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No.01:三ツ木隆将さん「浮遊するコミュニティ」【前編】

バルーンチャンネルです。このチャンネルは毎号1つのテーマを取り上げて『聴く雑誌』として楽しんでいただけるチャンネルを目指して配信しております。今回、五月の特集は『浮遊するコミュニティ テレイマジナリーな共同体をつなぎ止めるもの』です。

200608_金谷さん

本日のゲスト:
三ツ木 隆将さん(three trees design 代表・デザインカタリスト)
モノを作る上でのProblem Solverを基本スタンスとして、デザインというインターフェイスからユーザーにどのような体験を提供できるのか・具現化できるのかを模索・選択・制作しながらデザインを行っていらっしゃいます。また、価値あるアイデアを次世代に残すためTEDxKyotoオーガナイザーとしても活動されています。


それではお呼びしてみましょう、西陣の三ツ木さん〜!!

三ツ木:は〜い、三ツ木です。よろしくお願いします。

志水:三ツ木さん、本日はありがとうございます!どうぞよろしくお願いします。前回もお話を聞いたんですけどもう少し深くお聞きししたくてですね…。

三ツ木:ありがとうございます。なかなか難しいお話をいただいたと思って、ちょっとビクビクしながら。

志水:いえいえ、何となくこういう質問をお聞きしたいなっていうのを事前にお渡ししてるんですけど、結論を出すというよりはそのテーマに基づいてディスカッション、いろいろお話しできればなという風に思ってます。よろしくお願いします。

三ツ木:よろしくお願いします。

志水:もういきなり最初の質問から行く感じで大丈夫ですかね?

三ツ木:全然大丈夫ですよ。

志水:はい、ありがとうございます。全部で五つ質問があって、それぞれちょっと簡単な意図みたいなのも含めて最初の問からお願いしたいなと思います。
コミュニティをテーマに考えてみたいなと思ったら、僕あんまりコミュニティに対して真剣にこれまで考えたことなかったんですね。何か色んなコミュニティにコミットしているつもりでしたけど、コミュニティ自体がどんなものだったりとか、テクノロジーでどういう風な変質を伴うとか、今後どうすべきかとか、ちゃんと考えたことなくて。
今回、ウイルスが蔓延する事態に直面してですね、ちょっと皆さんに聞いてみたいなと思ったのが今回のテーマを設定した動機です。

◉目標や理念を持った「コミュニティ+α」と損なわれたコミュニティについて

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Q.1)ウィルスが蔓延する現代社会において「コミュニティ」は有用か?

志水:そこで一つ目の質問はですね、コロナウイルスが蔓延する現代社会で今の社会にコミュニティが有用か?といったものです。3.11の時ってコミュニティという言葉が凄く多く聞かれたなと思って。絆とか人々がこう助け合うことが素晴らしいよねみたいな。

三ツ木:はいはいはい。

志水:今回は、まだちょっと落ち着いてないのがあるかもしれないですけど、コミュニティにまつわる言葉が少ないなと思った時に、何でなのかな?っていうのをですね。

三ツ木:いやこれねちょっとね、僕も考えたんですよ。で、ちょっと逆質問してもいいですか?いきなりですけど志水さん的にはこのコミュニティの定義ってどういうもんだと思います?
すごい純粋に思ったんですよね。多分、コミュニティの定義ってすごい人それぞれだと思ってて。みなさんが考えているコミュニティ、僕もそうですし、例えばそれ以外の人たち、これからゲストで来られる方たちのコミュニティの定義って大きく違うような気もするんですよね。その中で、今回あの質問を考えられた志水さんはこのコミュニティについてどういう定義をされているのかな?って実は一発目に聞きたかったんですよ。

志水:笑。ちょっとそれは先に言っといてもらわないと…

三ツ木:ドッキリをちょっとしかけました。

志水:ありがとうございます。僕が個人的に考えるコミュニティは、複数の人たちが何らかの帰属感を求めるために集まって、組織体として、組織体と言うととちょっとまた言葉の定義がややこしくなるんですけど、行動を共にするみたいなふわっとした感じで捉えています。いわゆる地縁とか血縁とかに基づく地域のコミュニティとかもそうだし、僕の中ではSNSなどで繋がっているのもコミュニティの一種だと思っています。

三ツ木:なるほどなるほど。

志水:そうじゃないって定義している方もいるみたいなんですけど、そこまで厳密に考えていないというか、もう少し広く、ゆるいつながりでもコミュニティなのかなって思ってます。

三ツ木:うん、なるほど。いや僕も本当にそういう風には思ってるんですけど。多分、コミュニティ論って非常に幅が広くて、もちろん社会学で研究されてるぐらいで。定義っていうのはいろいろな形があって、色々な表現がされてるのかなと思ってるんですけど。
一番ベースのコミュニティってなんか共同体みたいなものだと思っていて。基本的に僕らが持っている身の周りの社会集団みたいなのがひとつのコミュニティのベースだと思ってるんですよね。で、そのコミュニティがあった上でその何かの目的とか、なんか成し得たいとかっていうものが存在して、その上にまたもうひとつ新たに「コミュニティ+α」みたいなのが、多分僕らが話しているコミュニティなのかなって思うんですよね。
だから、「純粋なコミュニティ」とその「コミュニティ+α」っていうものが2つあって、それぞれ違うレイヤーがあるのかなという風に思ってます。

志水:元々のコミュニティは別に目的とかなくても、たまたまそこのエリアに住んでる人たち同士の集まりみたいなものということでしょうか。

三ツ木:そういうところかなと思います。例えば、何か地域性とかもあるでしょうし、例えばソーシャルメディアとかっていうところでFacebookのグループで自分の趣味にあったような形のとかですよね。自分が属しているそのエリア、共同体的なところっていうのをも含めて全てコミュニティと言えるとは思うんですけれども。
その上で、僕たちがやっているTEDxKyotoとかはさらに目標とか理念といったプラスがあって、そこに対して何か達成をしようとしてるとか、人為的に何かを構成しようとしている、+αされている「コミュニティ+α」なのかなと思っています。
質問頂いた中の3.11っていうところの話でいうと、ウイルスが蔓延する現代社会って言ってますけれども、3.11の時と比べると、そもそもコミュニティはそこまで壊れていないと僕は思ってて。社会や共同体というのはそんなに壊れてる訳ではないと思うんですよ。

志水:3.11の時はもっとコミュニティが壊れてたじゃないかって意味ですか?

三ツ木:共同体っていう意味で言うと、いわゆるコミュニティと言われる地域性とかそういうものがあの大災害の時にワイプアウトされてしまった訳ですよね。誤解を恐れずに言うと、一回真っさらにされてしまったというか、元々その場にあったものがすべて奪われてしまったぐらいの大災害だった訳じゃないですか。
それを、「無くなったものを復興させよ」とか、そういう風な人間の強い意志みたいなのが、いわゆる揺り戻しじゃないですけれどあって、その絆とか繋がりというものをより強くすることによって、もう一度自分たちのコミュニティ、いわゆる共同体を作りなおそうというのがあったような気がするんですよね。
なんとなくなんですけども、今回のウイルスでは確かに断絶というか、それぞれの家庭に自粛せざるを得なくなったり、コミュニケーションを取りづらくなったっていうのはあるとは思うんですけれども、いわゆる共同体的なものっていうのはそこまで壊れてないと思ってて。買い物には行けちゃったりとかもするし、まぁニューヨークとか諸外国はまたちょっと違うと思うんですが。ウイルスの恐怖とが人の行動を変容させたとは言え、コミュニティを壊すところまで行かなかった。

志水:そういうことですね。だから、3.11の時はそもそも東日本のエリアでは壊れてしまったコミュニティに対して、コミュニティにまつわる言葉が使われたけど、今回はどこかの地理的なエリアが壊れたというわけではないから、あんまりそういうアプローチで報じたりとか伝えられたりするケースは少ないと。

三ツ木:はい、個人的にはそう思ってて。でも大きく変容したのは間違いないかなと思いますよね。コミュニティというものに対しての考え方が、大きく変容してしまったっていうのは、みんなうっすら感じてるんじゃないかなと思うし。それ自体をどうやって言葉として定義するのかってのは今後多分出てくるだろうなとは思うんですけど。

志水:いや、さすがですね。

三ツ木:いやいや。なんとなく、今回のお題をいただいて、コミュニティって僕にとって何なのかなって思った時、その共同体的なところ、社会的な集団があって、一番小さいのは家族なんですけど。例えば、3.11の時とかっていうのはもう本当に一番コアな、一番小さなコミュニティすら壊れてしまうぐらい大災害だったわけじゃないですか。もちろん今回のウイルスが、一番コアなコミュニティを壊してはいないというわけではないですけれど、見える化されてないというか見えづらい状態になってることはあるかなと思うし、自分が受け取る情報量としてもまだそこまで大きくないのかなと思ってて。

志水:確かに仰る通りですね。ありがとうございます。こちらなんですが、ちょっと関連する部分もあるので次の質問を…。

三ツ木:はい。

対面がオンラインに代わり、身体的にも心理的にも行動的にも大きく変化している

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Q.2)テクノロジーはコミュニティを変質させるか?だとすればどのように?

志水:先程の話だと、社会的な災害みたいなものがコミュニティを変質させたみたいなことだったと思うんですけど、テクノロジーがコミュニティを変質させることがあるか?あるとしたらどんなものかな?っていうのをお聞きしたくて。スライドに書いたんですけども、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』という本はコミュニティ自体というよりも、国家とは何かみたいなことを論じた本なんですが、その中でコミュニティの発生自体について言及されていてて面白いなと。印刷技術が普及した時代、フランスならフランスの中で色んな方言があったけど、方言それぞれにあわせて文章を変えて出版するわけにいかないから、取り敢えず標準語みたいなものに規格化したことでフランス語圏と非フランス語圏みたいなものができて。その内と外の境界が、ひいてはコミュニティのベースになったみたいな。

三ツ木:テクノロジーがコミュニティを変質させるかっていう質問だったらイエスかなと、僕は個人的に思ってて。いわゆるテクノロジーって基本的に道具とかツールの類ですよね。こういう時に多分大きくテクノロジーとか道具自体が発展するっていう風に思ってるんですよ。で、発展することによって、またコミュニティとかコミュニケーションと言われている部分が大きく変わるっていう意味で言うと、凄い支えられてるのかなと思って。
例えば、今回のこの使っているStreamYardもそうですし、今学校とかでもよく使われてるzoomもそうですし、色々なオンラインコミュニケーションツールっていうのがありますよね。多分まだ手探りの部分はあると思うんですけれども、そのコミュニティの一番ベースのところにあるコミュニケーションも、人とどういう風に繋がってやりとりすればいいのか?っていうところを、対面からオンラインに代わって来ていて。ちょっとなんか身体的にも心理的にも行動的にも大きく変えてるような気がするんですよね。
例えば今僕は京都で話してますし、志水さんは今大阪の方でお話されてると思うんですけど、もうこういうのがもう普通にできるような状態じゃないですか。多分三か月ぐらい前とかってこれやろうとかあんまり思ってなかったと思うんですよね。

志水:確かにそうですね。

三ツ木:すでにこういう風なツールを使って、ポッドキャスト的な局を作るということ自体も人に伝えるというコミュニケーションで。それを伝える場であるコミュニティを大きく変質させてると思うんですよね。
例えばこれがイベントだとして、今までだったら多分どっかの場所を借りて、そこで周りに色んな方が、こういう話に興味がある方が来られて、これを聞いてくださいとかそういう風なものだったんですけど。それがここたった三か月で一気に変わって、たぶんこのやり方っていうのはこれからも継続されるだろうし、一部では絶対定着するだろうと思います。
逆に言うと、例えば日本とアメリカとかもっと距離が離れているところは、確実にこのやり方のほうが効率がいいので、より多くの人に情報を提供したり考え方を伝えるという意味でもテクノロジーのツールをどんどん使っていこうと思う部分は必ずありますよね。
そういう意味でいうと、変質させるというか、もう一度ちゃんとあるものをちゃんと使いましょうと。ちょっと無理やりっぽくなっちゃったけど。でもこういうこう便利なものがちゃんとあるっていうのをもう一回みんな分かった訳なので。
そういう感じで、それに合わせたようなコミュニティも作れるでしょうし、コミュニケーションをもっと円滑にできるやり方も生まれてくるだろうと思います。逆説的に言うと、こういうツールがあったとしてもやっぱり対面で誰かと話すとか、ハレの場を作る、経験する、エリアを作るっていうのはまた戻ってくるとは思いますけどね。

志水:ありがとうございます。この三か月で大きく変わりましたもんね。ちょっと関連するので次の質問も聞かせてください。

◉ボランティアをやる上で必ず守ってほしい3つのこと

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Q.3)「ペグ・コミュニティ」「文化的トライブ」…分散したコミュニティの向かう先は?

志水:そういうツールで繋がりやすくなった中で、ある意味ではかなり気軽にコミュニティができるようになったと思うんです。それに対してバウマンっていう社会学者の人がどちらかというと批判的にこれを見ていて、それを「ペグ・コミュニティ」と呼んだりしています。ペグって釘のことらしいですけど、壁に釘を打って自分のコートを掛けてはまたすぐ別のとこに釘を打ってコートだけ掛けて…みたいな。

三ツ木:そうですね、血縁とか地縁で結ばれた強固なコミュニティに比べると、コミットとか関わるとか責任感が薄い人は凄いたくさんあるよねみたいな。

志水:批判的にこう見る人もいればニュートラルに「文化的トライブ」とかっていう人など、色々いるようなんですが。たぶん便利になればなるほど、今までは、凄い強さを持った1つか2つぐらいのコミュニティに属していたのに対して、暇な時に興味ある5とか10のコミュニティに、それぞれちょっとだけコミットするみたいなケースが増えるんじゃないかな、と。それはいいことなのか?とか思うんですよね。
それこそTEDxKyotoで言えばちょっとだけ名前だけ載せてちょっとだけコミットする、みたいな人とかっていそうじゃないですか。その辺りをお伺いしたいと思いまして。

三ツ木:まあ確かに。そういう風な側面で言うと、ポジティブというよりは若干ネガティブな印象は受けるかなと思うんですけれど。
ペグ・コミュニティ、このペグって確かなんか出っ張ったみたいなそう言う意味なんですよね。引っかかるみたいなそういう風な人々が興味を持つっていうところに、一時的に移動してそこから情報をちょっと得て、また他のコミュニティ移動していくっていう風な行動っていうのは、そもそも普通の社会行動なのかなとは思っていて。別にそれが良いか悪いかっていう話ではないかなと思うんですよね。なんですけど、そのペグ・コミュニティっていうところにコミュニティ・ホッパーみたいな感じで入っていって、最終的に自分が属するコミュニティっていうのを見つけられるんだったらそれもありかなと思ったりもしますよね。

志水:最終的に自分が所属したいコミュニティ見つけると、そこにはコミットメントが増えるよね、という感じですか。

三ツ木:はい。そう思ってて。この例えがいいかどうかは分からないですけれども、家族を持つっていうのが近いかなと思ってます。
要は、家族を持つまでって色々なところに遊びに行ったりとか世界中バックパッカーで色んなところへ行って様々なコミュニティに触れてっていう風な感じですけど、例えば家族ができると、そこの重要性、家族に対しての責任をより負う訳じゃないですか。そういうところで何か一つ軸みたいなものが生まれてきて、そこをベースにして、今度は自分のできることは何かなって。戻れる場所としての主軸があった上で、別のコミュニティに行って自分の役割を果たすっていうことができてくるのかなと。

志水:めっちゃいいこと言うじゃないですか。

三ツ木:いやいやいやいや。でもTEDxKyotoよく言ってるんですよね。ボランティアをやる上で必ず守ってほしいことが3つありますみたいな話。1つは家族で、2つ目は学業や仕事、3つ目健康ですって。この3つが全てなんですよね、やっぱり。
これらができないのに、他のところに目移りして、例えば何か他の人を不幸にするということだと、僕個人的にはそこの責任という部分をおさえきれてないのかなとも思ったりもしますけどね。もちろん100パーセント僕ができてるかって言ったらできてない部分もあるんですけど、そういう風にちゃんと思いながらやりたいなと思ってます。

志水:いやなんかちょっとめっちゃいい話じゃないですか笑。ありがとうございます。
ではちょっと次の質問に進めさせてください。


(後編に続く)

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