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横浜から通って観た、新潟医療福祉大・飯塚亜希彦投手のこと

久しぶりに投稿します。
この秋もたくさん大学野球の試合を観ました。私がよく観ているのは、最初の投稿にそのいきさつを書いた通り、関甲新学生野球の新潟医療福祉大学というチームなのですが、この秋は、寂しさと、あぁ、大学野球いいな、ということをとても強く感じたシーズンでした。ベースボールマガジン社の「大学野球秋季リーグ戦決算号」でもほんの少ししか触れられず、しかも個人成績は間違いだらけ! 個人的な記憶力の低下を物理的に補うためにも、文字としてその思いを残しておこうと思った次第です。

いつもそこにいて投げていた飯塚選手

もっとも印象的な選手は、この秋、大学野球ラストシーズンを迎えた投手の飯塚(いいつか)亜希彦選手(上越高校出身)です。1年生春から公式戦に登板し、1年時の新人戦ではノーヒットノーランを達成。2年時からは前エース笠原投手(現中日ドラゴンズ)が卒業し、チームとしては苦しいシーズンが続きましたが、飯塚選手は、勝てないときも、ピンチのときも、勝てないときも、ピンチのときも(あと5回くらい続けたい)、表情を大きく変えず、ほどよい力感でマウンドに美しく立ち、左ひざをクイっと胸に引き寄せるフォームを繰り返して、投げる姿を見せ続けてくれていました。

そんな飯塚選手の姿を見られなくなったのが今年の春。見かけた情報によるとオフに手術をしたとのこと。なんかさみしい、あぁ、すごくさみしい、なんだろうなぁ。

「そうだ飯塚選手がいないんだ」

と何度も思ったこと。春季リーグ戦の最後に復帰し、久しぶりに投げる姿を見たときに、「そう、これこれ」とこみあげてきたなつかしさ。それは、飯塚選手が入学以降「いつもそこにいて投げていた」証拠なのでした。

ラストシーズンにタイトル獲得!

そして今年の秋、そんな「いつもそこにいて投げていた」飯塚選手も大学野球最後のシーズンとなりました。手術からも順調に回復したようで、秋だけで4勝、初タイトルとなる最多勝投手となり、有終の美を飾りました。

シーズン途中、3勝目を挙げた試合のあとに、「通算6勝ですね」と声をかけると、「笠原さんの1シーズン分ですよ」と笑っていましたが、4年間きっといろいろなことがあり、彼らなりに犠牲にしてきたものがあり、でも一方でよろこびややりがいがあり……。そういった時間を経て最後の最後にタイトルを獲り、見せてくれた充実感あふれる姿。長く見ているなかで感じる言動の成熟さ。

とても楽しかったよ、ありがとう…

これらは、大学野球ならではの楽しみで、その楽しみを見ている私たちに十二分に与えてくれた飯塚選手には感謝の気持ちでいっぱいです。

と、同時に訪れる「あぁ、もう来季はいないのか」という寂しさ。

大学生の成長や変化は目を離すと見逃してしまうかもしれないとても刹那的なものであり、プロとは違った意味で、改めて学生野球観戦の緊張感を覚えるのでした。「大学野球」にも掲載されましたが、飯塚選手は同級生の河野誠也選手(上田西高校出身)とともに、富山県の社会人チーム・ロキテクノで硬式野球を続けます。大学時代の4年間とはまた違う成熟を見せ、社会人野球の選手としていっそう輝き、都市対抗や全日本選手権に出場する選手になってほしいと思います。

球児に新たな夢を、ファンに新たな楽しみを

最後に。新潟医療福祉大学の選手の活躍という点でいうと、同じく新潟出身の笠原選手が自身としては県大会2回戦進出が最高の成績で、展望号などで名前も挙がらない無名選手だったにも関わらず、地元の大学で大きく成長し、プロ入りするまでの選手になったことは、本当に本当にすばらしい「新潟ドリーム」として多くの高校球児に夢と勇気を与えたことは間違いないと思います。

一方で、飯塚選手のように、3年春に日本文理高校に勝利するなど、「新潟で注目された高校球児」が地元の大学で野球を続け、高校で燃え尽きることなく4年間野球をやり通し、社会人野球に進むという道を示したことは、笠原選手とは違った形の夢や希望を新潟の高校球児に与え、新潟の野球ファンにも新たな楽しみを与えてくれることと思います。何より私が楽しみ。久しぶりに社会人野球の情報をチェックする日々が始まりそうです。

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