かもしれないし、その辺はマラソンと同じで、それがなければ、単純に自分のレースでの走りに満足したか、では。

初めてロードのウルトラマラソン、2008年のチャレンジ富士五湖100キロを走って完走した時のことを思い出した。あの時、両足マメが潰れ、膝は明らかに異常をきたしていた。しかし絶対に諦めない、歩かない、と決め、最後の容赦ない坂も決して歩かずゴールしたあの時の感動を。

あの時、初めてだからタイムもよく分からない、順位も微妙。完走した、そして、絶対歩かないと決めた自分に勝った、という気持ちがあった。

今回はその感動があったか。

適切な表現が浮かばないが、レースを支配できたかできなかったか、の違いだろうか。

今回、大会側が用意した制限時間以内に完走した、という点ではレースを支配したのかもしれないが、自分の中では、完全に支配され、自分のレースができていない。なぜなら、こんなにもやもやしているのだから。

それでは、また挑戦したら、レースを支配することなどできるのか。

そんなことは分からない。

マラソンだって同じ。次のレースで、上手く行くかわからない、その不安を払拭するために、走るしかない、挑戦するしかない。

ウルトラトレイルも同じ。少し先になろうが、晴れた気持ちでゴールすべく、マラソン同様にまた挑戦している自分がいるだろう。

8 最後に

全体を通じ、寒さで止まったら凍死するのではないかという状態に耐え、また昨年超長時間に及ぶ登り、下りによる疲労、痛みに耐え抜き、何度も何度も精神的に追い込む急登に耐え、ゆっくりでも必ず完走する、自分はできると、何度も何度も鼓舞し続け、完走できたことは、自分の人生に間違いなくかけがいのないものとなった。

また、これだけ過酷な競技に挑戦するランナー達に対して、尊敬の念を抱かざるを得ない。

シャモニを起点に、TDSだけではなく、UTMBの他にも、数10キロから300kmまでの様々な距離の準備、1週間での大会運営、改めてUTMBのすごさ、魅力を知った。大会関係者に改めて感謝したい。

車の渋滞でスタートは50分遅れの0時40分
ずっと雲が空を覆う。約80キロ付近
最後は少し晴れた。140キロ付近
大会翌日はすっきり

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